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「あ! あれはグレッグだ」
『誰よ、グレッグって。昔の男?』
「十四歳なのに昔の男なんていないよ」
『どうだか。娼婦の娘なんだからいたっておかしくないわ。で、グレッグって誰?』
「警備隊にいた人。孤児院で一緒だったの」
『あんたと最後に見つめ合ってた茶髪の不細工?』
「不細工とか言わないで!」
『なぁに、その顔。あんたまさかそのグレッグって男好きだったんじゃ……図星じゃないのよ』
「そんなことないってば。数年間孤児院で一緒だっただけで。それにグレッグは年上だったし」
『ふぅーん、まぁあっちもあんたのこと覚えてたんじゃない? あっちの方があんたのこと見てたし。ってかあんた。余裕じゃない。グレンから誘拐がまたあるかもしれないからフォルセット公爵邸で過ごすようにって言われておきながら、他の男のこと考えられるなんて』
「うっ、それは……」
『しかもぶつかった時に足まで捻っちゃって』
「うっ……」
誘拐騒動の後、グレンにお姫様抱っこで馬車まで連れていかれ足が赤くパンパンに腫れているのに気付いた。二階から着地した時は平気だったが、グレンにぶつかった時に捻ったようだ。
そしてなぜかフォルセット公爵邸に連れて行かれ、お医者様の診察を受けた後、留まるように言われたのだった。私はフォルセット公爵邸の客間に現在いる状態だ。
『いいじゃない、何悩んでんの』
「バレるかもしれないじゃん」
『だーかーらー、もうきっとバレてるって。あの会話聞かれて。でもいいじゃない。婚約解消されなさそうだし。あんたは十六歳になって結婚したらここから逃げたら?』
「でもっ! ここは明らかにエルンスト侯爵家より使用人の数多いじゃない!」
『公爵家だからよ。仕方がないわ』
「じゃ、じゃあ逃げられないかもしれない」
『何言ってんの、二階から飛び降りた女が。自由のために頑張るんでしょ。庭師とか侍女を誑し込んで仲良くなりなさいよ』
「う、うん……」
『とりあえずあっちの出方を見ればいいじゃない。ここにいれば侯爵家よりも美味しいもの食べられるんだし。今を楽しみましょ。満月の日には私にも代わってよね。そろそろケーキ食べたぁい。幽霊状態じゃあ寝なくていいし食べなくてもいいけど、ケーキ! いい? 分かったわね、ケーキよ! ケーキ!』
プリシラはケーキと連呼している。その様子を見て、不安に駆られていた自分がバカらしくなってきた。そうだよね……貴族を騙してるってことで殺されるかなと考えたけど、それなら誘拐された時に探さないはずだし……。私がプリシラじゃないってバレても婚約し続ける理由って何だろう。
「プリシラはそれでいいの?」
『何がよ、全然いいわよ』
「一緒にいてくれるの?」
『あんた何をめんどくさい女みたいなこと言ってるの? 私のこと認識できるのはあんただけで、満月の日にはあんたの中に入ってなりかわれるのよ。いいじゃない』
「そ、そうなんだ」
『幽霊って案外暇だしね~。使用人連中のゴシップ集めるのも飽きちゃったし。あんた、何笑ってんの』
「ううん、一人だったら絶対不安で死にそうだったから。プリシラがいてくれて良かったなって。今日も助けてくれたし」
『私のケーキのためよ。いい? 満月の日には絶対ケーキを出すように誘導しといてよ』
「うん、分かった。今日は助けてくれてありがとう」
『当たり前でしょ。私の体が傷モノにでもなるなんて許せないわ』
プリシラは私の中に入ることがあるせいか、自分の体と表現することがある。おかしな気分になる、もちろん嫌な気分という意味ではない。
プリシラと私の境がだんだん分からなくなるような、そんなおかしな気分だ。性格はこんなに違うのに。
***
「まったく。この年齢になって目玉が飛び出るくらい驚くとは思わなかったわ」
「すみません、おばあ様」
