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お医者様って本当に実在するのだなぁ。
大きなカバンを持ったお医者様に診てもらって、薬を塗ってもらった。痛くても痒くても患部を触ってしまうと長引いてしまうそうだ。酷く痛かったらまた医者にと言われたけれど、このくらい全然痛くはない。しかしグレンの手前、神妙な顔で頷いておいた。
「おばあ様、これはどういうことですか」
「孤児院から早く帰ってきたのだからいいじゃない、お茶くらい」
紅茶とお菓子が用意されたテーブルにはすでに先代公爵夫人がついている。グレンも予想していなかったようで文句を言っているが、結局座らされた。
ねぇ、先代公爵夫人にプリシラは会ったことないよね? あ、いやもちろん遠目で見たことはあるそうだけど、私はどう演技すればいいの!? 目上の人の前ではそれほど癇癪起こさないんだよね!? まさかこんな年上の人にまで紅茶かけるなんてないよね! パーティーの時だって普通に他のお貴族様に挨拶したんだし、大丈夫よね。
「イラクサね。私も子供の頃山歩きでよく触ったわ。痛いのよね」
こちらのお上品な先代公爵夫人、子供の頃は意外とお転婆だったのだろうか。
「俺は知りません」
「まぁ、グレンは知らないのね。あの痛みは本当に何とも言えないのよ」
ど、どうしよう。呆然としている私をおいて二人は会話を始めている。
あ、お菓子に紛れてサンドイッチがある。しかも中にエビが見える。エビ……引き取られて一番美味しいと感じたもの。チョコレートと同じくらい好き。もちろんマカロンも好きだけど。これ、食べていいのかな。ヨダレ出そう。
「プリシラ嬢はエビがお好きでしょう? このくらいしか用意できなかったけどどうぞ」
なんで私がエビ好きなことを知っているの? グレンとそんな話してないよね?
ちらりとグレンを見たが、医者の診察まではこちらを凝視していたくせに今はかたくなに視線を合わせない。こんな怪我で医者に診せたことを後悔しているのだろうか。だから言ったのに、大して痛くないって。
「ありがとうございます」
「うちの支援する孤児院には初めて行ったでしょう? どうだったかしら」
「明るくて綺麗でパンがかびていなくって驚きました。子供たちもとても楽しそうで」
正直、どんな演技をすればいいのか……そして主にエビに気を取られていた。あとはあの子にどう謝ろうかとか。
怪我をしていない方の手でサンドイッチを掴んで食べていると、妙な沈黙が落ちる。
あれ? 何かおかしかった? プリシラでもさすがに孤児院について先代公爵夫人の前で悪くは言わないよね?
「パンがカビる? カビ?」
「うちの支援する孤児院でそんな食べ物を出すことはないわ」
グレンは意味が分かっていないようだが、先代公爵夫人は笑っていた。目は笑っていない。
「もしかして、今日まで孤児院に実際に行ったことがないのかしら」
どうしよう。おもいっきり孤児院に私はいたのだけれど。むしろ住んでいた。これは絶対に言ってはいけない。ただ、私は孤児院にいただけで孤児院に行ったのは今日が初めてだ。嘘ではない。
「エルンスト侯爵家は慈善事業には興味がなさそうだものね」
じぜんじぎょー? あぁ、慈善ね。借金があるのにじぜんじぎょーはできないだろう。プリシラのドレスは買ってたみたいだけど。そのあたり、お貴族様はよくわからない。見栄?
