3)とろとろ、とろり。ポーチドエッグ
「エミリア様、まさかまたあのお店に向かわれるのですか?」
侍女のレイアの言葉に少々棘があるのは致し方ない事かもしれない。
前回「大葉の天ぷら」を頂いた際は、あまりの衝撃に料理方法などを根掘り葉掘り聞こうとしてしまい。一向に出てこないエミリアを心配したレイアに兵士を呼ばれそうになってしまった。
エミリアは王位継承権もほぼない、こう言ってはなんだが放っておかれている存在ではあるが、それでも王国第11王女である。
本来、あのような窓もない怪しいお店で提供されるものを喜んで食べて良いはすがないのだ。
しかし、エミリアはそんなことは意に介さず、今日もまた、あの店に行こうとしている。
レイアは何か怪しい呪いでもかけられたのかしらと心配でしょうがない。
「そんなに心配ならレイアも一緒に入ればいいじゃない」
エミリアにそのように言われ、今日は渋々ながら一緒に店に入ることに決めた。
大都市サルーンの端の端。城壁にへばりつくように並んでいる街並みの、さらに細い裏路地を入ったところにある、「食事」の看板。
ぎい、と音を立てて扉を開くと、カウンターと厨房だけに明かりが灯された狭くて薄暗い店内に、体格のしっかりした料理人が何やら仕込みをしている。
「もうやっているかしら?」
エミリアが声をかけると
「どうぞ」と短くカウンターへの着席を促される。
2度目だからかなんの躊躇もなくカウンターへ座るエミリアの後ろ、エミリアの洋服の袖を少しだけつまんでついて来たレイアも着席する。
「それで、今日は何が作れるのかしら?」エミリアが両手を組んで小ぶりな顎をちょこんと乗せた格好で料理人へ聞いた。
「ああ、今日は、、、、、、」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
鍋の中にはお湯と、それに酢がたっぷりと投入されて、クラクラと煮立っている。
火を弱め、鍋の中をかき回し渦潮を作ると、その中に卵をそっと投入した。
回転する卵は、自らの卵白を艶やかなシルクのようにまといながら、形の良い楕円形へと姿を変えてゆく。
程よく熱が通ったところで、魔王軍幹部兼、本食事処の店主であるカーヴァインは優しくその卵をすくい上げた。
「それは?」
エミリアが興味津々と言った風に、カウンターから厨房を覗き込む。
「ポーチドエッグという。まずはこのまま試してみるか?」
2人の前に、ほんのわずかだけ塩を振ったポーチドエッグの乗った皿が差し出された。
「、、、どうやって食べるの? スプーンは?」
エミリアにそのように言われてカーヴァインは初めて気がついた。そいうえばカウンターには箸しか置いていない。
「ああ、そうか。そこにある木の棒、それはハシというもので、このように使う」
箸を掴んで自分用に用意したポーチドエッグを真ん中から切り分けると、中からとろりとした黄身が溢れ出した。
「うわぁ! 綺麗!!」
エミリアが思わず歓声をあげる。
「とまあ、こんな風に使うのだが、そうだな、初めてでは難しいな。これは失礼。今スプーンを出す」
用意されたスプーンで、改めてポーチドエッグへ。
先ほどカーヴァインが見せたのと同様に、中から濃い橙色の黄身が宝石のような輝きとともに流れ出した。
それを掬って、慌てて口へと運ぶ。
舌に絡みつくように濃厚な黄身の味が広がる。普通に焼いたよりもずっと美味しい。
卵という素材の全ての旨味を凝縮したような、素朴だけど力強い、滋養を感じる味。
「おいしい」
しみじみと呟くエミリアが、隣のレイアに目をやると、レイアは目を瞑りうっとりとした表情で頬に手を当てていた。
エミリアたちがポーチドエッグを楽しんでいるその間に、カーヴァインはほうれん草とベーコンを湯がき、その隣で卵黄とバターを使ったソースを作る。
それから、あまりこの街では見ない見た感じパサパサとしたパン。
「珍しいパンですね」エミリアが目ざとく見つけて首をかしげる。
「ああ。マフィンという。あの世界のマフィンの硬さがわからんが、再現度は中々だと思うぞ」
「あの世界?」ここの店主は時折よく分からない事を言う。
軽く炙ったマフィンというパンに、ほうれん草とベーコンを乗せ、その上にポーチドエッグ。さらにソースをそっと添える。
お皿にはもう一枚のマフィンを添えて、エミリア達の前に差し出された。
「エッグベネディクトだ。添えたマフィンで挟むようにして食べるといい」
食べるのが少しもったいなく感じる、見た目も美しいエッグベネディクト。
マフィンで挟んで、崩さないように口へ。
普段の口の開き方では到底かじることができない。だが、ここは店主とエミリア達しかいない閉鎖空間だ。
エミリアは思い切って口を大きく開くと、エッグベネディクトにかぶりついた。
見た目の通り表面は少し粉っぽいが、中はしっとりとしたマフィン。
次に先ほどと同じくポーチドエッグの旨みが口に広がり、ベーコンの塩気とほうれん草のアクセントがポーチドエッグをさらに引き立て、陶酔の味である。
「あっ」
そんな声を聞いて、レイアを見やれば溢れ出した黄身が指に垂れ、慌てて指を舐めているところだった。
恥ずかしそうにするレイアに笑顔を向けているまに、エミリアの指にも黄身が垂れてきて、慌てて舐めとる。
王宮でやったらお叱りを受けそうな食事シーンに2人は顔を見合わせて笑いあった。




