第50話 ケルビエル
「何これぇーっ!?」
ごめん。つい声に出ちゃった。
だって、これは「異形」どころじゃない、そんな言葉ではとても表せない破天荒な姿だもの。
「あっちゃらこっちゃら、何じゃこりゃ、だっぺ!?」
はいはい。ルイジ船長も落ち着いて、お静かに。
とにかく、ちっとも天使らしくない!
いやーはっはっは。
今までいろんな場所で数限りない魔物を見ましたけど、いかにも「驚け」っていうこれはちょっと。
少しばかり品が無いんじゃありませんこと?
正面には王冠を被った人間の顔。
これが凄まじい憤怒の表情で、しかも眉は稲妻形だから、濃い。とにかく濃い。
左右には牡牛とライオンの顔。
後ろにも、もう1つ顔があるみたいだけど、こちら側からは見えないなあ。気になるぅ~。
翼は4枚で、2枚で桁外れの巨躯を覆っているが、その下からは無数の目が見え隠れする。
足には青銅色の蹄。
そして全身を燃え上がる炎が包んでいる。
天使というより大怪獣だな、こりゃあ。
「わが名はケルビエル!」
今度は口から放つ大声。
ああ、そうですか。
わざわざの自己紹介、ありがとうございます。
「智天使ケルビエル!」
くどい!
もしかして、自己顕示欲の塊か?
う~ん、私の最も苦手なタイプ。
お友達には、なれそうもない。
「小悪魔や海賊どもめ。これまでだ」
とか、何か言う度に口から炎を吐くから、もう熱いこと暑っ苦しいこと。
もしかして、これが旧文明のドラマには時折登場したという、かの熱血先生か?
(それはちょっと違うと思うぞ)
「吾が顕現したからには、もう貴様らの好き勝手にはさせんぞ!」
あれ? 吾とか言ってますけど?
(こ奴はいつもそうなのだ。何かというと我の真似をしおって。しかも、たかだか智天使の集合体の癖に、弱い奴が徒党を組んで強がるように、偉そうに意気がっておるのだ)
「真似」、「偉そうに」?
じゃあ心の声さんの「我」もエラソーってことじゃん。
ふーん、自覚してるんだ。
(な、何だと。たわけた事を! わ、我の「我」は自然な威厳と高貴さの表出であって、こ奴の「吾」とは…… つ、つまりだ、「我」と「吾」は音は一緒でも、そもそも根本的に異質の自称であって…… と、とにかく違うのだ!)
あっ、そうだ!
「オスカル君、アイツを食べちゃって」
「な、何をいきなり?」
「巨大化して、ひと呑みにしちゃえって言ってんの」
「嫌です!」
「え? 何でよぉ。フェンリルは北欧神話の主神オーディンだって呑み込んじゃったんでしょう?」
「それはあくまで神話です。それに、あんな炎まみれのヤツを食べたら《《胸焼け》》がしそうで」
その時、ひときわ大きな火球が巨人を撃った。
イシュタルだ!
でも巨人は微動だにしない。
「ふん。炎の天使たる吾に火炎攻撃など効くものか。愚かな」
「言ったわねーッ。じゃあ、これはどうよ!」
突然に激しい氷雪が舞い起こり、巨人を包む。
しかし、巨人の身体から燃え上がる炎の勢いは弱まることがない。
(巨人、巨人と繰り返しておるが、あ奴の名は「ケルビエル」だぞ。ひょっとして、覚えられなかったのか?)
「煩わしい小悪魔だ。消えよ」
と、その巨人、あ、いや、えーと、ケル何とかさんは……
(ケ・ル・ビ・エ・ル・だ)
そうそう、そのケルビエルはイシュタルのものに数倍する火球を掌から発し、火球はイシュタルの姿をのみ込み、遥か彼方の海中へと消えた。
それと同時に耳をつんざく爆発音。
あっ!
(大丈夫だ。あれ位で簡単に殺られはせん。すぐにケロッとして戻って来るだろう)
「さあ、娘よ、次はお前だな」
ところが
「おい」
あ、ライオンの顔が口を利いた。
声帯が違うから言葉は話せないかと思ったのに。
ムチャクチャな姿でも、さすがは天使。
「さっきから貴様ばかりが、何を代表者面して喋っておるのだ」
「あ、いや、吾の顔が正面にあるから、一応の代表として相手に当方の意思を伝えただけで、決して他意は……」
顔同士の仲間割れ?
すると今度は牡牛の顔が
「それが余計だというのだ。だいたい、顔の位置だけで、一応の代表だろうが何だろうが決められて堪るか」
「その通りだ。吾などは顔が後ろにあるというだけで、影が薄くて薄くて、我慢できんのだ。たまには正面を譲れ!」
あれ、すると今の最後の声は後ろの顔なのか?
そしてその顔の力か、首が「うーん」と捻られて、ちらっと見えたのは鷲の顔。
そうか、もう1つの顔は鷲だったんだ! あー、スッキリした。
この時、少し離れた空中には、にやにやと淫靡な微笑を浮かべたベリアル君がいた。
するとこれは……
「やはりお前の仕業か。小癪な!!!」
今度は人間の顔の口から激しい火炎。
ベリアル君の姿はそれに包まれ、消えた。
でも大丈夫なんだよね?
(ああ。どこかでお前の戦い振りを見物するつもりだろう)
見物とか、さすがに性格が歪んでるなあ。
「さあ、これで邪魔者は消えたな。覚悟せよ」
ケルビエル(覚えた!)は肩にかけていた巨大な弓を手に取り、構え、弦を引き絞る。
あ、これはヤバいぞ。
私は咄嗟に「やまと號」の周囲に物理・魔法両方の障壁を張る。
放たれた輝く矢は障壁に当たり、衝撃と閃光を残して消える。
巨大な船体が激しく揺れる。
そしてなんと、敵船も巻き添えだ!
光の矢の衝撃は「やまと號」だけではなく、周囲の教会軍十数隻を襲い、それらの白い船体を引き裂いた。
爆発が起こり、燃え上がる残骸が激しく波打つ海面を埋め尽くす。
自分にとっては味方の筈なのに!
外道だな、コイツ。
「ふん。幻惑されたり逃げ腰になった兵士など、もはや何の役にも立たん。足手纏いなだけだ。お前らは、吾の力だけで退治してやる。悪鬼も、それに与する者もなあ」
悪鬼だとお? どっちが悪鬼だ。
役に立たないからって味方を手にかけるとか、お前の方がよほど悪鬼じゃないか。
だいたい、その姿だって悪の怪物めいてるぞ。
天使だろうが何だろうが知ったことか。
コイツは今ここで、私が消してやる。
(油断するなよ。智天使とはいえ、何十もが集合したその力は神(?)の尖兵と言えるものだぞ)
これだけ怒っている時に、油断も何もあるものか。
とにかく消すと言ったら消す。
こんなヤツは文字通り、この世界から抹消だ!
そして私は船から飛び立ち、ケルビエルの正面、その憤怒の形相の前に立った。




