第40話 アスラとミシエルって?(再び教会本部にて)
―――― 再び教会本部大聖堂にて、ミシエル19世の講話。
「このようにして我々の父祖は、大陸の中原部分に出ることを得たのです」
彼女の話は続く。
「彼らは初代ミシエル師の指導の下、魔族の住む街や村を次々と討ち、補給線が整備されるにつれて軍勢は更に増強され、僅か数十年の後にはヒト族の版図は、この広大な大陸の半分近くにも届くほどでありました。民は歓喜し、軍はますます奮い立ちました。
ミシエル1世師は、その後も教会史に燦然と輝く偉大な業績を数々残された。しかしながら、万民の願いに反して遂には年老いて御臨終の時を迎えられた。そして、その際になおも
『私の霊魂は未だ主の御許に召される訳にはいかない。額に聖痕を宿す嬰児を探し、育て、教皇の地位に就けるように。その子が私の転生体だから』
と遺言された。
教会の幹部は正にその言葉に従いました。師の起こされた数々の奇跡を目の当たりにし、その言の正しさを知っていたから。
そして代々のミシエル師が教皇に就任され、私で19代になる。そのことは皆様が御存じの通りです」
万余の聴衆は揃って頷いた。
そうだ、その通りだ。
そしてヒト族は現在の繁栄に至ったのだ。
「その後も代々のミシエル師、そして枢機卿や司教・司祭の指導の宜しき、民の励みを得て、数百年の内には大陸の過半を超え、3分の2近くがヒト族の占める地となった。討伐の当初は魔族や亜人たちが互いに相争い、結束して我らに向かうことが無かったのも幸いであったでしょう」
彼女の声はなぜか次第に沈痛さを加えたものとなった。
そして少しの間を置き、言った。
「しかしその後、この千年来、魔族の討伐は遅々として進んでいない。彼らもまた様々な魔族の首領はもとより、各種の亜人までもが連合して魔王なる指導者を選び、力を束ねてヒト族に立ち向かうようになってからは勢力が拮抗してしまっている。
しかも特にこの300年、今代の強大な魔王が君臨するようになってからは、今までかろうじてヒト族優位に推移してきた戦況も、完全に膠着状態に陥り、むしろ各地で戦端が開かれる度に手痛い敗北を喫しています。
そして更には、つい先日に届いた報告によれば、魔王を倒しヒト族の平和を守るのが使命の筈の勇者が、あろうことか新たな魔王に指名され、その使命を受けたとのこと……」
この言葉を聞き、万余の聴衆は激しくどよめいた。
近来の噂に聞く勇者といえば、ここ1、2年各地を巡り、凶悪な魔物を数多く、易々と倒してきたというあの少女しかあるまい。
何ということだ。
それは教会に、そしてヒト族全体に対する明らかな裏切り行為ではないか!
聴衆のざわめきを軽く右手を挙げて抑え、ミシエルは静かに言った。
「何故そのような事態に至ったのか、詳しい事は分かりません。ただ、このような不祥事を招いた我々指導層の力不足を思い、斬鬼の念に打たれるばかり、自らの不甲斐なさを陳謝するばかりです」
そして、ひときわ語調を強めて
「しかし、このような時だからこそ、私は皆様にお願いしたい。今こそヒト族の力を結集して邪悪な敵に当たらなくてはならない。
山をも砕く主の御力をもってしても、地に広く蔓延する悪質な病原菌のような魔族を根絶することはできない。その街の多くを滅ぼすことはできても、魔族全てを撃ち払うことは不可能なのです。
いっときは鳴りを潜めても、彼らの子孫係累はきっと何処かで命を永らえ、いずれまた、その勢力を盛り返し、この世界に害を為すでありましょう。
だからこそ主は我々ヒト族を創造された。
ホセア師の宣言された通り、我々は決して進化の偶然によって生まれ出た生物ではない。魔族を殲滅するという主の御意志を託された存在なのです。
その事を改めて心に刻み、日々励まなくてはならない。
そしてまた、教会史の伝える通り、主の御意志に従って行う者には、尊き護りと恩寵が常にある。そう信じて進めば、必ずや主はその御力を顕現させ給い、我々の援けとなって下さいましょう。
逆に、安逸に流れ、平和に堕すようなことがあれば、主は我々をお見捨てになり、その裁きは我々にこそ下ることになりましょう!」
と一気に言い、いつにない激しい言葉に息を呑む聴衆を残し、壇上を離れた。
数分の後、彼女は教皇執務室に戻り、深い溜息と共に椅子に腰を下ろした。
そして帽子を脱ぎ、まとめていた髪を解く。
肩まで垂れたそれは、艶やかな黒髪であった。
「宜しかったのですか」
ノックと共に部屋に入ってきた黒衣の枢機卿ゾフィエルが、ねぎらいの言葉も無しに、いきなり尋ねた。
「何がです? 『浄化』の話をしたことで、聴衆が、当時の堕落した指導者たちと現在の我々を重ね合わせて考えるとでも?」
「そのような心配は全くしておりません。信者たちは皆、ミシエル様の清廉な暮らしぶりを存じておりますから。私が申し上げているのは」
彼は言い難そうに、数瞬の間を置いた。
