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第二章 SCENE1

 ネームプレートに『時守聖二』の名前が書かれた病室内では、数名の看護士が慌ただしく動き回っていた。

 主のいなくなったベッドは冷たく――入院患者が姿を消してから、かなりの時間が経過していることがうかがえる。

 それが故に、とてつもなく厄介なことになってしまったと看護師たちは揃って悲壮感を滲ませるが、気ばかり焦って何をするべきかが見えなかった。

 そんな悲観的な状況の中に現れた早川の姿を見て看護師たちは、一図の希望を託すような視線で、時守の主治医を迎えていた。

 「時守さんがいなくなったのは?」

 早川は近づいてきた若い看護士の男に、勤めて冷静を装った声で問いかけた。

 この状況で自分が少しでも動揺を見せれば、若い看護士たちをより深刻な状況に追い込みかねない。

 「おそらく昨日の深夜だと思います。今朝の見回りの時にはもう……」

 救いを求めるような看護士の眼差しにうなずいてみせると、確認するようにたずねた。

 「警察へは?」

 「それが……」

 若い看護士は言い辛そうに口籠る。当然それがなされているであろうと思っていた早川が、看護士に重ねて質問をしようとしたその時、不意に背後で声がした。

 「警察への連絡は、もう少し待ってほしいと……社長の方から連絡がありました」

 困惑する看護士に助け船を出したのは、水島という若い男であった。

 「待つ……どうして?」

 早川は振り返ると、疑問を湛えた眼差しを水島に向ける。

 「あの……身内のスキャンダルは株価にも大きく影響するとのことなので……」

 非難が込められた早川の口調に水島は申し訳なさそうに社長――時守聖二の息子である真一の言葉を、彼なりにオブラートに包んだ言い方で伝えた。

 「株価だと? 実の息子の言葉とは思えん言葉だ……」

 父親が失踪し安否が気遣われるこの状況でも、『時守グループ』代表取締役の頭の中には、会社の利益のことしか頭に無いらしい。

 「全責任は社長が取るとのことなので……」

 「…………」

 早川は呆れたようにためいきをつくと、居心地の悪そうな表情を浮かべる水島に質問した。

 「……で、真一さんは今どこにいるのですか?」

 「社長は今、上海で会議を行っていまして、午後の便で戻ってくるとのことです」

 半ば予想した水島の答えに、どうして真一本人ではなく部下の水島がここにいるかを理解する。

 この緊急の事態にも、会社の会議にプライオリティを置く真一の態度に釈然とはしなかったが、彼が警察への届けを待てと言うならそれに従う他はない。

 待つ以外、何一つ動けずに唇を噛む早川の背後で、女性の看護士が驚きの声をあげる。

 「早川先生!」

 何事かと振り返った早川の目に、窓際に立って下を指さす看護士の姿が入った。

 看護士は窓から顔を出すと、異質なものでも見るように眼下の光景に視線を釘づけにしていた。

 「どうした?」

 急いで窓の方へ向かうと、看護士の隣から身を乗り出し中庭を見下ろす。

 「これは……」

唖然と息を飲む早川の目に映ったのは、鮮やかな新緑に記されたメッセージだった。


 一目で初心者マークが必要と思われるアクセルワークで、真っ赤な軽自動車がレンタカーショップを飛び出した。

 果敢……いや、無謀にも一般道へ挑むその後ろ姿を見送る店員は、彼女が無傷で車を返すこと――それが叶わないなら車としての原形をとどめて置いてくれることを心から祈っていた。

