六話 シンプル
飛び出してから俺はすぐに広場を観察する。
直径で百メートルちょいぐらいか。障害物はゴーレム以外一切なくすっきりしている。ここまで坂道を登ってきたからか崖は少し低くなっているが、到底登れる高さじゃない。
「つまり真っ向から倒せってことか……」
ゴーレムは俺の倍近い体躯をのっそり動かして迫ってきている。
その体は至る所に罅が入り不格好に削れている部分もあった。他のゴーレムと戦い崖から落ちた傷は癒えていないようだ。だから〝崖落ち〟か。
多分弱ってるみたいだが……。
「ボロボロなのはこっちもなんだよな」
ノースの右腕は【錆】のせいで攻撃力も精密性も落ちている。
右腕以外はHPが減っているだけで動作に問題はないが、あの拳や脚に触れたらその瞬間に砕け散るんじゃないか?
観察しつつ、ノースを前に出し左の崖沿いに移動していると。
「……ん?」
ふと目の端に崖の割れ目が映った。
それは通路だ。俺たちが来た『入り口』じゃなく『出口』の方。ゴーレムの背後にそれが見えた。
「塞がってない?」
ぱっと見ただけだが割れ目は通れるように見える。
……逃げられるか?
「いやまさか。いやでも……」
『オオオオ』
「うぉわっ」
ゴーレムの雄叫びが俺たちの体を震わせる。注意を戻せば岩の巨体がノースの近くに迫って来ていた。
「っ!」
ノースは俺と数メートルほど離して移動させていた。ノースの前に立つゴーレムと俺の距離はかなり離れているはずだ。
だが、でかい。
俺の倍程度のはずのゴーレムはそれより遥かに巨大に見える。
『オオオオオオ!』
吼えながらゴーレムが腕を持ち上げた。
「でっ、かいな。おい!」
俺は自身も逃げながらノースを下がらせる。
ゴーレムの動作は緩慢だ。腕の付け根と体の岩が噛み合わず無理やり動かしているように見える。
だが何度でも攻撃できそうなその隙に俺はノースを踏み込ませられない。
巨大な拳が、高く持ち上げられた。
それだけの行為も、間近で見れば胃が締め付けられるような原始的な恐怖をもたらす。
「VR怖ぇ!」
メタな言葉で恐怖を誤魔化しつつゴーレムへと目を向ける。
そのタイミングで掲げられた岩拳がぐぅんと地面へと落ちてきた。
だが迫る拳はノースに当たらない。そう確信できる距離まで逃げて安堵した次の瞬間に。
――ドォォォン。
破裂したようだった。
地面を通じて衝撃が体を通り抜ける。恐怖ではない震えが俺の体を無理やり縛り付け、ノースの脚をもつれさせ転げさせた。
「拘束技かよ……っ!」
ゴーレムが叩きつけた場所を起点として動きを拘束する。そういう行動だったらしい。
近くにいたら普通にダメージも受けるんじゃないかあれ。
「ただ連発もできるもんじゃないと」
拳を叩きつけた姿勢のままゴーレムは固まっている。
動く様子のないゴーレムから、俺は割れ目へと視線を移した。
「今なら逃げられるか」
震えの取れた足を動かし俺は割れ目へと向かう。
逃げられなくても戦うことが確定するだけだ。選択肢はとりあえず一つずつ潰していきたい。
「まだ動いてないな……」
ゴーレムの様子を見つつ割れ目へ近づいていく。
近くで見てわかったが割れ目はやっぱり塞がれていない。まさか逃げられる?
「んな馬鹿な」
崖から岩が落ちてくるか。
あるいは突然見えない壁にさえぎられるか。
もしくはゴーレムが何かするか?
警戒しつつ割れ目にはもうすぐ届く――その時がごん、と音が響いた。
聞こえてきたのは背後、恐らくゴーレムから。
「……っは⁉」
当然警戒していたことだ。俺はすぐに振り返りそれを確認して声を上げてしまった。
ゴーレムが自分の左腕を引き抜いて……こちらに放り投げていた。
「あ、やっっっっ」
ヤバイ、とすら言葉にできなかった。
通路に逃げ――駄目だ! ぎりぎり届かねぇ! なんていやらしいタイミングで仕掛けてくるんだ!
今来た道へ逃げる。全力で逃げる。わざわざ指示を出さずとも俺の体にノースがついてきた。
だがゆっくり迫って来ていたように見えた岩の腕は、俺の想像より速く迫る。
「ちょおっ……⁉」
唸りを上げて宙を舞う腕の、遠心力でピンと伸ばされた手が俺の顔の隣を通り抜けていく。
「あっ」
その指にノースの体が引っかかった。
金属がねじ切れ砕け散るような音と共にノースが弾き飛ばされる。がしゃぁんと地面に転げる金属音は、だが手が着弾した衝撃波でかき消された。
破裂したような爆音と共に崖全体が揺れる。左腕は崖を破壊しめり込みがらがらと崖から落ちる岩に飲み込まれていった。
「……逃がさないってことね」
割れ目は完全に塞がれている。
逃げられるとは思っていなかったが、まさかここまで派手なパフォーマンスが用意されてるとはな。
いやそれはいい。
「ノース」
飛ばされ地面を転がったノースを立ち上がらせる。
特に震えたりはしていない。ノースは人間ではないから恐怖もない。
だがそれは損傷しないという意味じゃない。
「腕が……」
右腕が完全に砕け散っていた。
剣もどこかに飛ばされたらしい。ノースの武器は左腕の盾だけだ。
『オオオ……』
「!」
ゴーレムが雄叫びではない声を上げる。身構えるが流石に右腕も投げてくるなんてことはなく歩いて近づいて来ていた。
その姿に左腕はなくなっていて回復もしていないが、あれで五分とは言えないだろう流石に。
「……」
近づいてくるゴーレムから、俺は塞がった割れ目へと目を向ける。
そして顔を上げて崖の上の空を見た。
「大円盤」
低くなった崖の向こうには大円盤が見えていた。
「あそこに、行く」
もう逃げられない。
剣はなく盾で戦うしかない。
敵は一体、ゴーレムのみ。
現状を確認して俺はゴーレムへと向き直る。
「さて、シンプルになったな」
すっきりと俺は笑った。