2(グレン視点)
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誘拐があった翌日、グレンは祖母とともにエルンスト侯爵家を訪れていた。
「今回のように誘拐があっては困るので、昨日お話したようにプリシラ嬢にはしばらくフォルセット公爵邸で過ごしてもらいます。こちらよりも護衛の数がいますので」
「えぇえぇ、かしこまりました」
エルンスト侯爵は迷惑料としてテーブルに置かれた現金ばかりを見ている。侯爵は本当の娘が婚約していた時もこんな態度だった。ある意味、変わっていない。
「あ、あの。プリシラは怪我をしているんですよね? それなら落ち着けるこちらで過ごした方がいいかと」
「くどいぞ。昨日も説明しただろう。申し訳ありません、なかなか妻は子離れができておらず」
夫人が不安そうに口を挟むが、侯爵は不機嫌そうに夫人の話を遮った。
「こちらの責任なのでプリシラ嬢の治療もしっかり致しますわ。使用人の数も多いですし快適に過ごしていただけるかと。それに今のままでは結婚してから苦労するので、この機会に公爵夫人としての勉強も早く始めてもらいませんとね」
忙しい父母に代わってグレンについてきてくれた祖母の言葉に、侯爵は露骨に喜びを隠さない。結婚すればさらに援助が引っ張れると思っているのだろう。実の娘が死んでも、身代わりを立てるくらいだ。
「それも我が家でできないものでしょうか」
「それはつまり、私かフォルセット公爵夫人に毎回ここに通えとおっしゃっているの? 私はこの足で?」
「い、いえ」
夫人の言葉を今度は祖母が一刀両断した。祖母は悪くした足と杖を思い切り利用している。
「プリシラ嬢をお預かりするのは誘拐の心配がなくなるまでです。今回の誘拐にはどこかの派閥が絡んでいるかもしれません。その後は我が家に教育のために通っていただければいいわ」
公爵夫人として社交界を牛耳っていた祖母の威厳はなかなか衰えていない。エルンスト侯爵家が侯爵家の中では弱いせいもあるが……。エルンスト侯爵家が我が家に言えるのは祖父を助けたというその一点のみだ。
「プリシラ嬢に快適に過ごしてもらうために彼女の身の回りのよく使う品を持って行っても?」
「もちろんです。侍女長に案内させましょう」
連れて来た侍女たちが侍女長と呼ばれた人物について出て行く。夫人は何か言いたげだが、侯爵は上機嫌で何も疑っていないようだ。
「あとはプリシラ嬢の好物も聞いておきたいわ」
「それはグレン様の方がよくご存じでは」
「プリシラは甘い物が特に好きで!」
侯爵の言葉をうまい具合に夫人が遮ってくれた。
「甘い物が好きなことはよく知っています」
グレンが答えると、侯爵は夫人を睨んだものの頷いた。
「他にはありますか?」
「……甘い物以外は特にありません。ケーキが中でも好きです」
「分かりました」
あいつの好物は絶対にエビだ。茹でてあっても揚げてあってもいい。あとチョコレート。でも、この二人はそこについて何も触れないんだな。ケーキは食べてはいたが、チョコレート関連が一番好きそうだった。パンは柔らかさを重視している。
「あ、あの。うちから侍女をつけなくてもよろしいのですか」
侯爵夫人は相変わらず不安そうな顔で聞いてくる。なんだろう、プリシラの現状を報告させるためだろうか。
「うちにはたくさんの使用人がおりますから心配には及びませんわ。でも、プリシラ嬢が希望するなら考えましょう。帰ってから聞いてみますわ」
この部屋に控えている侯爵家の侍女の目の色が露骨に変わる。ああいうすぐ表情に出るのはダメだろう。俺に対して媚びた目を向けてくるのも。
説明が終わって、プリシラの身の回りで必要な物を馬車に積み込む。夫人がまたも近付いて来た。
「あの……プリシラが心配なのです。どうか娘への見舞いだけはお許しください」
「どこの派閥が絡んでいるのか分からない今、夫人も危険ですわ。うちとの婚約を良く思わない家があるのかもしれませんし、あまり出歩かれない方がよろしくてよ」
夫人は娘を溺愛していたからか、とにかくプリシラとの接点を作ろうとしてくる。
これは演技なのか? 演技にしてはとても巧みだ。わざわざ死んだ娘の身代わりを立てるのは金のためだろう。あれほどそっくりな人物を見つけてくるのだから。それならプリシラがフォルセット公爵邸に留まれるのは結婚に近付くことなのですぐに賛成するとばかり思っていたのに。
「手紙のやり取りくらいはできますからそれで。少しの間の辛抱です。夫人もプリシラ嬢を危険にさらしたくないでしょう?」
祖母に窘められてやっと夫人は引き下がった。それでも悔しそうだった。
夫人が退散すると、エルンスト侯爵家の侍女長をねぎらう振りをして彼女のポケットに手紙を入れた。階段から落ちた療養中も療養明けもこの侍女長がプリシラの一番近くについていたことは分かっている。おそらく、本物のプリシラは階段から落ちて死んでいる。
侍女長は頭を下げながらわずかに頷いた。これで通じただろう。
ふと二階を見上げると、プリシラの兄レイナード・エルンストがこちらを見ていた。どうするのだろうかと見ていると、彼は二階から頭を下げている。
やる気のない嫡男なのかと思っていた。借金を減らそうと大して見込みのない事業への投資をやめられない侯爵を止めることもできない人物だと。
でも、あの態度は……彼なりの精一杯だろうか。いくらプリシラと不仲だったといっても彼も知っているのだろう。何も見なかったように装ってグレンは祖母と共に馬車に乗り込んだ。