それは呪いにもよく似ていて
A子が死んだ事は、冬休み明けの始業式で担任から確実に伝えられた。冬休み中に何となく「死んだらしい」ということは聞いていたけど、単なる噂だと思っていた。でも、A子は絶対に死んでいて、彼女の机には一輪の白ユリが花瓶の中で申し訳なさそうに立っている。
A子の友人で、私をいじめていた少女たちは「どうして」「どうして」と泣いていた。
「A子が殺されたって本当ですか」
気の強い眼をした少女が担任を睨みつける。
「海で見つかるって確かに変だよ」
「酷い状態だったって」
「夜っていうのも怪しい」
泣いていたクラスの人達もヒソヒソと喋りだした。私は、その様子を何も見ないようにしながら見ていた。
「それはただの噂だ。信じないように。それでは授業を始める」
何事も無かったかのように授業は始まった。
泣いていたことを忘れたようにノートをめくり、教科書を開くクラスメイト。嘘みたいに日常が戻ってきた。私もノートを開いた。担任の言葉が耳から耳へと流れていき、言葉の内容を理解することが出来ないで、ただシャープペンシルを握りしめていた。
休み時間もその話で持ち切りだった。
話は広がり、誰かがA子を海に沈めたということになっていた。
「許せない」
少女たちが怒る。
「人の命をなんだと思っているんだろう」
やはり泣いていた。
この間まで、私のことを殺そうとしていた人たちが泣きながら命の尊さを語る。
私は席に座って次の授業の準備をした。
「4組の田中が死ぬ直前のA子を見かけたらしいよ」
4組から情報がやってきた。
田中は夜の10時頃、海沿いを走っていた。その時に同じようにA子も走っていた。A子だと気が付いたが、話をするような間柄でも無かったからそのまま通り過ぎた。イヤホンをしていて変わった様子は見られなかったらしい。でも、確かにA子は海に向かって走っていたそうだ。
「自殺じゃん」
誰かがそう言った。
「A子が自殺する訳ないじゃん」
仲の良かった少女は叫んだ。
「遺書とかあったのかな?」
「事故なんじゃない?」
「テトラポットから落ちたのかも」
憶測は止まらなかった。
結果を言うと、遺書は無かった。事故でもない。A子は自ら海に入ったのだ。それが真実だった。
その日の午後からは、クラスメイト全員のカウンセリングが行われた。
A子との関係性、クラスの雰囲気、A子はいじめられたりしていたのか。
私が聞かれるのは流石に馬鹿みたいだなって思った。本当に大人って子どものこと見えてないんだなって。どうでもよかったけど。
A子の自殺以来、私のことをいじめる人はいなくなった。「死ね」意外の言葉をクラスメイトからかけられるようになった。
「B美、次の時間割ってなんだっけ?」
「え、頭良いんだね」
「好きです。付き合ってください」
最初は嬉しかった。告白された人には丁重にお断りしたけど。でも、本当に嬉しかった。生きてる喜びとかいう薄っぺらいものを感じる事ができた。
異変が起き始めたのはいつからだろうか。A子の机の花が変わるペースが3日に一度になっていた頃だと思うから、多分春休みに入る数週間くらい前。いつものように私は授業を受けていて、いつものようにノートを取っていた。
そんな時、不意に声が聞こえたのだ。
「お前死ねよ」
気の所為だと思って無視をした。
すると、また聞こえた。
「お前死ねよ」
誰かが呟いたのかと思って周りを見渡したが、全員ノートを取っていた。
声はすぐ側で聞こえる。
「お前死ねよ」
その声は、A子の声によく似ていた。
文化祭の数日前に実際にA子から言われた言葉だ。その時は調子乗ってる奴が何かを言っていると思って呆れていたが、今は違う。今この世に存在しない人間から浴びせられる言葉は恐怖でしかない。
耳を塞いだがいつまでも聞こえる。止む事がない拍手のように言葉が増える。その声を消そうと、私は叫んだ。
「ワーーーーーッワーーーーーッ」
クラスメイトと先生の視線を無視して、耳を塞いで体を丸めて叫んだ。
「どうしたの!?」