「それにしても誘拐ね……逃げ出したから良かったものの」
「レイフも一緒だったので内密に処理してくれるそうです」
「それはそうでしょうとも。誘拐されたなんて知られたらどれほど外野がうるさいか」
グレンは紅茶を飲んで一息ついた。
「まさか、あなたが公爵邸にプリシラ嬢を連れて帰って来るなんてね」
「彼女はプリシラ嬢ではありません」
「それは信じがたいけれど……調査結果を待つしかないわね。あぁ、一部届いていたわ。今分かるのはこれだけよ」
祖母の出してきた書類によると、彼女の正体は不明。しかし、領地にあるエルンスト侯爵家の屋敷に何かを埋めた跡があるようだ。ちょうど棺が入るくらいの大きさの。もしかしたらそこに眠っているのは正真正銘プリシラ・エルンストなのかもしれない。さすがにあそこは掘り起こせない。
「誘拐によってエルンスト侯爵家はまた金と騒ぎ立てるでしょう。さっき説明に行った時も金ではないですが騒ぎ立てていました」
「そうでしょうね。だからあの子を連れて帰ってきたの?」
「はい」
「それはいいわね。どうせ慰謝料だの治療代だの言ってくるのだから」
「どうせなら彼女にここにずっと住んでもらえばいいかと」
祖母はグレンの言葉で額に手を当てて天を仰いだ。
「私は今日でとうとう心臓が止まるかもしれないわ。孫が大いに嫌っていたご令嬢を抱っこして帰ってきて一緒に住みたいなんて言っているのだから」
そんなこと、グレンが一番驚いている。
ただ、レイフが……レイフが今日もいたから。あの場に彼がいなかったら違ったかもしれない。レイフはわざわざ怪しい男を尾行して誘拐されたらしい。この前の宝石店の時もどこからともなく現れた。明らかにプリシラ?に対する彼の行動はおかしい。
「彼女がここにいれば、支度金と称して要求される金をエルンスト侯爵家にもう渡さなくていいでしょう」
そう告げると祖母の目が光る。これは良い反応を引き出せた。
「考えたわね。でも、そんなにうまくいくかしら」
「彼女の荷物を後日引き取るときに、手切れ金のような形で金を渡します。それで最後です」
「もちろん、あちらには気取られないようにするのでしょうね?」
「えぇ、もちろんです。今回の迷惑料とでも言って。あとはこちらで療養中に公爵夫人としての教育をするとでも伝えます。それならば強く反対はしないでしょう」
「いいでしょう。それで? グレン。あの子はどうするの。プリシラ嬢でないのなら、彼女はどこの誰かも分からない、うちには無関係のただの女の子よ。プリシラ嬢なら一応、恩のある侯爵家のご令嬢だったから婚約していてお金も渡していたのよ?」
「それは……その……」
「エルンスト侯爵家への対応は良いわ。でもあの子はどうするの。ここまで連れて来て逃がしてあげるの?」
祖母はまるですべて分かっていて聞いているようだ。
「あの子がもしも犯罪者の子でも、あなたの決断は変わらないの?」
考えてもいなかった可能性を指摘され、思わずカップを落としかける。
「どこかの養女にするのは簡単よ。トンプソン伯爵家とかね。そうすればどこの誰でもあなたと婚約・結婚できる。でも、いいの? プリシラ嬢はおそらくグレンのことが好きだったわ。でも、あの子は? 無理矢理プリシラ嬢の振りをさせられているのかもしれない。脅されたり、親を人質に取られたり。そういうことは考えたの?」
「いえ……考えていませんでした」
「考えなさい、グレン。まだまだ甘いわ。調査結果を待つ必要もあるけれど……あなたの好きだけではあなたも彼女も茨の道よ。公爵夫人は誰でもできるわけではないわ」
「好きとまでは……まだ確証がありません」
なぜか祖母は遠い目をした。医者を呼んで欲しいと言った時と同じ顔だ。
「うちの孫がこんなにポンコツだったなんて。座学ばかりやらせすぎたのかしら。あの件があって皆で甘やかしすぎた?」
「おばあ様?」
祖母は頭痛を堪えるように「まだまだ死ねないわ」などとおかしなことを言っていた。