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いつもお読みいただきありがとうございます!

 グレンは夕食の席に現れなかった。忙しいから部屋で食事を摂るらしい。ここ最近は頻繁に外出しているし、本当に忙しそうなので嘘ではないはず。

 そう思いながらもちらりといつもグレンが座っていた席に視線をやった。


「あら、食欲がないの?」


 まったく食事が進まない私を見て、先代公爵夫人は驚きの声をあげた。


「熱でもある?」


 先代公爵夫人の声で侍女が側までやってきて、額に手を当てたり手を触ったりする。熱なんてない。それによほどの高熱じゃない限り、ご飯は食べる。特に目の前のエビは。


「そうよね、お兄様が階段から落ちては心配よね」


 熱がないと分かると、先代公爵夫人は納得したように口にした。


「はい……」


 おかしいな、エビ一個でお腹いっぱいになってしまった。いつもならもっと食べるのに。柔らかいふわふわのパンをちびちびちぎって食べていると先代公爵夫人が給仕たちを下がらせる。


「お兄様のお見舞いには行った方がいいわ」

「はい。お兄様は良くして……くださったので」

「それは良かったわ。お兄様が階段から落ちたのは本当のようだから、お見舞いにいかないとエルンスト侯爵夫人がうるさいのよ」


 少なくとも、プリシラの兄は脅しも叩きもしなかった。侯爵夫人から一度助けてくれたもん。兄は借金のことで頭がいっぱいで大変そうで、草をピンセットで抜くほど悩んでいたけれど。私も私でプリシラが現れてからは兄に頼ることもなかった。


 そうだ、エルンスト侯爵家に行けばもしかしたらプリシラがいるかもしれない。


「グレンには断ったのね?」

「……はい」

「グレンのことが嫌いだった?」


 どうしてこの人は私が断ったと知っているのに、グレンのことが嫌いか聞いてくるのだろうか。もしかして次はレイフに行くなんて思われてる?


「き、きらいです」


 思ったよりも声が震えてしまった。パンをまた小さくちぎる。その手もなぜか震えている。知らなかった、人に嫌いって言うのってすごく怖いのね。


「そうね、あの子の態度はまぁ酷かったわ。プリシラ嬢の誕生日パーティーでダンスの後に放置したと聞くし。孤児院でも無愛想に立っているだけだったでしょう。あなたがうちに来ていてもブレアにかかりきりで、クモも取ってあげられない。グレンの誕生日パーティーでダンスの挽回をするのかと思ったらそれもしない」

「そこまで言わなくても……」


 先代公爵夫人にとってグレンは孫だから可愛いのかと思っていたが、今日は辛らつだ。

 女性に触れないなら仕方がない。思い返せば、グレンは私のことをプリシラだと思っていながらも孤児院から帰って医者にみせてくれたし、チョコレートムースだってくれた。ダンスは私だってあんまりしたくなかったのもある。誘拐の時も探してくれてたみたいだった。


 グレンはレイフみたいに脅してこないし、いい人だと思う。

 彼は立派で、家族に愛されているお貴族様なだけ。そんな人が何にもない私のことを好きなわけがない。悪い病気にかかってるんだよ。私のこと、珍しい動物か何かだと思ってない?


「あなたがお兄様のお見舞いに行って、帰って来てから婚約解消の手続きを進めましょう」

「……はい」

「あなたがこちらにいれば、危害を加えられることもないから」

「あ、ありがとうございます。解消したらすぐに出て行くので……」

「そうねぇ、でも侯爵家の追手が来たら困るでしょう。婚約解消に向こうが応じない場合、あなたがニセモノだったということを周囲に明かさないといけないもの。あなたが他に捕まったら、似ている容姿で利用されてしまうかもしれない。まずは公爵家の領地に匿うわ。あなたの銀髪は目立つから……そこから他国に行ってもいいかもしれないわね」

「あ、はい……何から何まで……ありがとうございます」


 逃げようと覚悟していた。抜け道だって見つけようとして失敗していたけど、こんなに呆気ないものだったんだ。


「最後に聞くけど、本当にいいのね?」


 先代公爵夫人は私に話しかけながら綺麗な動作でナイフとフォークを持って食事をしている。音もほとんどしない。カチャカチャいってたのは私の食器だけ。

 そのことに気付いて、また猛烈に恥ずかしくなった。こんなの、絶対に無理。あんな音もなく綺麗に食事して、ずっと背筋を伸ばして。いろんな人が寄って来て……それにきちんとそつなく答える。無理。私にはできない。私はこんな風に一生なれない。


 だって、私は地べたでカビたパン平気で食べてたんだよ。こんな柔らかいパンが存在するなんて、さらにエビなんて存在するって知らずに。チョコレートだって見たことも食べたこともなかった。


「はい。何度おっしゃられても、私には結婚なんて無理です。ここまで良くしてくださって本当にありがとうございました」

「分かったわ。グレンには新しい婚約者を探すことにするわ。候補はたくさんいるの。でも、この前みたいに飲み物をかけるご令嬢は嫌よねぇ?」

「……そうですね」

「ブレアのトンプソン伯爵家にも聞いてみようかしら」

「ブレア、いえブレア嬢は可愛いですから」


 食事が終わって席を立とうとする。


「ドレスやアクセサリーは持っていきなさい。あなたのものよ」

「あ、でも……公爵家で仕立てていただいたものは置いて行きます」

「そうねぇ……では先に換金しておくことにしましょうか」


 先代公爵夫人に礼をして部屋から出た。

 これでいいんだ。私はもともとプリシラじゃないし、プリシラじゃないってバレたんならここにいちゃいけないんだから。ただ、私はエビとチョコレートとお別れしたくないだけだもん。もうちょっと今日食べておけば良かった。でも、なぜだか喉を通らなかった。



「弁えすぎているというのも問題だこと」


 先代公爵夫人カルラは出て行った彼女の背を見送りながらつぶやいた。


「すべてはグレンがヘタレなのかしらねぇ。ねぇ、あなた。不思議だわ。あなたがこの婚約を決めてきた時にあなたを殺したいほど憎んだけれど。面白いこともあるものね」


 壁にかかった死んだ夫の肖像画に話しかける。

 もちろん、肖像画の中の夫は何も言わなかった。


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