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中央近くまでゆっくり進んで向かい合う。
四方八方から飛んでくる好奇の視線に思わず首をすくめそうになった。こんな視線を浴びながらのダンスは未体験だ。
孤児院でお客様が来て上から下までジロジロ見られることは何度もあったけど、この視線には慣れない。
それでも、自由のためだ。いくらプリシラのやらかしで嫌われていたとしても。
グレンを見て少し微笑むと、彼は動揺した様子だ。なぜだ、解せない。プリシラってずっとグレンの前で怒っていたのかな? この辺りは見る人によって言うこと違うからなぁ。
音楽に合わせて侍女長と家令と練習したように動くが、相手が変わるとどうしてもギクシャクする。
「っ!」
そして痛い。グレンにつま先を踏まれた。油断していたから声が漏れかけた。彼のステップが乱れているが、ダンスが苦手なんだろうか。
その後も気のせいでは済まないほどつま先を踏まれた。地味につま先を踏むくらいなら足全体を思い切り踏んで欲しい。何の嫌がらせだろうか。観客からはプリシラのドレスでギリギリ見えないだろうし、こんなに嫌がらせをするほどプリシラが嫌いなのか。
やっと一曲が終わった。
婚約者や夫婦は二曲連続で踊ってもいいそうだが、どうかごめんこうむりたい。
グレンの手が離れる。
ほっと安心すると、彼は私を取り残したまま背中を向けて足早に去って行ってしまった。
ありゃありゃ。ものすごくお腹が痛かった?
これがプリシラ(私)だからこんなマナー違反でもグレンは笑われないけど、誰にでもこんなことしてないよね? おねーちゃんは心配です。
「珍しくパーティーに長くいらっしゃると思ったが」
「やはり仲が悪いのか」
「でも、プリシラ様としかダンスはされないわ」
「ダンスも初めてじゃないか」
ヒソヒソ声が聞こえるが、私は気にせず会場を突っ切って食事テーブルに向かう。ご令嬢におねしょの指南をしてダンスをしたら小腹が空いた。
最近食べ過ぎかな? 短い人生の中で今が一番太っているんだけど……侍女長は「最初が痩せすぎでしたからもっと太ってください!」と涙ぐんでいた。ただ、侍女長はどうも私に甘いと思うんだよね。プリシラのドレスが入らなくなったら考えようかな。
「フォルセット様が嫌がったのにダンスをしろと我儘を言ったんじゃないか?」
「あぁ、誕生日にかこつけて駄々をこねそうだ」
「療養明けで少し大人しいかと思ったら早速ガーランド伯爵令嬢を泣かせて」
「結局何も変わっていないのか」
「フォルセット様も可哀そうに」
ヒソヒソ声が耳に入ってくる。私の演技はうまくいっているようだ。良かった。あのご令嬢も自分のおねしょの話はしたくないだろうから、勝手に私に泣かされたという話が広まるだろう。
さて、今日の運命の出会いはエビ。あれは美味しかった。どうやって海で生きているんだろう。あんなに美味しかったらすぐに他の生き物に食べられてしまう。うーん待ってよ、エビもいいけど甘い物も食べたい。
「プリシラ。こちらへいらっしゃい」
「はい」
いつの間にか夫人が後ろに立っていた。私はにこやかな笑みを浮かべて頷くと夫人の後に続く。侍女長も付いてくるからドレスを着替えるのだろうか。短時間でお着替えって貴族にはあるあるみたいだけど、意味が分からない。クリームついちゃったなら別だけど。
会場から離れた部屋に入ると、夫人は持っていた扇で私の肩をぶった。なるほど、そういうお時間なのね。折檻のお時間。
「申し訳ありませんでした」
全く痛くはないが唇を引き結んで視線を下に落として謝る。こうしないとどんどん暴力は酷くなるのだ。そしてこのドレス、肩についた大きなリボンの防御力が高いため正直全く痛くないのだ。夫人、攻撃したいならもっと違う所を叩かないと。
「なんてみっともない、下手なダンスなの」
「申し訳ありません」
「プリシラならもっと上手に踊ったわ」
「はい」
プリシラはグレンと踊ったことがないと聞いているが……もちろん口には出さない。夫人から見たプリシラは他の人のそれよりもかなり歪んでいる。
「挙句の果てにダンスの後すぐに置いて行かれて」
「本当に申し訳ございません」
こういう相手には何を言っても無駄だ。頭を下げていると今度はもう片方の肩に扇が当たる。どうしよう、全然痛くないから痛い表情を作るのが大変だ。
しばらくそんなことが続いてやっと気が済んだ夫人は出て行った。
「お嬢様……」
「あぁ、大丈夫よ。全然痛くないの」
以前同じようなことがあった時に侍女長は止めに入ってくれたが、夫人の機嫌が悪化したのでそれ以降は傍観者になってもらっている。彼女の方が殴られたような表情だ。泣きそうな顔でドレスや髪を直してくれる
「慣れてるから大丈夫よ」
そう言うとさらに泣きそうな顔をされた。
愛されたいなんていう実現不可能な夢は引き取られて二日で粉々に砕け散った。欠片さえ残っていない。
「フォルセット様は酷いです。ダンスのすぐ後にお嬢様をほったらかしにするなんて」
「きっとお腹が痛かったのよ」
クスクス笑うと、侍女長も口をへの字からやっと普通に戻してくれた。
「さ、行きましょうか。グレン様は帰ってしまったと思うけど、私はまだデザートを食べていないもの」
「今日はチョコレートケーキがございます」
「素敵! チョコレートって見た目あんな色でしょう? なのにどうしてあんなに甘くて素敵な味がするのかしら。だってあの茶色ってあんまり食欲湧かないじゃない?」
笑いながら部屋から出ると、グレン・フォルセットが所在なさげに立っていた。
この人って突っ立っている趣味でもあるの? 先ほどの会話を聞かれただろうか。いや、聞かれても大丈夫だ。だって孤児院とかプリシラが死んだなんて話は一言もしていないのだからしらばっくれればいい。
「あら、お帰りになったかと思ったわ」
「先ほどは申し訳なかった」
「お腹でも痛かったの?」
危ない。なぜか孤児院の子供に対してするように「お腹イタタなの?」って言ってしまう所だった。プリシラは貴族のお嬢様だから我儘でも口調が特に難しいのよね。
「いや……確かに調子は悪かったが」
「そう。ねぇ私、チョコレートケーキが食べたいわ。今すぐに」
グレンは歯切れが悪いので、言いたくないのだろう。お前と踊りたくなかったというクレームだけは侯爵に入れて欲しい。
それよりも私はチョコレートケーキを早く食べに行きたい。頭の中がチョコレートケーキ一色だったので、うっかりグレンをその場に残して歩いてしまった。
会場に戻ると、ある一人を囲んで人だかりができている。何か問題でも起きたのだろうか。
プリシラ(私)は本日誕生日であるもののあれほど人気はないので、チョコレートケーキを探しに行く。
「あ、グレン。いたいた!」
「レイフ?」
そんな会話が後ろで聞こえた。
振り返ると、赤毛の髪を後ろで一括りにした貴族っぽい人がグレンの肩を親し気に叩いていた。年齢も同じくらいだ。いや待てよ、ここには貴族しかいないんだった。
侯爵夫妻から彼については何も言われていないので重要人物かも分からない。というか侯爵は彼にややペコペコしている? ってことは偉い人?
「なぁ、プリシラ嬢は?」
赤毛の彼の言葉で一気に私へ視線が集まる。
私……チョコレートケーキを食べたいんだけど……。