5(グレン視点)
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「プリシラ嬢はまだ目を覚まさないの?」
「えぇ。あの夜から高熱が出てうなされていて、まだ意識が朦朧としています」
「そう。安易に繊細なことを聞きすぎたかしら。可哀想なことをしてしまったわ、まさかあんなに錯乱するほどショックを受けるなんて」
「医者も同席させて聞かないといけなかったでしょうか。それかもっと信頼を築いてゆっくり聞かないと……」
侯爵夫人の暴力について聞くと、彼女は明らかにおかしくなった。
母親からの暴力による二重人格を疑ったが、空中を見て狂ったように話しかけ続け最後には泣きながら何かに縋りつこうとした。捻った足で無理矢理歩いて。彼女にしか見えない何かに話しかけていたようだ。しかも「プリシラ」と呼び掛けていて……最初は侯爵夫人のことを「お母様」と呼んでいたのに、途中から「侯爵夫人」に変わっていた。
軽い気持ちで手が出せないくらい、彼女の声と表情は悲痛で。あれが演技だとは思えなかった。さらに高熱まで出している。彼女のあまりの痛々しさに侍女の中には泣き出す者もいた。
「侯爵家の侍女長は他には? 彼女がニセモノだということは言いましたか?」
「暴力の件は聞き出せたんだけど、ニセモノだということは否定しているわ」
「エルンスト侯爵家は給料が他より安いのに忠誠心のあることで」
「忠誠心があるなら暴力のことも言わなかったはずよ。あの子のことを守ろうとしているのかもね。長く一緒にいて情が湧いたのかもしれないし」
なるほど、その線もあるのか。
ひとまず、エルンスト侯爵家の侍女長からこれ以上情報を得るのは今のところ難しい。プリシラの兄であるレイナード・エルンストも何か知っていそうだがエルンスト侯爵家の人間だ。迂闊に聞いてエルンスト侯爵に情報が洩れても困る。
「彼女の容態が安定するまで話は聞けないので、俺は自分なりに彼女のことを調べてみます」
「あら、どこへ行くのかしら」
「誘拐事件の時に彼女が見て反応した警備隊の一人を調べます」
「うまく人を使いなさい、次期公爵としてね」
彼女が反応した警備隊の隊員の名前はグレッグ。
勤め始めて数年、新人ではなくなったくらいの隊員だ。短い茶髪でまだ若い。
経歴を眺めていてふと気になった。
「彼はフローラ孤児院から商人夫婦に引き取られて、警備隊に入隊か」
フローラ孤児院とは、環境が劣悪だったあの孤児院だ。まだしっかりしていた時期だったのか、ちゃんと記録がある。
なぜ彼女は彼に反応したのか。しかもグレッグの方も彼女を凝視していなかったか?
貴族令嬢の中でもプリシラはかなり見た目がいい。本人も自覚していたようだし、俺からはもちろん伝えたことはないが珍しい銀髪にこれまた珍しいグリーンの目。この組み合わせが珍しいのだ。銀髪とグリーン目、片方だけならいるにはいるが両方を持つ者は少ない。
それにあの趣味の悪いワンピース。リボン・フリル・ドレープでゴテゴテの。ブレアも「お姉さまのあのドレスだけはちょっと……」と言ってしまうほどの酷い趣味。あのアンバランスさでうっかり凝視してしまうのは分かるが……本当にそれだけだったのだろうか。他の隊員たちとグレッグの様子は明らかに違っていた。
「グレッグをもう少し調べてくれ」
グレン本人が歩き回りたいところだが、護衛を何人も連れて行かないといけないので目立ってしまう。
「プリシラ……行かないで」
「ずっとこのような調子で。熱も下がりません」
彼女のところに行くと、熱でうなされているのかそんなうわ言を口にしていた。
どういうことなのか。彼女がプリシラでないことはもうこれを見て確定だが、まるでプリシラと喋っているようなこの言葉の意味はどういうことなのか。やっぱり二重人格なのか。
グレンが悩んでいると、なぜかレイフが知らせを持って来た。
「プリシラ嬢。誘拐事件の後からここにいるんだって?」
「高熱だから面会はさせられない」
レイフが急に訪ねてくるのはいつものことなのに、こんなに警戒してしまうのはなぜだろう。思わず、拒絶するように低い声が出てしまった。
「まぁそれはいいんだけどさ、グレンもあの男を調べてるんだろう?」
「誰のことだ」
「警備隊のグレッグ。彼、今捕まってるんだ。牢屋にいるから会いに行かない?」
「は? どういうことだ?」
「ついさっき逮捕されたんだよねぇ。横領で」
「横領? 警備隊の備品でも盗んでいたのか?」
「警備隊の備品を木箱ごと横流しして売ってたんだよ」
「どうしてレイフがそれを知ってるんだ?」
「俺が目撃したから」
レイフも彼女の反応を疑問に思って、グレッグを張っていたらしい。そして夜中に警備隊の倉庫から備品を盗んでいるのを目撃したのだ。いつものことだが、第二王子なのに身軽すぎる。