「アスラ様のことでございます」
そして更に言葉を続け
「あの様にはっきりと言ってしまわれて。あれでアスラ様は完全にヒト族の敵と見なされるようになってしまった」
「仕方がないでしょう。魔王などに指名されて、それを受け入れたあげく、教会が派遣した小隊を遺跡ごと宇宙に飛ばし、全滅させたというではありませんか。今となっては、あの娘は明らかな我々の敵対者です。教会が隠そうとしても、いずれ皆に知れ渡ります」
「しかしアスラ様は貴方様の」
ミシエルはそれを遮って言った。
「それが明らかにできないからこそ不憫に思い、いつかは何かの形で表舞台に出し、教会の要職にでもと期待していたのですが、まさかこの様な結果になるとは残念です。今更言っても詮無いことですが、養父の選択を誤りましたね。やはり分国の公爵家などではなく、もっと目の届く教会直轄領の適当な家にすべきだった」
ゾフィエルは言葉に詰まった。
確かにその通りだ。
敬虔な信者であるとの報告を信じ、直轄領では目立ち過ぎると判断して選んだ分国の公爵家であったが、まさか教会から託された大切な娘を王家との縁組の道具に使おうとは。
そしてまた、アスラ様が公爵家を出奔してしまうとは。
「全く仰せの通りでございます。事前の調査が不備であったとしか」
しかしミシエルはそれには取り合わず
「それでも、冒険者となり、勇者と呼ばれるようになった辺りまでは良かったのです。皆の期待に応えて魔物を倒し続けるならば、ほどなく呼び戻して魔族討伐の責任者に任じることもできた。だからこそ、勝手な行動も敢えて黙認していたのです。だが、ルシフェルの魂が宿っているとあれば」
「あの方が我々の思うように動いて下さる訳はありませんから」
「そうです。あの者が教会に味方する筈はない。ですから、それが分かった時から娘のことは諦めています」
ミシエルは、ここでまた深く息をつき、そして尋ねた。
「その後の動向は?」
この言葉に救われたかのように、ゾフィエルは間髪を入れず答える。
「ベリアルとイシュタル、そしてフェンリル1頭を供に、山脈を越えた南の半島へ旅立たれたようです」
「行先と目的は?」
「旧人類の生き残りが住む集落へと、魔王就任の祝宴の食材集めの為に向かわれたと」
「当方はこれだけ神経を尖らせているというのに、呑気なものですね。それで、出発したのはいつです?」
「今日の午後でございます」
「それでもう報告が入っているとは、随分と情報の入手が早かったですね」
「アスラ様の身近で世話をする者として最適な密偵を送り込み、その者の得た情報を、各地に配備した念話の能力者の伝達網で伝えましたので。それに……」
「何です?」
「魔王城や魔族の国では、重要機密がまるっきり筒抜けなのです。まるで開けっ広げというか、我々とは情報に対する考え方が違うとしか思えない。あれでは密偵など居なくとも、情報は時間を置けば全てが漏洩してしまうでしょう。まあ、今回に関しては極めて短い期間の旅のようなので、早く知り得たおかげで対処を講じることができ、こちらとしては助かりましたが。あの緻密な策士であるゼブルが付いていながら、不思議なことです。以前とは性格が変わってしまったとしか」
「そうではない。つまり我々は舐められているのです。全てを知られても、阻止の仕様が無いと奴らは考えている」
そしてミシエルは眉根を寄せ、意を決したかのように強い口調で命じた。
「何としても奴らの思惑を阻止してみせるのです! 目的地は旧人類の集落と言いましたね。そこに精強な軍を至急送り込み、アスラはもちろん、ベリアルやイシュタルも一緒ならば尚更のこと、全て討ってしまいなさい。この際、その集落とやらも全滅させるのです。魔族ではないが所詮は旧人類の生き残り。ならば決して我々と相容れる者たちではない」
「それで宜しいのですね」
「くどい!」
「分かりました。実は、きっとそう仰ると予想し、一行の目的に最も近い港に快速船を300隻、近隣の舞台に命じて2万の精兵を準備させております。明日の早暁には出発させましょう」
「それで良い。ただし、あの娘は手強いですよ。更にベリアルやイシュタルとあれば、いかに精兵とはいえ楽な戦いにはならないでしょう。決して油断などせぬように」
「承知しております。その様に兵たちにも命じますし、念のためケルビエルを派遣するよう手配しております」
「ほう。あのケルビエルをですか」
「はい。ですから万が一にも討ち損じることはないかと。教皇聖下には早々の朗報をお待ちくださいますように」
そしてゾフィエルは部屋を出て行った。
ドアが閉まり足音が遠ざかる。
残ったミシエルは何かの思念を追い払うかのように首を何度も左右に振り、もう一度、更に深い溜息を吐いた。
そして机に両肘をついて手を組み、今度は厳しい眼で虚空の一点を見つめ続ける。
身じろぎもせぬその凝視はいつまでも続いた。
いったい何を観、あるいは想っているのか。