第29話 やっと出発! ☆☆
出発の準備って言っても、私には取り立ててする事はない。
だって、つい何日か前までは冒険の旅をしてたんだから、道具とか薬とか、必要な物は全部まだ亜空間収納に入ったままだ。
しかも、たかだか数日の旅の予定だから、別に補充の必要もない。
せいぜい魔王城のキッチンを覗いて、多少の食材を見繕うぐらいだ。
だから、部屋に帰って地図で再度行先の確認をしたりすると、後は手持無沙汰になってしまった。
ところがここで、ちょっと驚くことが起こった。
そう、例の新しい剣だ。
箱ごと貰って持って来たのだが、改めて開けて見てみると剣だけで鞘がない。
剣の下に敷いてある仰々しい赤い布を取り去ってみても、鞘らしいものは見当たらない。
これは、どういうことだろう?
まさか、抜き身のまま持ち歩けってことじゃないよねえ。
いくら普段は鈍刀だとしても、それはちょっと危ないんじゃないか?
とか思いながら手に持って剣を眺めていると
(鞘に入れるところを念じてみよ)
と心の声さんが言うので、その通りにしてみると、あらら不思議、剣は瞬時に姿を変え、ちょっと洒落た腕輪のようになって私の手首に巻き付いた。
で、逆に抜くところを念じると、姿を剣に戻し、柄は私の掌に納まり、刀身はまた怪しい煌めきを放つ。
何だこれは? もしかして話に聞いたことのある古代の形状記憶合金?
いやいや、そんな生易しい形や大きさの変化じゃありませんよ。
(やはりな。そういう仕掛けか)
知ってたの?
(そんな剣があると噂に聞いただけだがな。我には思念の剣があったから、武器は不必要だったのだ。お前と違って長時間、自由自在に使う事が出来たからな)
自慢かよ?
(まあしかし、場合に応じて形を変える剣があっても、別に不思議はなかろう。旧文明の物語には、それ自体が意思を持って言葉を話す剣とか、魂が人間の形の分体となって行動する剣まであったぞ)
そんなあ! それは、さすがにちょっと有り得ない……
(長年使われた器物は、魂を得て「付喪神」とかいう存在になる、という言い伝えもあるぞ。それに現に、お前が戦った獣王は、剣に擬態した生物を取り込んで怪物に変身したではないか)
あ、そんなこともあったねえ。
(ならば、魔導の力で何かの魂を実際の剣に宿らせる事も、決して不可能ではあるまいよ)
そうか。じゃあ、もしかしてこの剣も突然喋り出したりして。
我とか吾輩とか…… うーん、それは嫌。
(何故だ?)
だって、今でさえウルサイ人が私の中に居るんだもの。
この上、もう1人増えたら堪りませんって!
それに、心の声さんも、この剣が言葉を話したりしない方がいいんじゃない?
(どういう意味だ?)
お喋りが一人増えたら、その分、影が薄くなるかもよぉ。
(な、何を言う! やはり我に対する尊敬が……)
とかなんとかやってる内に昼食の時間が来たので、旅立つ前に軽く腹ごしらえをする。うん、何事も空腹じゃあ始まらないからね。
さっき言ってたように、今日の昼食はハンバーガー…… と思ったら、軽く焼いたバンズに野菜と一緒に挟んであるのはパティではなくてケバブだ!