「で、行くの? 行かないの? 気になるじゃん?」
レイフは彼女のためにやっているのか、自分の楽しみのためにやっているのか分からない楽しそうな顔でグレンの目の前まで顔を寄せて来た。
「行く」
「そうこなくっちゃね」
グレッグは平民なので、地下の汚い牢に入れられていた。しかも元警備兵ということで他の囚人から暴行を受けたらしく、頬や目を腫らしていた。
「お貴族様が俺に何の用だ?」
面会部屋に連れてこられたグレッグはしばらくレイフとグレンの顔を眺め、誘拐事件のことを思い出したらしい。
「まさか、あの時の二人に目をつけられて俺の横領はバレたのか? 最悪だな」
「どうして、あの時に俺の婚約者を凝視していた? 知り合いなのか?」
「いんや、知り合いによく似てた。まぁ、そんなわけないけどよ。俺が言った知り合いってのは、孤児院で一緒だった孤児だよ。綺麗な子だったけど娼婦の娘でさ、蔑まれてた。あんな綺麗なお貴族様の格好して歩いてるわけないのにな。思わずしげしげ見ちゃうくらいよく似てたぜ」
グレッグは疲れている様子なのにとてもよく喋った。
「あっちも俺を見てた気がするけど、気のせいだろ。俺にはお貴族様の知り合いなんていねーし。あの子、どうなったかな。お貴族様には縁のないひでぇ話だろ。生まれた瞬間、娼婦の母親に捨てられて名前もつけられねぇ。孤児院でもあそこはクソだったからな。職員もめんどくさがって子供の世話なんてほぼしねぇし。しかもあの子、名前もつけてもらえずに番号で呼ばれてた。3番だってよ。俺でも酷すぎてびびったぜ」
占い師の言葉が思い出される。「3」がカギだとあの老女は言った。
彼女が一体誰なのか、段々見えてきた。
「なんで備品の横領なんてしたんだ?」
レイフが薄笑いを浮かべたまま何も質問しないので、グレンが質問を重ねる。
「生活が苦しいからさ」
「警備隊の給料なら食べて行けるだろう?」
レイフがやっとここにきて口を開いた。
「良い暮らしがしたいだろうが。楽にさ。お貴族様にはわかんねぇだろうよ。あの孤児院で俺は暴力を受けて育っちまった。引き取られた先でも気に入らなければ親から暴力だ。それなのに真面目になんか働けるもんかよ。警備兵なんて酔っぱらいの仲裁とかあるんだぜ?」
誘拐がそこまで頻繁に起きるわけでもない。治安がいい方なので警備兵の主な仕事は仲裁なのだろう。
「何であの給料で酔っぱらいの仲裁なんてして殴られなきゃいけないんだよ。こっちが殴ったらいけねぇのに。何で酒飲んだ関係ない奴に殴られなきゃいけないんだ? なぁお貴族様」
グレッグは最後に身を乗り出してきた。
「いいよな、金持ちは。俺たちみたいなクズのことなんて知らずにのうのうと生きてるんだから。寄付だってそりゃあしてるんだろうけどよ、俺たちに届いてなかったら意味なんてねぇ。お前らに俺たちみたいな貧しい者の気持ちなんて分からねぇよ」
監視していた騎士によってグレッグはイスに引き戻される。
「あんな境遇で育って普通に働くなんて無理だな。殴って従えればいいじゃねぇか。備品なんてたくさんあって使わなかったら次の予算減らされるんだから、横流しして売って何が悪いんだよ」
グレンは彼の濁った目から視線をしばらく離すことができなかった。彼女の澄んだ目とはあまりにも違う、濁った目。彼女だって同じような境遇だったはずだ。それなのにグレッグとなぜこんなにも違うのだろうか。
「帰ろうか」
「あ、あぁ」
呆然としていたが、レイフに促されて地下牢から出る。地下牢は汚くて暗かったので陽の光がとても眩しく、風が新鮮に感じた。
娼婦の娘で3番、さらに言えば孤児。
だからパンがカビているかどうかを気にしていたのか、君がカビたパンしか食べていなかったから。食事のおかわりなんてしたことがなかったから。孤児院に長くいたからあんなに子供たちの扱いが上手かったのか。
ウワサで知ってたんじゃない、君があのフローラ孤児院にいたのか。あれは君の実体験だったのか。
エビとチョコレートが好きなのは紛れもなく彼女自身だ。プリシラじゃない。
やっと俺は君の正体に近付いた。やっぱり、彼女の正体はプリシラ・エルンストではなかった。3番、確かにそれはカギだった。
そのことにグレンは自分でもなぜだか分からないほど激しく安堵していた。婚約解消の文字などどこかへ飛んで行っていた。
ほとんど変わらない自分の表情が変化して、口角が上がってしまっていることにも気付かなかった。
そんな様子をレイフが何か言いたげに見ていたことにも気付かなかった。正直、レイフの存在なんて忘れてしまっていた。
もっと彼女のことが知りたい。プリシラではなく、彼女のことが。なぜかそう思ってしまった。