「はい。そうですね」
ここでムキになって否定してもしょうがない。プリシラがじぜんじぎょーとやらに熱心なんて聞いていないし、侯爵夫妻にも兄にもその様子はないのだから。
むしろ兄は借金で頭がいっぱいだ。昨日はいい天気なのに庭でピンセットを使って雑草を抜きながらブツブツ言っていたから相当思い詰めているに違いない。お兄ちゃんという存在に憧れていたが、彼を見る限り大変そうだ。みんなのおねーちゃんも大変だもんね。
先代公爵夫人はピクリと器用に片方の眉を上げた。
「それなら、孤児院の子供たちがカビたパンを食べているなんていう変な思い込みはよしてちょうだい。そんなの虐待じゃないの」
えっと……私はカビたパンかカチカチのパンしか見たことも食べたこともなかったんだけど……。あれって虐待なの? え、虐待って何? なんか悪いことだよね? とりあえず、このエビ美味しい。
先代公爵夫人の機嫌をこれ以上損ねないよう神妙に頷いておく。だってねぇ、あんまり喋ることもないし困るよね? 演技も迷走中だもんね。でも、さすがに公爵夫妻や先代公爵夫人にまで失礼で傲慢な態度とっていたらとっくに婚約解消だと思うの。だからこの位の演技でいいだろう。
「あぁ、だから孤児院では食事内容を気にしていたのか。パンは柔らかいのかどうかとか」
グーレーンー!
さっきまでダンマリだったのになぜここで口を挟むの! というか見られてたのか!
「子供たちを心配してくれるならいいけれど。今日もある子供を庇ってくれたようだし。驚いたわ。あなたは誰かを庇うような子には見えなかったから、しかも平民の子供で孤児をね」
思わず自虐的に笑いそうになる。王族・貴族・平民・孤児・娼婦の娘でしょ?
私はあの子が小さい子供だったから庇った。孤児院にいた時の癖で。娼婦の娘を庇ってくれる大人なんていないもの。娼婦の娘は孤児より下でしょ? でも、プリシラらしい行動ではなかった。言い訳しないと。
「療養中に分かりました。痛いのは嫌だなって」
「そう。足を骨折したのだったわね」
「はい」
今日やっと分かった。私のいた孤児院って普通じゃなかったんだ。母親はあんな酷い孤児院に私を捨てたのだ。もっと他に捨ててくれれば良かったのに。そうしたら他人になりかわって生きるなんてしなくて良かったかもしれない。
先代公爵夫人の顔色をうかがいながらお茶会は終わった。おそらくあれ以上機嫌は損ねていないはず。
エルンスト侯爵家まで帰るのにグレンの家の馬車で送ってもらうのだが、なぜかついてこなくていいグレンも乗ってきた。
「あまり今日みたいなことは言わない方がいい」
「は?」
「パンが柔らかいかどうかとかカビてないかとか。子供に聞くのだけはやめてくれ。なぜか子供に人気があるようだから信じた子供たちが不安になる」
相変らずグレンは不機嫌そうだ。
カビについては子供には聞いてないもん。おかわりと柔らかいかを聞いただけだもん。
「だって、ウワサを聞いていたから」
「ウワサ?」
「療養中に聞いたわ。テティス地方やルワン地方の孤児院ではそんな扱いだって」
あまりに嫌そうなグレンにむかついて言ってやった。先代公爵夫人の前で言おうかとも思ったが言わなかったことだ。ウワサって言えばどうとでもなるでしょ。
そうすると彼の眉間にさらにシワが増える。
「どうして知っていて何もしない」
「なんで私がそんなことしなきゃいけないのよ」
「貴族の責務だろ」
「じゃあ、あなたがやれば?」
誰があの家で私の話なんて聞いてくれるの。侯爵は「うまく誑かしてるじゃないか」って言うだろうし、侯爵夫人には「お前はプリシラじゃない!」なんて言われたら大変だ。そもそも夫人はあの孤児院まで私を迎えに来たのに何もしなかったじゃない。
私はあなたみたいなお貴族様と違うんだから。あなたみたいにおばあ様とお茶飲める関係性じゃないんだから。誰からも助けてもらったことないんだから。
あなたはいいわよ。お父さんかお母さんが稼いできたお金でじぜんじぎょーしてるんだから。柔らかいパン毎日食べて、ぶたれることもないでしょう。そんなに恵まれてるのになんでそんな不機嫌なのよ。プリシラが嫌いなのは分かるけど。
軽く睨むとグレンは私から視線を外した。
八つ当たりだが、不機嫌そうにいろいろ言われるとムカつく。でも、今のはプリシラっぽかったと我ながら思う。最初は性格が全然違うと思ったけど、案外私とプリシラは似ているのかもしれない。