 そんな店員の気持ちなど知る由もなく、運転席の愛は、何年かぶりになるであろうアクセル、ブレーキ、ハンドルと格闘していた。

 助手席では時守が、背後に消えていく店員と全く同じ不安を宿した眼差しで、愛の運転を見守っていた。

「荷持を積むので、もう少し大きめの車の方が良かったのだが……」

「しょうがないじゃない! わたし、ペーパードライバーで、運転なんか何年もしたことがないの! おっきな車なんて絶対に無理よ!」

 必死にハンドルを握っている愛は苛立ちの感情に任せるままにそう返すと、目の前に現れた緩やかなカーブのクリアに全神経を集中させた。

 大きくハンドルを切りすぎたせいか、車は反対車線に飛び出しそうになり、慌てて修正しようと逆にハンドルを急回転させた。

 タイヤがアスファルトに嫌われるように悲鳴を上げ、その反動で時守の体がいやというほどシートに打ちつけられる。

 こんなにスリリングな運転は、長い人生の中でも初めてであった。

 揺りかごのような運転をしてくれた歴代の運転手の存在が、どれ程ありがたかったかを痛感する。

 「人選ミスか……」

 「勝手に選んでおいて、失礼な話ね!」

 精いっぱいの一生懸命に水を差された愛が抗議する。

 時守はポケットからくしゃくしゃになった一枚の紙切れを取り出すと、愛の視界を遮らない位置に差し出した。

 条件反射的に横目でそれを一瞥した愛は、瞬時にそれが何かを把握することができた。

 何万回も視界に入れた自社のポスター――テレビで有名な子役の笑顔の下には、フリーダイヤルの電話番号が記載されていた。

 「な、何!? そんな理由であたしが?」

 愛は信じられないと言うように声を上げると、非難の混じった視線で時守を見る。

 それを認めるようにうなずくと、老人は車酔いで力を失った声でぽつりと言った。

 「運が悪かったようだな……」

 「あなたもね」

 気分が悪いのか、少し顔を蒼白くしている老人に気の毒になった愛は、同情するようにためいきをつく。

 「それで、どこへ向かえばいいの?」

 時守の指示のまま何とか国道に出ることができた愛は、思い出したように質問した。

 真っすぐにフロントグラスを見たまま、時守はドライブの最終目的地を口にした。

 「長野県……」

 「長野県? そんな所まで何しにいくの?」

 思わず素頓狂な声を上げると、時守の横顔に目をやった。

 運転席からの疑問の視線を受け止めるように、老人は重い口調でゆっくりと言った。

 「孫に会いに行く」

 「孫……?」

 時守の口から飛び出した予想外の言葉を反芻すると、さらに質問を重ねようとするが、それを遮るように時守が左の方向を指さし、声をあげた。

 「そこに入ってくれ」

 「え? あ、ああ……」

 突然に難題を突き付けられた愛は慌ててハンドルを切った。


 ウインカーも出さず、巻き込み確認も行わないまま左折した自動車が入ったのは、大きなホームセンターの駐車場だった。

 何度も車を切り返して、誰が見ても大きく曲がっている状態で何とか車を駐車すると、愛は先に降りた時守の後を追って店内に入る。

 平日の朝というせいもあってか、ホームセンターの店内には客が少なかった。

 メジャー、ロープ、懐中電灯……ショッピングカートを押している愛は、時守の手によって次々とカートに放り込まれるアイテムを眺めながら、けげんに首をかしげる。

 「これって何に……?」

 「最初にそれが見つかったのは、千六百八十七年……イギリスのハードフォートシャーの麦畑だった。当時は悪魔の仕業として恐れられておった。あ、次はあそこだ」

 商品が並ぶ棚を見たまま淡々と説明すると、時守は不意に遠くの棚を指さし歩調を早める。

 次の質問をしようと口を開きかけていた愛は、肩透かしを食らったようにカートと共に置き去りにされる。

 「ちょ、ちょっと……」

 愛は慌てて時守の背中を追いかける。

 アウトドアグッズの商品が並ぶコーナーで時守に追いつくと、彼はそれを待ちわびていたようにランタン、バーベキューセットといったキャンプ用品を手際良くカートに入れた。

 「最初の発見から現在に至るまで、九千を超える数が記録されえている……」

 手を休めることなく言葉を続けると、時守はヒントを与え続ける。

 「UFO説、イタズラ説、プラズマ……米軍の兵器、それをめぐる議論は今もなお繰り返されているが、私は宇宙人へのメッセージだと信じている」

 「ね、ねえ、それってひょっとして……?」

 「ミステリーサークルだ」

 『合格』とばかりにそう言うと、老人は愛に背を向けて歩き出した。

 「買い物はこれで終わり……さ、レジに行くぞ」

 「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 一人取り残された愛は、わけがわからないというように声を上げると、慌てて老人の背中を追いかけた。

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