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おかしい。
プリシラが現れないことではなくて。
フォルセット公爵家の使用人の方々が優しいのだ。
エルンスト侯爵家よりも人数が多く、きびきびぴしっと動いている感じの彼らは初日から優しくなかったわけではない。ただ、初日は冷たさを感じたというか……プリシラ相手なのだから当たり前ではある。
それなのに、熱を気合で下げてからその冷たさがないのだ。
とある一部の侍女たちからはものすごい世話を焼かれて困る。プリシラの案内がない中でプリシラの演技を続けなければいけないのに、こんなに構われては。熱を出す前に私、変なことを口走ってないよね?
「プリシラ様、お昼に食べたいものはございますか?」
まさかのランチ内容リクエスト制。これエビって言っても叶えてくれるんだろうか。
「ケーキが食べたいわ」
プリシラの演技をしないと、と思って食べたくもないケーキをリクエストしたが久しぶりに高熱を出した影響で胃にもたれて吐きそうになった。
頑張ってもう一皿食べようとしていると、グレンに取り上げられた。
「無理はしなくていい」
「食べたいんだけど」
「そんな顔には見えないし、そんな卑しく食べなくてもいつでも食べられる」
卑しく、か。そしてケーキはいつでも食べられるのか。
お貴族様にはそう見えるのか。もし私が孤児院にまだいて、あり得ないけどケーキが出たら高熱が出た翌日でも絶対に食べていただろう。甘いものなんてたまに出入りする商人がお情けでくれる飴くらいしか食べたことがなかったもん。
私が黙り込んでいると、グレンはケーキを私の前に戻した。
「そんなに食べたいなら、その……悪かった」
言いにくそうに紡がれる言葉。彼はこれがいつでも食べられる環境で育ってきたのだ、もちろん難しい勉強をしているのも知っているから八つ当たりなんてしない。
彼が公爵になったら毎日ものすごく忙しいのだろう。だって、フォルセット公爵は夜遅く家に帰って来るもの。公爵夫人も社交だと毎日のように出かけているし、来客も多い。
あまりにも住む世界が違う、そして公爵家はエルンスト侯爵家とも違う。
「やめておくわ。病み上がりだし。あなたが正しいんでしょうね」
プリシラならここで意地でも食べるんだろうか。分からない。
でも、私の胃はキリキリしているから食べても多分吐いてしまう。そんなこともったいなくてできない。余ったら使用人の誰かが食べるだろうし。
というかグレンって食事の度に私のところに顔を出すのはなぜなのだろう。忙しそうなのに、実は暇なの?
***
目の前の彼女を観察する。
やっぱり、彼女はプリシラ・エルンストではない。ケーキを何皿も食べていたあの日は完全にプリシラだったが……一体どうなっているんだ。
わざと「卑しく」という単語を使うと顔を顰めてケーキを見ている。潰れたフローラ孤児院を調べ直させたら本当に3番と呼ばれた子供がいた。娼婦の娘で、ずっと卑しいと言われていたらしい。やっぱり、それが彼女だ。プリシラに卑しいなんて言ったら病み上がりでも絶対に何かが飛んでくる。
高熱を出す前のことはあまり覚えていないらしく、今でもプリシラとしての演技を続けようとしているのがなんともいじらしい。ケーキだって本当は食べたくなさそうな顔だ。
プリシラのなりかわりについては、今のところ両親と祖母しか知らない。あとはレイフ。
しかし、使用人たちは今プリシラ・エルンストとしてここにいる彼女に丁寧で親切に接している。最初は丁寧でも冷たく一線は引いていた、だってあのプリシラだ。
だが、ここにきて侯爵夫人の虐待疑惑とあの錯乱である。どう見てもあれは演技ではなかった。あれが演技だったら女優になった方がいい、真剣に。
あの錯乱を近くで見ていた侍女たちは彼女のことをとても可哀想に思ったようで、親切に接し始めた。侍女たちの中では、母親からの日常的な虐待によって性格が歪んでしまった可哀想なお嬢様なのだろう。あるいは、母親からああいう令嬢になるように強制されていたように見えている。
「君の調子が戻ったら、ずっと延期し続けていた勉強を始める」
綺麗なグリーンの目が疑問に満ちた様子でグレンを見た。
「公爵家に嫁ぐための勉強だ。以前は君が嫌がったからずっと延期していた」
嘘だ。プリシラと結婚なんてしたくなかったから始めていなかっただけだ。あの女は勉強を普通に嫌がっていた。
「そうだったかしら、覚えてないわ」
「ここにとどまってもらうから、ついでに開始しよう」
「どーせやらなきゃいけないんでしょ」
嫌そうにしながらも彼女の目には迷いが見えた。
どれだけ俺はプリシラの顔を見ていなかったのだろう、こんなに分かりやすいのに。
「あと、俺の誕生日パーティーが二か月後だ。君はどうせ覚えてないだろうが」
「毎年招かれていないのに、覚えてるわけないわ」
「それは君がパーティーで『もう呼ばないで、つまんない』と言ったからだ」
「いつの話よ」
「七歳。だから翌年から希望通り呼ばなかった」
「覚えてないわ、そんなこと」
流れるように否定の言葉を口にしながら、彼女は激しく動揺している。目に完全に感情が出てしまっている。
加虐趣味はないはずなのにプリシラの演技をしながら困惑している彼女を見て出てきたのは、可愛いという感情だった。
「今回はさすがに出てくれないと、婚約を疑われる」
「分かったわよ。ここまで助けてもらっといて出ないなんてないから」
「じゃあ、もう少しまともなドレスを仕立てよう」
「私にはお金がないわ」
あぁ、やっぱりプリシラじゃない。彼女なら「まともじゃないですって!」とキィキィ怒るはずだ。
本物のプリシラが亡くなった、あるいは公爵家に嫁げないような怪我を負ったと仮定して……彼女は一年でここまでやったのか。プリシラは令嬢としてはかなり微妙で恐ろしく偏食だが、食事マナーは割ときちんとしていた。孤児がここまで習得するのは大変だっただろう。
可愛くて、緩みそうになる口元を手で隠す。
「不安ならおばあ様も同席するから一緒に選ぶといい」
部屋にいる侍女たちの表情がほんの少し明るくなった。あの趣味の悪い格好も強要されたのではないかと疑っていたのだろう。
ドレスの件をなぁなぁにして承諾させたことにしようと、グレンはさっさと話題を変える。
「あとはレイフが見舞いに来たいと言っている。誘拐事件のことも気にして」
「なんで第二王子が。会いたくなんかないわよ」
これは本音だ。拒絶の色がありありと出ている。レイフは彼女がニセモノだと気付いているし、宝石店でも「ニセモノ」とからかっていたからな。いや、あれは嫌がらせか。俺に遠回しに伝えながら彼女で遊んでいたわけだ。
グレンがニセモノだと知っていると分かれば、彼女からこんな拒絶を向けられるんだろうか。それは嫌だ。あんな目を向けられたくない。
そこまで考えてグレンはやっと気付く。
恋なんて愚か者がするんだとばかり思っていた。十歳の時に襲われかけて女が怖かったのに、今ではまるで青二才のように彼女の反応に一喜一憂している。
一生、誰か好きになることなんてないと思っていたのに。どうせ政略結婚だから。
青二才のように恋に落ちたとグレンは認めなければいけなかった。