5(グレン視点)
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ブレアはあの女を大層気に入ったらしい。
俺に対しての恋心は冷めたようで「お姉さま」と連呼してあの女にばかりまとわりついている。
そして、十二歳にしてはあり得ないほど行動力がある。
勝手にあの女に手紙を送って約束を取り付け「グレンおにい様も来たかったらどうぞ」と上から目線で伝えられた。
いや、あの女に手紙を送るのに許可なんて必要ない。どうせ親が手紙内容をチェックしているんだろうし。国内で五本の指に入る金持ちであるトンプソン伯爵家から手紙が来たら、さぞやあの侯爵は縁ができたと笑いが止まらないだろう。
結局医者の診察は受けていない。
おばあ様が頑なに受けなくていいと言うからだ。
今日もあの女が可愛く見えたら俺は絶対におかしな病気になったに違いない。絶対に医者を呼ばなければいけない。
ワガママで癇癪持ちで、平気でクモを掴むような女が可愛く見えるなんてありえない。使用人を叩いているような、怒鳴りつけるような女は公爵夫人にふさわしくない。
「なに、それ」
「あの子供からの手紙」
どうせ会うのならとついでに孤児院から届いていた子供からの手紙を持って行った。手紙を開けて嬉しそうに笑い、とても大事そうにポケットにおさめるあの女を見て思わず顔をそむけた。
この前、あの女を可愛いと思ってしまったのは安物のネックレスを買って渡した時だった。あのはにかんだような嬉しさを隠せない笑い方。
何かの間違いだと。最近はドレスも買っていないようだから安物でも嬉しかったんだろうと思いたかった。
それなのに今日は。
イラクサから庇った子供の、折り紙に描かれた絵に喜んでまたあの表情をした。心臓が不規則な嫌な音を立てる。
なんだよ、あのネックレスと同等にそれは価値があるのか? 子供からの絵に? 面白くない。
ブレアが興奮気味に出てきた。あの女は占いを信じていないらしく渋りながらもブレアに強く出れずにテントに入って行った。
「おにい様、何かお話されました?」
「特には」
「もう! せっかくお姉さまと親戚になれそうなのに! お姉さまは素敵なのですからちゃんとしてください」
「クモを掴んだだけだろう」
「おにい様は私のためにクモを掴んでくれなかったではないですか」
それを言われると痛い。
「すまない」
「いーえ、私はお姉さまがクモを掴んでそうっと木の幹に置いて『とろいわね、さっさとしなさいよ』って言ったのが凄くかっこよかったのでいいんです」
ブレアを医者に診せた方がいいかもしれない。ブレアの好みはちょっとおかしい。あいつのはにかんだような笑顔に見惚れるならまだ分かるが。
「それにしてもお姉さま、遅いですね。占い師の方と盛り上がっているんでしょうか」
「確かに遅いな」
「ちょっと声をかけてきますわ」
ブレアがテントの中に入っていく。確かに遅い。ブレアは二十分もしないくらいで出てきたが……もう三十分以上か。
「おにい様! お姉さまがどこにもいません!」
「なっ! どういうことだ。出入口はここだろう」
「それが……裏口からとっくに出て行ったと」
「テントの中は全部見たのか?」
「もちろんです! テーブルの下まで全部!」
護衛にも探させたが、あの女はテントの中のどこにもいなかった。
「運命が近付いて来たねぇ」
イスに座ったままの占い師の老女がしゃがれた声で意味深に笑っている。
「どういうことだ?」
「あの子は嘘つきで自分を偽っているからね。本来の運命に嫌われてるのさ。まぁ、全部が全部あの子の責任じゃないようだけど数奇な運命の持ち主のようだねぇ」
レイフと話していたプリシラの振りか? その件に関してはまだ調査結果が出ていない。怪しい占い師の言葉を鵜呑みにするつもりはない。
「彼女がどこにいるか、占えるのか?」
「それは無理な話さ、あたしは超能力者じゃないんでね」
「彼女が誘拐されていたらお前も同罪で捕まえる」
「お坊ちゃん。残念だけど、あたしは本当に何にも知らないよ」
これだけ探していないとなると、このテント内にはいないだろう。やっぱり誘拐の線か。この占い師がグルでないとは言い切れない。
あの銀髪は珍しくて目立つ。でも、ブレアが予約したのは偽名で二人分。そもそもこの占いに本名は必要ない。あいつの名前は伝えてなどいないはず。
「お坊ちゃん。3という数字。覚えておきな」
「どういうことだ?」
「3だ、とりあえず3だよ。それがあの子の鍵だ。それ以外はなーんにも見えなかった。面白い子だよ、あの子は」
意味が分からない。しかし、ここで時間を食う訳にはいかない。トンプソン伯爵家の護衛に占い師を見張らせて他の場所を探した。誘拐されるならブレアも危険なので無理矢理説得して馬車に戻らせた。
男が大きな袋を担いでこの辺りを歩いていたという目撃情報があった。ちょうど少女が一人入るくらいの。
あんなに人が多くいる場所で誘拐なんて起こらないと、テントの出入り口は一つだと油断していた。
「坊ちゃま。ここから先は人気もなく治安も少し悪いので私どもで」
護衛にそう言われたが、あの女を探し続けた。無駄に走って汗で髪が肌に張り付く。
どうして俺はこんなに必死なのか。あの女が誘拐されたら、エルンスト侯爵夫妻がうるさいからか? 間違いなく絶対に騒ぎ立てられる。責任取って絶対に結婚しろと言われ、金もさらに出さなくてはいけないだろう。
いや、そうじゃない。おばあ様に聞かれた問いと同じか。
ニセモノなのがショックなのか、それとも結婚してすぐ逃げると聞いたのがショックなのか。あぁ、本当に腹が立つ。なんでこんなことを走りながら考えないといけないんだ。
どうしてあの女に逃げる選択権があるんだ、あの女を拒否できるのは俺じゃないかと傲慢にも考えるが……もしあの女がニセモノだったら? どうなんだ? 何がショックなんだ?
むしろ、ニセモノだと分かればすぐ婚約解消できて喜ばしいじゃないか。何を迷う必要がある。これ以上エルンスト侯爵家に寄生されないんだぞ?
考えながら角を曲がろうとしたところで、思い切り誰かにぶつかられた。
視界に銀色が見えて思わずぶつかってきたものに倒れながら手を回す。
「きゃあ!」
女の悲鳴。背中への痛い感触を覚悟したが、護衛が地面との間に割り込んでくれたらしくそれほど痛くなかった。
「ご、ごめんなさ」
聞き覚えのある声だ。
銀色の髪が自分の顔にかかる。見上げると、驚いたように大きくなったグリーンの目。その目には珍しく諦めなんてなかった。
あぁ、そうか。
俺はこいつが急にいなくなるのが嫌なんだ。
おじい様は急に亡くなった。胸のあたりを押さえて。俺はたまたま外出していておじい様の最期に間に合わなかった。それが嫌なんだ、置いて行かれるのが。少しでも大切で好きな人に置いて行かれて裏切られたなんて思ってしまうのが。
それに、近くでよく見たらこいつはプリシラじゃない。
いつからだったろうか。こいつのドレスやワンピースからリボンを取った跡が見えるようになったのは。療養明けからじゃなかったか。エビを皿に山盛りにし始めたのも。チョコレートに固執し、俺に興味がなさそうにし始めたのも。
君は、一体誰なんだ?