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「バカにしてるの?」
「虫を掴めるご令嬢って珍しいよ」
「療養中に領地では虫が多くって慣れたわ」
「へぇ」
レイフと歩きながら無理矢理ひねり出した言い訳は咄嗟にしてはなかなかだろう。そうなんだ、貴族のご令嬢って虫ダメなんだ!!
も、もしかしてそれって常識? 常識過ぎて侍女長サリーも言わなかったってこと?
「ぶぶっ」
頭の中で忙しく考えていると、レイフは吹き出した。
「もういい加減、演技はいいよ。知っているんだ、3番ちゃん?」
心臓が嫌な音を立てた。
ずっと呼ばれていなかった、私の名前。名前ですらない名前。通し番号みたいな私の名前。
「何の話よ?」
「いいから、俺全部知っちゃったんだ。だって、プリシラ嬢は右利きなのに君は咄嗟の時にいつも左手を出してる。文字を書く手だけに集中して直したんだろう? さっきクモを掴んだ時もそう、左手だった」
「そんなこと意識してないわ」
無意識すぎて覚えてない、どっちの手を出したかなんて。
「パーティーの時だってよく左手を出してる。頭を打って利き手が変わることってあるんだ?」
「右手は痛めていたから左手でも練習したのよ。失礼ね」
またも無理矢理言い訳をひねり出す。なかなかいいのではないだろうか。
「あれがフォルセット公爵家自慢のバラだよ」
レイフが指差す方向にはいろんな色のバラが生い茂っていた。人の手が入っていると一目で分かるほど綺麗に整えられ、葉っぱはつやつやに光っている。
「綺麗でしょ?」
「あなたのものじゃないのに自慢げね。でも、綺麗だわ」
「孤児院育ちでも美しさは分かるんだ?」
ちょっとばかりカチンと来た。でも耐える。
「綺麗なものは綺麗でしょ。それに孤児院って何よ」
「俺はこのバラたちをあんまり綺麗だと思わない。人の手が入りすぎててさ。嫌じゃない? 手をかけられすぎるのって」
急にこの人、話が戻ったり変わったりするから困る。
でも、言いたいことは分かる。ここのバラは自然ではない。すべて管理されて、栄養もしっかり与えられて咲き誇っているだけ。人間が作った人工的な美しさ。悪いことじゃないけれどそれだけ。
「俺はこういう花の方が好きだな」
レイフは足元の、気を抜いたら踏みそうなピンクの花を示す。自然に生えている、雑草みたいな花だ。踏みつけられても起き上がりそうな花。
「あらそう、それは意外ね」
「ねぇ。君さ、さっさとグレンと婚約解消しなよ」
「は?」
レイフに手を掴まれて思わず震える。
どういうことかと問いたくて見上げた彼の目は明るいオレンジだった。
「君のことは全部調べたんだ。君が育ったきったない孤児院にも行ってきた」
続けて彼が口にしたのは、確かに私が育った孤児院の名前だった。
どうしよう、本当に全部バレている。王子だったら権力で簡単に調べられるのか。というか侯爵夫妻、ちゃんといんぺー工作しといてよ。どうするの、これ。
「エルンスト侯爵夫妻が孤児を身代わりにたててまでグレンとの婚約続行するとはね。さすが借金で困っている家は考えることが違うね」
どうしよう、どうしよう。バレた時の対処法なんて。なにも考えてなかった。バレたら殺すって侯爵には言われたけど……私を殺したところで侯爵も困るだろう。借金返済のためにグレンの家とのつながりが欲しいんだから。お兄様は他のお家のご令嬢と婚約しているらしいが、その年下の婚約者が今は外国にいるので結婚はまだなんだとか。
「それにしてもこんなに瓜二つな人間がいるとはね。俺が留学に行っていた国では同じ顔の人間が世界に三人いるっていう話があったんだ。嘘だと思ってたけど、二人なのは本当みたいだ」
顔を近付けてきてジロジロ見られる。思わず顔をそらした。
「グレンと今すぐ婚約解消しろよ。そうしないと君の秘密をばらす。ねぇ、3番ちゃん?」
怖い。でも、それよりもムカつく。婚約解消して欲しいなら侯爵に言えばいいじゃない。なんで私を脅すのよ。
私が何も言わないでいると、レイフは耳元に顔を寄せて来た。
「どうせ金目当てなんだろ? 卑しい娼婦の娘。俺が周囲にばらしたら君は貴族を騙してたんだから犯罪者だよ。娼婦の娘から犯罪者にチェンジ。ウケるね」
「何がウケるのよ」
久しぶりに娼婦の娘って言われた。
落ち込むよりも腹が立つ。この王子にも侯爵夫妻にも何もかも。私を支配しようとするものすべてに。どうして、娼婦の娘というだけで蔑まれてこうやって支配されなきゃいけないの? 私が何かした? 娼婦だった母親の顔さえ知らないのに。名前さえもらってない。生んでもらっただけで。
レイフを睨むと彼は笑った。
こいつは本気で最低だ。私の反応を見て面白がってる。知っているならさっさとばらしてもよかったのに。このパーティー会場ででも。
「さすが孤児院育ちはクモも掴むし勇ましいね。貴族のご令嬢とは違うよ」
「あなたって性格悪い」
「まぁね。分かってるだけマシだよ。プリシラ嬢は自分の性格がねじ曲がってるって分かってなかったみたいだし。君はそんな演技がとっても下手くそだ」
楽しそうにしながら、相変わらずレイフは私の手を掴んだまま。逃がす気はないらしい。
「証拠もあるならさっさとばらせばいいじゃない」
「それもいいんだけどね。可哀想な3番ちゃんに先にチャンスをあげようと思って。金なら俺の個人資産から出してあげるからさ、グレンの前からいなくなってよ。さすがの侯爵夫妻ももう一人のそっくりさんなんて連れてこれないでしょ」
「なんでそんなことあなたがするの」
「グレンは俺の友達だからね。エルンスト侯爵家みたいな家に恩があるからって寄生されてるのは可哀想だ」
「……あなたが金を出すから私にすぐ逃げろってことよね?」
「そーゆーこと」
「あなたはいくら出すの?」
レイフはオレンジの目を細めた。もったいない、こんなに綺麗な目なのに性格は最悪だ。
耳元で告げられた金額。勉強した知識によれば平民の年収二年分。
「それがあなたとグレンの友情の値段ってわけ?」
「どうとでも。俺、第二王子だしそこまでお金がもらえるわけじゃないんだ。どうしても使わなきゃいけない分はあるし。ちびちび投資はしてるけどさ。増やした分で今すぐ出せるのはそれくらいかな」
逃げるのが十六歳になるのか、今になるのかの違い。
レイフの言い出したことは私の希望には合っている。計画が早くなるだけ。しかも多額のお金までもらえる。
でも、彼をどこまで信じられるのだろうか。こんな軽薄で馴れ馴れしい王子様を。お金持って逃げたって盗まれたとか言われて捕まるかもしれない。侯爵夫妻が死に物狂いで探すかも。
そもそもどこにどうやって逃げるんだろう。文字は読めるようになったけれど。
「君にもけっこういい話だと思うけど? こんなお金、なかなか稼げないからね」
レイフの声はいたわるような優しい響きだったが、ちゃんと私は読み取った。彼の言葉の裏にある蔑みと支配を。