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ずっと不思議だった。なんで、みんな私なんかを助けようとするんだろう。
生きたいと願った時は殴られて、死んでもいいと思った時は助けられる。頑張って自由を見つけようとしたこともある。でも、人生なんて悪夢の連続でしかなかった。終わらない悪夢だ。
『あー、あんたたち。もう大丈夫よ』
プリシラのやや呆れた声が聞こえたのでグレンを慌てて押しのけると、燭台を手にしたプリシラの近くに夫人が倒れていた。なぜか、タヌキもしょぼんという顔をして夫人を見ている。
どうしてタヌキが?
フードを被った男も肩から血を流しながら地面に倒れている。これは、プリシラがやったんじゃないよね?
「プリシラ……まさか夫人を殺したとか……」
『なわけないでしょ。ちょっと気絶してもらっただけ。あの男はグレンがピストルで撃ったの。お母様も一発撃たれてるけど、しぶといわねぇ』
「誰と喋ってるんだ?」
グレンは周辺を見回して、公爵家の騎士たちがこの場を制圧したのを確認したようだ。今度は震えていない手で私の足の縄を切ってくれた。
「ありがとう」
「……他に怪我は」
グレンの視線は夫人に踏まれた跡がある手の甲に注がれる。縛っていた跡も酷いが、手の甲も赤いし擦りむいている。
「痛くないから大丈夫」
「それはもう口癖なんだな」
グレンが私の手を取った。他に怪我がないか確認している心配を含んだじっとりとした視線を感じて、思わず俯く。
グレンの手が私のつけていたネックレスに伸びた。クローバーの部分を持ち上げてするりと撫でるが、彼は何も言わない。
彼が間に合ってくれたのは幸運だったのだろうか。私は別に死んでもいいと思っていたのに。
「あの男は国で禁止されている黒魔術を使った。身柄を拘束するから少し待っていてくれ」
しばらくネックレスを触ったまま無言だったグレンは、私にそう言った。私は軽く頷く。
「無事で、良かった」
かすれた声とともにグレンが手放したので、クローバーは私の鎖骨周辺に戻って来る。
後始末を始める騎士たちが動いている部屋で、私のすぐ近くにはプリシラとタヌキがいた。
「プリシラになら体を使ってもらって良かったのに」
『あんたくらいよ。私にそんなこと言うのは』
プリシラはまだ枷がついている手首を鬱陶しそうに払いながら、私の横に来る。試しに枷を引っ張ってみたが、触れたものの「痛いわね!」と怒られただけだった。
「どうして……私を助けてくれたの?」
『あんた。私に勉強頑張れって言ったじゃない』
「ごめん、そんなにお勉強嫌だった?」
『私はね、お母様にそんなこと言われたことなかった。お勉強なんてしなくっていいって、プリシラは可愛いんだからってずっと言われてた』
「あぅ、ごめん」
『私の話をちゃんと聞きなさいよ。お母様って別に私のこと愛してたわけじゃないのよ。お母様の中には理想のプリシラっていう娘がいて、それを愛してただけよ。だから、公爵家に嫁ぐのにお勉強なんてしなくていいって言ってたの』
「……よくわかんない」
『これが分かんないなんてお子ちゃまよね。まぁあんたは孤児だから仕方がないか。簡単に言えば、お母様は私を好きなように支配したかったのよ。自分の思い通りの娘にしたかったの』
支配。それは私が最も嫌いで最も逃げたいものだった。
「プリシラも支配されてたってこと?」
『うん。生きてる間はさ、私は愛されてるって信じてた。死んでからも信じたかった。あんたみたいに叩かれてもないし。でも、私が死んだ後のお母様はずっと変だった。プリシラならああするだのこうするだの。私、そんなことしないし。私のことも認識できないしね。結局、お母様って私のこと大事じゃなかったのよ』
プリシラは三角座りの状態で床から少し浮いている。
「でも、プリシラのこと生き返らせようとするくらいには大事だったと思うよ?」
『あんたが思い通りにならないから嫌になっただけでしょ。私に『生き返りたい?』って聞いてくれたわけじゃないもの。お母様の愛っておかしかったのよ。私があんたの体に入ったところで、お母様以外誰も喜ばないわよ。それこそ、私があんたのニセモノになるわ。グレンにとってもね。嫌よ、そんなの』
「グレンは別に……体があればケーキだって」
『ふぅん、じゃあ私があんたの体に入ってグレンと結婚しても良かったわけ?』
「プリシラがそれでいいなら良かったよ。お勉強はすっごい大変だから幸せかは分かんないけど」
プリシラはなぜだかため息をついた。
『はぁーあ。私はあんたに『お勉強、頑張ってね』って言われた時に感心したのにね。分かってたわけよ、お母様はああ言ってたけど、今のままじゃダメでお勉強を少しはしなきゃいけないってことくらいさぁ。でも私の周りには言ってくれる人はいなかった。いや、私が聞いてなかったのかも』
プリシラは三角座りをやめて立ち上がり、部屋の中を歩き回って指示を出しているグレンの後ろに回って首に手を回す。もちろん、彼女は人の体には触れられない。
首を絞めているわけではなく、グレンの首に両手で抱き着いているような形でプリシラはにんまり笑って私を見た。プリシラと私の外見は着るもの以外ほとんど同じなのに、そして透けているから触れていないはずなのに、その光景をなぜだか見たくなくて視線を落とす。
『あんたってほんといい子ちゃんよね。嫌いだわ』
プリシラが戻って来て私の前に浮いている。嫌いに反応する前に、ガシャンとプリシラの手首に嵌まっていた枷が外れた。
「あ……!」
『やっと、あの男の魔術が切れたみたいね。あんたと喧嘩してからこれに捕まっててこの家から出れなかったのよね~。はぁ、快適』
プリシラは嬉し気に手を動かすと、タヌキを振り返った。
『じゃあ、そろそろ行きましょう』
「どこに行くの?」
『私は魂が迷子の状態だったらしいのよ。そのタヌキが言うには』
「タヌキが言うには?? 会話できるの?」
騙されてない? タヌキに。だってタヌキとキツネって何かに化けるんでしょう?
『そ。でもそろそろこの世界からあの世に行かないといけないみたい。時間切れってやつ。これ以上留まると一生私は生まれ変われないんだって』
「プリシラは生まれ変わるの?」
私はそこで気付く。またプリシラと一緒に過ごせるのかと勝手に思っていたことに。さっきまで死にたかったのに、変なの。
『そうよ。また金持ちで美人に生まれ変わるんだから。このポンポコがあの世の入り口まで連れてってくれるって』
タヌキが「お金持ちで美人」のところで首をかしげていたのは見なかったことにしよう。このタヌキは多分助けに来てくれたんだろうし……。窓にジャンプしてへばりついてくれたんだし……。
「わ、私も一緒に連れて行って」
『は? あんたは死んでないでしょ。とりあえずチョコレートしこたま食べなさいよ』
「でも……生きてたってしょうがないし。それにプリシラがいなくなったら……私はまた一人になっちゃう」
知らなかった。一人がこんなに怖いなんて。ずっと孤独とは友達だったはずなのに。
『あんたにはグレンがいるでしょ』
「グレンは違うもん。結婚はしないし……それにプリシラがいなくなったら寂しい」
プリシラは何度か瞬きした後に、ぷかぷか浮いたままぎゅっと唇を引き結んだ。
『私はあんたが嫌いよ。大嫌い。だから一緒になんて来ないでちょーだい』
今度は私が言葉をかみ砕くまでに瞬きして、ぎゅっと唇を引き結ぶ番だった。