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「兄妹揃って階段から落ちるとはね。プリシラのことを笑えないな。死ななかったけど」
プリシラの兄であるレイナードは松葉杖をついている。
「お兄様は突き落とされたから仕方がないんじゃ……」
「はは。まさか実の母親に階段から落とされるとはね。理解もできないし、好きでもなかったけど驚きだよ」
私だけではなくお兄様もこれから大変だ。
なにせエルンスト侯爵夫人が禁忌の黒魔術に手を出したことで罪に問われており、侯爵はレイナードにすぐさま爵位を譲って領地に幽閉されることを余儀なくされた。私とお兄様が被害者だと見なされたため、爵位のはく奪まではされなかった。
お貴族様は処分が甘いのかと思ったけれど、他にもいくつかあの黒魔術師と関わりのある家があったようですべて爵位をはく奪していたらお貴族様が急に減ってしまうようだ。
「あの両親がもう借金を重ねないからむしろ良かったよ。母親はプリシラが階段から落ちてからどんどんおかしくなっていたし、本当に捕まって良かった」
私がフォルセット公爵家に滞在し始めると、夫人の様子はよりおかしくなっていったらしい。そこに私の母親がお金目当てに接触したのだ。
黒魔術で私の体にプリシラの魂を入れる儀式をするためには、私を公爵邸からおびき出さなければいけない。しかし私が公爵邸から出ることがなかったため、お兄様を突き落としてまでその機会を作ったのだ。
私が見舞いに来た時、お兄様は余計なことを喋らないように睡眠薬で眠らされる予定だった。侍女長サリーが気付いて、睡眠薬を胃薬に取り換えたそうだ。ただ、夫人がずっと張り付いていたためお兄様はああいった形で私に危険を知らせてくれたらしい。
家令のロバートも家族を人質に脅されており、グレンに詳しく喋ることはできなかった。しかし、他にもいた脅された使用人に窓ガラスを割るように指示して隙を作ってグレンに夫人の居場所のメモを渡してくれたらしい。
「いいのかい? プリシラとして生きていくので。僕はそっちの方が公爵家とのつながりが切れなくて助かるけど」
「はい。お兄様の婚約者の方は留学先から戻って来られるんですよね?」
お兄様にもきちんと婚約者がいるのだ。資産家の伯爵家の令嬢らしい。
「今回の件を知らせたら、戻って来てすぐ結婚の流れになったよ。彼女の家も援助をしてくれるし、フォルセット公爵家からの人を派遣してもらえるのは助かる。まぁ、君も君で僕は僕でお互い大変だ」
本当に夫人のプリシラへの執念は凄かった。
夫人に協力した使用人は一緒に捕まったので、エルンスト侯爵家は現在本当に人手不足だ。
これから進む道は決して楽ではない。でもその痛みを私はグレンと分け合うのだろう。
グレンと侍女長サリーが一緒に部屋に入って来る。
「侍女長にはフォルセット公爵家で働くのを断られたよ」
意外なグレンの言葉で思わずサリーを見た。てっきり、あんなことに巻き込まれたからエルンスト侯爵家をやめて来てくれるかと思っていたのに。
「サリー、どうして?」
彼女は私をことあるごとに助けようとしてくれて良くしてくれて、ニセモノであることも最後までグレンに黙っていてくれた。エルンスト侯爵家で彼女だけは最初から今までずっと私に親切だった。
「私ももう若くないので、新しい職場で一から頑張るという気力が湧かないのです」
「そっか」
「それに、あり得ないとは思いますが……もしもの場合にお嬢様の帰ってくる場所を作っておきたいと思います。何かあったら帰って来る家が必要でしょう?」
「家?」
「はい。お嬢様の家です」
家というのは帰るものなのか、知らなかった。何度か瞬きしてサリーの言葉を反芻する。まだ家という馴染みのない単語を理解できていない。
「もしもの場合って?」
サリーが曖昧に笑って言いづらそうにしているので、お兄様が口を開く。
「勉強が辛くなったり、グレンが浮気したり、先代公爵夫人にいびられたりした場合だ」
「そんなことはしない」
「どうだか。その場合はすぐ帰ってきてくれていいよ。ここはプリシラの家だから」
お兄様とグレンがややバチバチとした会話をしている間に、やっと私の心に「家」という単語が沁みてきた。
なくなったフローラ孤児院は私の家じゃない。もう、あんなところに戻りたくない。
でも、サリーは私のお家を作ってくれるのだという。正確には戻れるような場所だろうか。お兄様も良いと言ってくれている。
やっと、プリシラが私の一部になったのだと感じれた。
フォルセット公爵家の人達は良くしてくれる。
お勉強は辛いだろうけど、逃げ出すことはないと思う。でも、家があるのとないのとでは全然違う。知らなかった。私はずっとここにいちゃいけないんだと思っていたから。
「……嬉しい。ありがとう」
「フォルセット様は以前からお嬢様のことを大変気にかけておいででしたから、そんなもしもはないと信じております」
「私、サリーがいてくれて良かった」
サリーはやっぱり優しい。彼女の目にはやや涙の薄い膜が張っている。サリーは私の母親じゃないけれど、母親のような存在だ。
「いいのか、新しい名前にしなくて」
お兄様のお見舞いの帰りに、グレンが心配そうに聞いてくる。
「新しい名前にして、トンプソン伯爵家に養女にしてもらってそれで婚約者に据えることもできる」
「私はプリシラとして生きていくって決めたから。大丈夫」
私が頑張る理由はプリシラに、生きる理由はグレンにもらった。
「プリシラがいなかったらグレンにも会えてなかったから」
へらりと彼に向けて笑うと、グレンはすぐに顔をそむけた。
グレンの表情はいつもヘラヘラしたレイフよりも読みづらいと思っていた。でも、おそらく今は恥ずかしがっている。
私は最初にエルンスト侯爵家に引き取られた時、ベッドでジャンプして前転してそれから月に話しかけた。
でも、これからは心細い夜は床に目を凝らすだろう。いくらプリシラが私の一部だとしても、目で見たものには勝てない。
闇を切り裂くようなプリシラの銀色のツインテールがどこかからのぞくかもしれない。とっても趣味の悪いドレスやタヌキを見てもプリシラを思い出すだろう。
将来のことを考えたらまだまだ怖い。足が竦むし、心まで震える。
怖くて怖くて、やらなくていい言い訳なら百個でも並べられる。お腹が痛い・やっぱり孤児には無理・ガイコクゴ全然分かんない……いろいろ。
馬車がガタリと音を立てた。拍子に胸元のクローバーのネックレスがちゃらりと音を立てる。ネックレスをいじっていると、グレンに手をそっと握られた。
「別のを買おう」
「これがいいの」
「レイフにニセモノだのなんだの言われててケチがついた気分だ」
「大丈夫だよ。ニセモノでも胸を張って堂々と生きるから」
それでも、私は恐怖なんてちっぽけだと思える眩しくて切ない二人の存在に出会えたから。
きっと大丈夫。未来でプリシラと答え合わせをしよう。私がちゃんと悪い子で死ねるかどうかを。
これにて本編完結です!
頼爾作品の中で最も可哀想なヒロインにお付き合いいただきありがとうございました!
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