10(グレン視点)
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「グレン、眉間にシワばかり寄せていたらシワだらけのおじいちゃんになるわよ」
祖母に笑われて眉間を無理矢理指で引き延ばす。その様子に祖母は笑みを深めた。プリシラとの会話中はやや厳しい雰囲気を纏っていたが、グレンの前では祖母はよく笑う。
「プリシラ嬢はあなたから聞いたり、遠目で見たりしたのと印象が少し違ったわ」
「本当にそうですか」
「えぇ、もっとすぐに癇癪を起こす子だと思っていたわ」
「おばあ様相手に癇癪を起こすようでは本当に三歳児ではないですか」
「療養を経て変わったのではなくて? 骨折してベッドの上でいろいろ考えたのかもしれないわね。彼女はまだまだ子供だもの」
「少しは……以前と違う面も感じますけど、それでも根は変わりません」
グレンは帰りの馬車の中でのプリシラの様子を祖母に伝え、もう一度不快になる。
カビたパンを出す孤児院があるだと? あり得ない。そんなの寄付金や支援金で私腹を肥やしているに決まっている。そんなこと許されない。子供をだしにして私腹を肥やすなんて。
「テティス地方やルワン地方はエルンスト侯爵家の領地ではないから仕方がないわ」
「それでも、侯爵でしょう。隣の領地ですし。貴族の責務があります」
「ウワサになるほどなら調査してみてもいいんじゃないかしら。なにせうちは公爵家よ」
「はい?」
「プリシラ嬢はまだ十四歳よ。あなたはもうじき十七歳。あの家は借金もあるしいっぱいいっぱいで調査なんて無理だわ。プリシラ嬢に何もしないのかと言うなら次期公爵であるグレンがやりなさい」
「それは……もちろんできますが」
「第二王子殿下だって留学から帰って来てすぐに公務に復帰してあちこち視察に行っていらっしゃるのよ。グレンもこういった慈善事業関連に今のうちに力を入れておいても損はないわ。事実ならそんな孤児院が野放しになっている他領に恩も売れるのだし」
「レイフは城にいたくないからあちこち出歩いているのだと思いますが……」
グレンの言葉は祖母にしれっと無視された。今は足が思うように動かないからそこまでやっていないが、祖母はもともと慈善事業に熱心だ。
「まぁプリシラ嬢は放っておいてもいずれやらかすわ。今が猫かぶりの状態なら余計にね。我慢し続けることができる子ではないもの。あの子は子供嫌いだと思ったのに今日はうまくやったわね。でも、プリシラ嬢とそのウワサの怪しい孤児院の件は別よ」
グレンはプリシラに怪我をさせたことを謝る羽目になった。案の定、出て来て報告を聞いたエルンスト侯爵夫人は「可愛いプリシラの手が!」なんて大げさに喚いていてうるさかった。あの夫人も結局変わっていない。
なんでこんな女のために頭を下げなければいけないのだ。不機嫌にもなる。あの女は夫人に抱きしめられて困ったような顔をしていた。
「プリシラ嬢を私の誕生日パーティーに招くわ。招待状を送っておくから」
「おばあ様の誕生日は身内と親しい者だけで祝うではないですか。そんな場にあんな女を呼んだら……エルンスト侯爵がさらに調子に乗ります」
「今日のグレンはプリシラ嬢の手を平気で掴んでいたし、同じ馬車に乗って帰って来ても震えていないじゃないの」
言われてみてハッとする。あの女がやけに怯えるから、自分が震えている暇なんてなかった。同じ馬車に乗ってもイライラしてそれどころじゃなかった。
「それに、エビが好物だって知っているなんて。以前まではプリシラ嬢の好物なんて把握していなかったでしょう?」
「それはっ、あの女がアホみたいにエビを皿に山盛りにしていたから」
「プリシラ嬢は本当にエビが好きなのね。サンドイッチを嬉しそうに食べていたもの」
今日はよく動いていたが、子供たちからパンの欠片を大量にもらってしかもサンドイッチまで入るなんて。あいつは本当に令嬢なのか。
「グレン。あなたが次の婚約者と穏やかな関係を築けるかは分からないわ。今はプリシラ嬢をぞんざいに扱っていても彼女の評判の悪さで隠れて何も言われないけれど」
