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『そんないい子ちゃんで死ねるとでも思ってんの?』
プリシラはぷかぷか浮きながら首を傾げて顎を突き出す。腰に手まで当てて、プリシラお得意のとっても偉そうな態度だ。
プリシラの大嫌いは私にとってかなり攻撃力があった。
大好きも大嫌いも、言葉にされるほど私は他人から関心を持たれてこなかった。それに、娼婦の娘ということで最初から他人にうっすらと嫌われているのが普通だった。プリシラの大嫌いはなぜか私の心を抉った。
『もうちょっと悪い子にならないと、あんたとは仲良くなれないわ』
「悪い子って……どうなるの」
『簡単よ。あんたはワガママになればいいのよ』
「ワガママ? プリシラみたいに?」
ワガママって紅茶を人にかけるとか? ケーキ食べたいってディナーの前に騒ぐこと?
『そもそもあんた、グレンのことどうすんの。あと、あの赤毛のいけ好かない王子。どっちにすんの』
「どっちって……どっちもいらない」
『どっちも取ったっていいのに。あんたってほんとにいい子ちゃんよね。じゃあ、私はグレンに憑りついて呪い殺して一緒に連れてっちゃおうかな。一人じゃあ味気ないもんね』
「そんなこと、できるの?」
『あの男がペラペラやり方を喋ってたからできると思うわよ? あんたにしばらくなりかわってなかったから幽霊としても力は蓄えられたみたいだし』
私とプリシラの会話に、タヌキは足元で困ったようにキョトキョトしている。もうタヌキが足元にいても慣れてきた。
『私、レイフは嫌いなのよね。めんどくさいレイフよりかはグレンだわ。愛想はないけど顔はいいし』
それは分かる、よく分かる。プリシラは王子様の肩書には靡かないようだ。
そもそもレイフって娼婦の娘って言うし、脅してきたし。途中からいい人になられても怖いんだよね。
『どっちもいらないなら、グレンは私と一緒に死んでもらっていいわよね?』
「それは……私が決めることじゃないもの。だって、グレンの人生だし」
『そお? まぁ私はグレンの人生なんて考えずに私の好きなようにするわ。だって私はワガママだから』
「え……それは良くないと思う」
『なんでよ。十三歳で死んじゃった私以上の理不尽なんてないでしょ? 良いとか悪いとかどうだっていいのよ、私がそうしたいの』
プリシラがパチンと指を鳴らすと、真っ黒い手が何本も床からうにょうにょと伸びた。
『あ、ほんとにできた! あの男の言ってたこと本当だったのね』
人間の手のようなものがうにょうにょと地面から生えているその気持ち悪さに、悲鳴を上げかけたが呑みこむ。
真っ黒なたくさんの手は外にいるグレンの方に向かって行った。とっても嫌な感じがする。
「や、やめて!」
『なんで?』
「グレンの人生なんだから、ダメだよ」
『グレンの人生なんだったらあんたにも関係ないでしょ』
「関係ないけど! 彼は公爵になるために今いろいろ頑張ってるんだからそんな理由で殺すなんて」
『グレンが死んだって親戚から誰か養子にして継がせればいいだけよ。貴族なんてそんなもんよ』
グレンは、馬車に黒魔術師を名乗っていた男を乗せている様子を眺めていた。
さっきよりもさらに騎士の数が増えている。レイフが今、到着したようだ。彼の赤毛が馬上で揺れている。レイフは本当にどこにでも現れる人だ。
そうしているうちに、グレンの足に黒い手が届きそうになる。
『うーんと、こっからどうするんだっけ。あとは』
「プ、プリシラ。やめて」
『だから、あんたがなんの権利あって口挟むの』
権利?
権利って私にはもともとないよ。生まれてからずっと何の権利もなかった。愛される権利も愛する権利もすべて。
ぷかぷか浮いているプリシラを見上げると、彼女は予想と違って無表情だった。てっきりニヤニヤしてるのかと思ってた。彼女の無表情が怒っているようで怖くて、ワンピースをぎゅっと握る。
「う、奪わないで」
『聞こえないわよ。ハッキリ言いなさいよ』
「……私からこれ以上、奪わないで」
プリシラのドスの利いた声に震えながら出たのは、自分でも予期していない言葉だった。
「プリシラは私から何も奪ってないけど! だから、あの違うの。えっと」
『あんたが私から奪ったんでしょ。立場もドレスも何もかも』
「奪ってない! だって、全部私の持ち物じゃないもん! 私には何にもないよ。何にも持ってない」
タヌキが私たちの会話が急に騒がしくなったせいか、後ろ足で立ってまぁまぁみたいな顔をしている。
私は窓の向こうを見た。相変わらず、グレンの周囲で黒い手がうにょうにょしていて気持ち悪い。グレンはレイフと何か喋っているようだ。レイフの後ろには拘束された銀髪の女性も見える。私の母親は殺されずに、捕まっていたようだ。
「私は何にも持ってない。たまたまプリシラと顔や年齢が一緒だっただけ。プリシラが望むなら、全部ちゃんと返す。もともと私の居場所じゃないもん。でも、グレンだけは……奪わないで」
プリシラはぷかぷか浮きながら目を細めた。さらに怒らせてしまったように感じる。
『なんで他は良くて、グレンはダメな訳? あれはもともと私の婚約者だったんだけど』
そうだね。グレンはプリシラの婚約者で、プリシラのこと嫌ってた。
「グレンだけは私のこと、娼婦の娘ってバカにしなかったから。私、生まれてきた意味なんてないし、生きてる意味もないって思ってた。でも、グレンと一緒にいたらたまに私でも生きている価値があるんだって、誰かに私は愛されていいんだって思えたから。ほんとにたまにだけど」
緊張で喉がひりついた。私はプリシラに積極的に嘘をついたことはないつもりだが、今だけは絶対に嘘をついてはいけない雰囲気だった。
「わ、私はちゃんと悪い子になるから! だから、グレンだけは奪わないで」
タヌキが仲裁でもしようとしてアワアワしている。プリシラはしばらく情けない姿であろう私を眺めていたが、指をパチンと鳴らした。すると、黒いうにょうにょした手は全部どこかへ消えた。
『私にこれからもなりかわって生きるんなら、ちゃんと堂々と胸張って生きなさいよ。たとえニセモノでも』
「プリシラ?」
プリシラは無表情ではない。今、彼女は偉そうに笑っている。
『あんたが悪い子になったら私が迎えに来てあげるわ。あんたといたら私も楽しかった。初めてできた友達よ』
「え、待って。プリシラ!」
『みっともない顔してんじゃないわよ。私はね、湿っぽいのは嫌いなの』
別れの予感がしてプリシラに手を伸ばそうとしたが、激しく風が吹いて木々から木の葉がたくさん舞い上がる。開けた窓からバサバサと木の葉がたくさん入って来た。足元のタヌキが素早くどこかへ移動したのが見える。
あまりの風の強さと木の葉の多さに思わず目を瞑る。目を開けたときにはもうプリシラもタヌキもいなかった。
そして窓の向こうでは、グレンが驚いた表情で立っていた。