なーるほど、これは確かにある意味でケバブサンドだ。
普通のハンバーガーならば挽肉を使うところは昨日のタコスと一緒だ。かといって、伝統的なケバブサンドならばピタパンはトルティーヤに似てるし、小さめに切ったサラダっぽい野菜を挟むところはタコス同様だ。
考えたなあ。
バンズを使って野菜もハンバーガー風に切って、肉だけをケバブにすれば両方のいいとこ取りで、食べる方の目先も変わるもんね。
それにどうせハンバーガーを作るつもりでバンズの用意もしてたんだろうから、それも無駄にならないということか。
で、肝心の味の方だけど、それぞれの食材がしっかりと自分を主張して、でも全体としてのまとまりもあって悪くない。
これがハンバーガーやサンドイッチの難しいところで、具材にどんな上質の肉や野菜を使っても、バンズが負けてたりすると全体の味がバラバラで不味いし、その逆も当然ダメだ。
でも今食べてるこれは、バンズは外側は焼かれてカリッとして、中はふんわりもっちり。
ケバブはラム(仔羊)肉で柔らかくて臭みもないし、それに下味をつけて香ばしく焼いてある。
野菜は薄切りのトマトと辛みの強くないタマネギ、それにレタスなんだけど、やはり薄切りにしたピクルスが挟んであるところが嬉しいねえ。それにマヨネーズベースのドレッシングが合わせてあって……
うん、バンズと肉と野菜が混然一体、旨味を増強し合ってるぞ。
ここで添えてあるヨーグルトをひと口飲む。うーん、これが口の中をさっぱりさせてくれて、やっぱりケバブに合うんだよ。
バーガースタイルということで付け合わせてあるフレンチフライも、定番ではあるけれど、高温でカラッと揚げてあって、見るからに美味しそう。味付けは岩塩を振ってあるだけだけど、岩塩自体が塩っ辛いだけじゃなくて、複雑な旨味を持ってるからね。まあこれもパクパクと食の進むこと進むこと……
さあ、食事を終えてさっきの謁見室に行くと、もう既にフェンリルのオスカル君が居て、私を待っていた。
まあね、彼も準備って別にないだろうから、早いのは当たり前だ。
前足を真っ直ぐ伸ばし後ろ脚を曲げた「お座り」の姿勢で、私を見るとやはり恥ずかしそうに頭を小さく下げて挨拶をした。
ガイアさんもいる。見送ってくれるのだろう。
なぜか、ふーちゃんもいる。ひょっとして一緒に来る気なのか? いやいや君は今回は留守番だ。
ちょっと待っているとファフニール君がやって来て、バスケットを渡す。
「今晩の夕食に」
だそうだ。気が利くなあ。
最後にゼブルさんが2人を連れて来た。
ベリアル君は自分で歩いてきたが。もう1人、イシュタルの方はゼブルさんに手を引かれて、嫌々連れられてきたって感じ。
ああ、もう、そんなに嫌なら無理に来ないでもいいのに。
ベリアル君はさっきの盛装とは違って、ラフな、いかにも旅に出るといった動き易そうな服装。
でもイシュタルの方は、さっきとどこが違うのかよくわからない、やっぱりゴスロリ風ドレス。
不健康そうな化粧もそのままだ。
(2回も続けて呼び捨てか。相当に「クソBBA」の事を根に持っておるな)
そうじゃなくて、今のこの態度に怒ってんの。
見てよ、あの厚化粧の不機嫌そうな顔!
あーあ、先が思いやられるなあ……
とにかく! 出発だ。
私は2人のリュックを預かり,夕食のバスケットと共に亜空間収納に入れた。
そして自分の周りにガイアさんに倣って光の魔法陣を描こうとした。
本当だったら手を繋ぐなりなんなり,身体の一部が接しているなら一緒に転移は可能なんだけど,きっとイシュタルが嫌がると思ったからだ。
(3回目か。やはり相当だな。呼び捨ての上に手も繋ぎたくないのか……)
違います!
手を繋がないのは、私じゃなくて、きっと向こうが嫌がると思ったからで……
すると、ゼブルさんが
「アスラ様、出発の前に1つだけ宜しいでしょうか?」
ん? まさかまた面倒な「条件」の追加とかじゃないよねえ。
だとしたら、私もさすがにキレるかもよ。
「魔王就任の祝宴なのですが、来賓に招待状を出さなければならないので、そろそろ日程を決めておきたいのです。2週間後では如何ですか?」
「早過ぎます。1か月後!」
「いやいや、慶事は早いに越した事はないでしょう。2週間後に致しましょう」
「今から数日かけてスパイスを手に入れに行くんだし、他のいろんな準備もあるから1か月後」
「いやいや2週間」
「1か月!」
「ああもう、この出発前になって何を揉めておるのじゃ! 妾が決めてやろう。間を取って3週間後にせい!」
「|ぴーぴーっ《だから、君は留守番だって……》」
ということで交渉成立。
3週間後に決定だ。
そして私は周囲に3人と1頭が入れる大きさの光の魔法陣を描き
「さあ」
と促した。
1人と1頭はすんなり、もう1人のゴスロリ(!)は躊躇している様子だったが
「何をしているのです。早く!」
と《《パパ》》に背中を押されて、渋々光の輪の中に入って来た。
よし、行くぞ!
私はちょっと集中して魔法陣に魔力を込め、するとガイアさんの時のようにやはり目の前が光で真っ白になって……