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第三章 SCENE1

 国道沿いにそびえ立つ、フランス資本の巨大マーケット。

日本では珍しいテラコッタ風の外壁が美しく、どことなくコパカパーナあたりにある高級ホテルを連想させた。

 愛がミステリーサークルを作るのに『必要なもの』があると主張したために、予定外の寄り道をすることになったのだが……時守は、彼女の意見を素直に聞き入れた自分の愚かさを呪っていた。

 賑やかな入り口から外に出た愛は、後から続く時守を振り返ると、自らの見立てに満足するようにうなずいてみせた。

 「ミステリーサークルにスーツは似合わない……でしょ?」

 得意げに片目をつむる愛とは対照的に困惑の表情を浮かべると、時守は自分のいで立ちを見下ろす。

 デニムのオーバーオールに赤いチェックのシャツ、麦わら帽子に真っ黒な長靴――

誰が見てもテキサスの片田舎あたりにいる農夫だというに違いない。

 もし、真っ白なつけひげが売っていたら、彼女は微塵の躊躇いも無く買っていただろう。彼女の中にあるミステリーサークルのイメージらしいのだが……七十を超える年で、こんな仮装大会のような格好をさせられるとは夢にも思わなかった。

 それに、ミステリーサークルはイギリスの話であってテキサスの話ではない。

 根本的な勘違いを指摘しようとしたが、あまりにも楽しげに服を選んでいる愛の姿に、結局何も言えずに今に至ってしまった。

 「だが……これは、ちとやりすぎでは?」

 「とっても似合っているわよ」

 「そのわりには、ずいぶんと見られているような気がするのだが……」

 自信満々に即答した愛に反するように、通りすがる人々が、例外なく好奇と嘲笑の視線を向けているのが、いやというほどに自覚できる。遠くの方で学生らしき集団が、明らかにこちらを指差して話のネタにしているのが手に取るようにわかった。

 「み、みんな羨ましがってるのよ」

 「言ってくれれば、いつでも代わってやるが……」

 素直な本心を言葉にする老人の腕を、愛は有無を言わさずに引っ張る。

 「さあ、行きましょ!」

 これ以上余計な疑問を持たさぬように、強引に手を引くと、駐車場に戻ろうとした。

 「その前に……景気づけに一杯やらんか? もちろん私の奢りで」

 半ば諦め顔の時守が最後の抵抗を試みるが、愛は前を向いたままその提案を却下する。

 「ダメよ。わたし、車運転してるんだから……」

 ――ただでさえおぼつかない運転なのに。

 立ち止った愛は、時守にそう瞳で語った。

 が、せっかくの好意を拒むのも悪いので、その代わりになるものを近くに探す。

 「じゃあ……」

 巡らせていた視線を止めると、愛はウッドデッキの廊下の突き当たりにある、有名なアイスクリームショップを指さした。

 「御馳走してくださる?」

 「お安いご用で」

 『注文は承ったと』と、言わんばかりに、時守が執事のように恭しく頭を下げた。

 本物の執事より優雅な振舞いの時守であったが、その余裕は次の瞬間にもろくも崩れ去ってしまう。

 「じゃあドレス・デ・レチェとバニラキャラメルブラウニーのダブルね」

 「なんだって……?」

 「じゃあよろしく、向こうのベンチで待ってるから」

 スケクシス族に伝わる魔法の呪文を聞かされたように、ポカンとしている時守に背を向けると、愛はウッドデッキの脇にあるベンチに向かう。

 最後の脱出艇に乗り損ねた哀れな船員のような視線を背中に感じると、愛は悪戯っぽく舌を出し、笑いを噛み堪えていた。


 一人残された時守は途方に暮れたように、その場に立ち尽くしていた。

 「ドレス、デ……?」

 余韻のように耳に残る愛の言葉を反芻しようとするが、無駄な努力であった。

 復唱することさえ不可能なのに、どうやって彼女のオーダーを通せるのだろうか?

 バラバラになったパズルのピースを繋ぎ合わせる方が、よっぽど簡単に思えた。

 嬉しそうに鼻歌を口ずさむ愛の背を恨めしげに見送ると、諦めたようにためいきをつき、重い足取りでアイスクリームショップに向かった。

 

 生まれて初めてのアイスクリームショップ。

自分がこのような場所に足を踏み入れるなどとは、夢にも思っていなかった。

 横文字の看板を見上げていた時守が視線をおろすと、店内では愛よりもさらに低い年代の少女たちで賑わっていた。

 「さて、どうしたのか……」

 あの中に自分が混じっている姿が、どうしても想像できなかった。それは店内にいる彼女たちも同じであろう。

 ――やれやれ……

 自分に無謀な挑戦をさせた愛に呪いの言葉をつぶやくと、時守は神にでも祈るような気持ちで店内に足を踏み入れた。


 柔らかな曲線を描く木製のベンチに座る愛は、ぼうっと通路を行き来する買い物客を眺めていた。

可愛らしいパピヨンのリードを引いている中年の男性、ベビーカーを押している自分と同じくらいの女性……今の自分の状況など関係無いように、穏やかな日常に流れていく人たちを見ていると、何故かほっと心が落ち着いた。

 「今頃どうなってるかしら?」

 店内で奮闘しているだろう時守の姿を想像して、愛は思わず笑みを零す。

 ――ちょっと気の毒なことをしたかしら……

 あと少し待って、彼が戻ってこなければ、助けに行ってあげよう。

 そんなことを考えていた矢先――

 不意に愛の携帯が振動した。

 「ん?」

 ポケットから携帯を取り出すと、ディスプレイに表示される番号に眉をひそめた。

 「母さん?」

 愛が一人暮らしを始めてからは週に一度、週末の夜に電話をよこす母親からの着信であった。

 昨夜も近況を話しあった愛は、イレギュラーでかかってきた母親からの電話に、何かあったのでは……と思い、慌てて通話のボタンを押した。

 携帯を耳に当てた愛は、鼓膜の奥に突き刺さったその声に瞬時に凍りついた。

 それは今彼女が、この世の中で一番聞きたくない人物の声であった。

 「なんで……あんたが?」


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