第1話:家出者のレイ
ファイトマネーの入った袋を胸に収め、リアはゆっくりと家路へ戻っていた。懐は暖かく、エールが程よく体を巡り心地よい。上機嫌で昔習った歌のフレーズを口笛で小さく奏でているとどこからか気忙しい足音がこちらへと向かう音がした。
「ひゃうっ」
道のカドから帽子を被った小柄な少年勢いよく飛び出た。自分に気づいて足を止めようとするが、勢いが殺しきれずに帽子が地面に落ち、大きく体が前のめる。顔から地面に倒れそうな少年へとリアが腕を伸ばして支えると、その体は思ったよりも柔らかい。
「……あ、ありが……とう」
ゆっくりとこちらを向いた少年は、無造作に切られた金髪と、紅のように鮮やかな赤い瞳の、この街には似つかわしくない、汚れのない服と輝くような容貌をしていた。
「……おい」
「は、はい」
「その服、ウェイトリー公爵の使用人のモンだろ。ママが恋しいか、奉公先でイジメられたか知らねえがこんな場末で生きるよりかはマシだ。迷ったなら屋敷が見える所まで送ってやるから、とっとと帰れ」
リアの言葉に、少年の紅色の瞳が静かに伏せられた。表情は諦めたように力無いと言うのに、小さく握られた手はプルプルと握られている。チグハグなその反応に興味を引かれ、少年の出方を静かに見守っていると、ゆっくりと少年の口が開かれた。
「ぼ、僕。その……かえれ、ないんです。理由は、言えませんけど…帰れる家なんて、無いんです」
目を伏せたままポツポツと少年が呟くと、紅色の瞳からポロポロと涙が溢れる。嗚咽さえ出せず、静かに肩を震わせる泣き方は、この少年が悲しみに『慣れている』ことをリアに悟らせた。
「……」
深々とため息が出る。少年がこの『顔』で泣かれるのは自分の心の傷を素手で触られるようで、非常に気分が悪い。だが、その『顔』が、慣れきった悲しみの涙を流しているが故に、リアには見捨てる事ができない。
「……馬車馬みてぇに働けば、飯と寝床くらいは出してくれる所を知ってる。働き口が無ぇならついて来い」
「え?」
リアの申し出に、少年は涙を流していた顔を上げ、信じられないような表情を浮かべて硬直している。数歩歩き、少年がついて来る気配が無い事に気づくと、リアは振り返った。
「何だ? そのまんま呆けてりゃあ、身ぐるみ剥がされて娼館に売り飛ばされるぞ」
「ぼ、僕は男。だもん」
「一つ教える、面が良けりゃ男だろうが女だろうが関係ねえって人種はこの街にゃ山程いるぞ。寧ろガキができない分、男の方が都合が良いって連中さえいる」
「っ……」
リアの指摘に、少年は周囲を見回すと、慌てて自分の跡を追いかけ初めた。己よりも一回りも二回りも小さな体の為か、ずり落ちそうになるズボンを何度も引き上げながら進むため、少年の歩みは遅い。小さくため息を吐き、歩く速度をリアが緩めると、不安そうに眉を寄せ続けていた少年の表情が少しだけ和らいだ。先ほどまで吹いていた口笛を再び吹き始めていると、少年が小さく声を上げた。
「ーー『我が姫に捧げるラプソディア』」
「っ……」
それは、自分が吹いていた口笛の曲名に他ならない。思わず立ち止まり、少年を見つめると叱られたように紅色の瞳が伏せらせた。
「ご、ごめんなさい。貴方が吹いた曲ーー僕の、大好きな曲だったから」
「別に怒っちゃいない、口笛の曲名を当てられたのが初めてだっただけだ」
「貴方も、好きなの?」
同じ曲を知っている事にシンパシーを感じたのか、自分の顔を見上げる少年の瞳は少しだけ興味の色を覗かせている。控えめだが真っすぐな視線から逃げるように目を逸らすと、再び歩き出す。
「別に、この曲だけしか知らねぇだけだ」
「ーーそうなんだ」
自分の返答に、少年の胸に生まれた共感の思いが萎んでいる様が否応でも気付かされる。数歩後ろを歩く少年の顔が再び俯き黙る仕草が、リアの胸をチクチクと刺す。普段の自分であれば、どれもそれも少年のこの顔が悪いのだとむかっ腹が立ちそうなモノなのに、胸に宿るのは罪悪感のような苦々しさだった。気泡の抜けきったエールのような沈黙の空気に耐えられず、どうにか話題を探そうとあれこれと思索を巡らせていると、少年の名前をまだ聞いていない事に気がついた。
「坊主。名前は?」
リアの問いかけに、少年の歩みが止まった。動かず目を伏せる少年の動きに合わせて、己もまた立ち止まり、答えを待った。顔を伏せたまま視線を左右に彷徨わせブカブカのシャツの裾を強く握り続けていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「ーーレイ。僕は……レイ、です」
「レイか」
「あの……貴方の、名前は?」
「リア」
質問に対するシンプルな答えに、レイはパチパチと瞬きを繰り返していたが、表情を緩めて小さく頭を下げた。
「えっと……あの、ありがとうございます。リアさん」
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