「……重々分かっています」
あの女と婚約解消して、この前のダンスみたいなことが次の婚約者といる時に起きたのなら。間違いなくグレンの足を引っ張る輩がいるだろう。フォルセット公爵家を良く思わない誰かが。貴族社会はそういうところだ。あの女の評判の悪さで同情されて、グレンはある意味女性恐怖症を知られないで済んでいる。
「不思議よね。向かい合うとプリシラ嬢って諦めと怯えが見えるのよ。なぜかしら。虐待されているわけではないでしょうし……あぁ、でも過剰な甘やかしは一種の虐待かしら」
グレンも感じていたことを祖母はきっちりと口にした。そう、あの女は妙に諦めと怯えを漂わせる。子供に対しては全くそんなことはなかったのに。しかもあいつ、子供に謝りたいと小さく口にしていた。俺には全く謝らないで、敵意を向けて睨んでくるのに。
どこかから視線を感じた。振り向いてあちこち探しても誰もいない。ほんの少しだけ寒気がした。
***
「まぁまぁ、飲んで飲んで」
「にーちゃん、悪いな」
「出会いっていうのは縁だからさ。まさかお兄さんみたいな人相の人が孤児院の職員とは思わなかったよ」
「よく言われるぜ」
とある安っぽい酒場で、強面で太り気味の男に酒を注ぐ赤髪の男。
「にーちゃん、わけえなぁ。酒を飲んでもいい年か?」
「お酒は飲みたくなった時が飲み時だよ」
「がはは。違いねぇ」
しばらく二人で酒を飲み、強面の男の方だけが気持ちよさそうに酔っている。テーブルに肘をついて赤髪の男は憂いを含んだ表情をした。
「孤児院かぁ」
「どうしたんだ、にーちゃん」
その表情につられて酔った男は前のめりになる。
「いやぁ、俺こう見えて結構年齢いってるんだけどさ。俺は子供欲しいのに奥さんが子供欲しくないって言ってて」
「そりゃあ、てぇへんだな」
「孤児院から引き取るって手もあるなぁって」
「奥さん怒るんじゃねーか」
「生みたくないのが一番らしーから」
「あぁ、なら一個の手段かもなぁ。離婚して新しい女見つけたらどうだ? にーちゃんならすぐ見つかるだろ」
「でも、奥さんのこと好きなんだよね」
「ほぇー。お熱いことで」
「でさ、孤児院から子供引き取るっていろいろ厳しい?」
「んー、まぁなぁ。うちはこれ次第だな」
強面の男は酔って顔を赤らめながら親指と人差し指をこすり合わせる。
「金か?」
「そうそう。それ次第でいくらでも」
「へぇ。じゃあ金持ちが引き取りにくるのか? 貴族みたいな?」
「お貴族様もくる。こないだも来たな~」
赤髪の男はさらに酒を注ぐ。
「そうそう、面白いのがいてよ。商人の奥方の振りをしてるけどお貴族様ってバレバレなんだよ」
「へぇ、分かるものなのか?」
「あぁ、雰囲気でなんとなくわかるさ」
「へぇぇ。それでそれで?」
「十代の銀色の髪の女の子がどうしてもいいってんで」
「銀髪はとても珍しいな」
「あぁ、それでうちに一人いたんだよ。今思い返せばうちにそいつがいるの知ってたみたいだったなぁ。調べてたのかもしれねぇな」
「珍しい髪色の子なのに引き取り手がそれまでいなかったんだ?」
「あぁ、見てくれも良かったんだがな。如何せん、娼婦の娘でな。嫌がられた」
「へぇ……」
赤髪の男の表情が一瞬抜け落ちる。
「そんな反応になるよな? そいつは娼婦の母親に赤ん坊の頃に捨てられててよ。名前も決まってなくて。もう面倒だったから3番って呼んでたんだ」
「名前もつけずにずっと?」
「あぁ、孤児院ができたばっかりで3番目に入って来たガキだったからな。まぁいろいろ俺たちも忙しいからな。がはは」
「そうかぁ。孤児院から引き取るのは難しそうだな。お金かぁ」
「まぁまぁ、にーちゃんならちょっと安くしとくぜ」
赤髪の男は力なく笑った。しばらく強面の男と飲み、その男を酔い潰すと金を払って店を出る。そのままその足で孤児院まで行った。
どれほどの時間、孤児院の前で足を止めていただろうか。
酒場で酒を飲み、嘘八百を並べ立てていた第二王子レイフは顔を伏せてそっと立ち去った。