答えることをせず、私は叫んだ。恐怖で涙が止まらず、ガタガタ震えた。
叫んだ分だけA子の声は大きくなる。私はその場から逃げ出した。
鞄を持たずに上履きのまま外へと飛び出し、スカートを翻して走った。
取り敢えず家まで帰ろう。
声はずっと追いかけていた。
家の鍵を開け、誰もいない部屋に飛び込んだ。
息も絶え絶えになりながら自室に行き、そのままベッドに潜った。
布団にくるまりながら、泣き叫ぶ。家の中に誰もいないとい状況を有難いと思いながら。
夜になり、泣き疲れて眠っていると母から声をかけられた。
「大丈夫?」
母は誰かが持ってきてくれたという鞄と夕食を私の部屋に置くと、それ以上は何も聞かなかった。
次の日も、その次の日も声は絶え間なく聞こえた。
「お前死ねよ」
聞こえるのはA子の声のみだったが、日を追う事に内容は様々になってきた。
「いる意味ないよ」
「お前が死ねば良かったのに」
「なんでお前が生きてるの?」
「早く死ね」
こんな言葉、A子からかけられたことなんて1度もないのに、とても鮮やかに聞こえてきた。
それは、A子が生きていた時にされていたいじめよりも辛かったし苦しかった。
布団に潜って何週間過ぎたのだろうか。
髪も伸びきり数日に1回しか風呂にも入らないから自分の体が臭う。太陽も、もう何日も浴びていない。
両親は私に興味が無いから余り関わらないため、食事の量が減った。生きながら死んでいるみたいだった。
その日の朝もずっと声は頭に届いていた。これがずっと続くのか。そう思うと、腹が立ってきた。
「うるさい」
もういない癖に。
この世に存在しない癖に。
自殺した癖に。
どこまでも私を苦しめようとする。
私は何をされても耐えてきた。学年全体から「死ね」と言われた時も、担任から「あなたにも悪いところがある」と言われた時も、好きな人の前でそこまで好きじゃない奴とキスをさせられた時も、耐えてきた。
生きることに意地になっていたのだと思う。
絶対に死んでたまるかと思っていた。
死人の声がなんだ。
もういないんだ。
「ざまぁみろ」
そう呟いた。
私は生きていて、私をいじめたアイツは死んだ。
しかも自殺。
生きている私には希望がある。どうにでもなれる。布団にくるまって怖がっているのが馬鹿みたいだ。
布団をめくり、カーテンを開けた。
登校している小学生を見ながら伸びをした。ふとカレンダーに目をやると、4月だった。
春休みはとっくに終わっていて、私は中学3年生になっていた。こんな所で燻っていられない、一分一秒が惜しい受験生になったのだ。
授業に遅れる。不登校なんてものになってしまったら内申点が危うくなる。
登校時間はとっくに過ぎていたが、制服に着替えて私は学校に向かった。
相変わらず頭の中ではA子の声が聞こえていたが、逃げ出したくなることは無かった。
職員室に行き、自分のクラスを確認する。
担任になったのは、教師の中で1番年上の国語の先生。その人は職員室にいて、私と共に教室へと向かってくれた。
「よく来てくれたわ。よろしくね」
そう言った先生の顔は優しく微笑んで。
良い人なんだろうな、きっと。
教室に入り私の席を指さした先生は、そのまま教壇へと向かい、授業が始まった。
授業はあまり遅れていなくて安心した。これならすぐに追いつける。
「B美ってどこの高校にするの?」
休み時間、前の席に座っていた少女が声をかけてきた。
「まだ決めかねてる」
「遅いね。早く決めた方がいいよ」
少女はニヤニヤしながら前を向く。その顔に見覚えがあり、また声が聞こえた。
「お前死ねよ」
耳を塞いで寝たフリをする。
ふと将来を考える。
私もどこの高校に行くのか決めないといけない。
この、忌々しい中学校から抜け出すチャンスがやって来たことに気がつき、私の心は高ぶった。
放課後、図書室にあるパソコンで高校を調べる。
学費が安く、頭が良いところ。
頭が良かったら馬鹿みたいな行動をする人は少ないだろう。同じくらいの偏差値を持つ者が一緒に生きるんだから、争いは起こりにくいはずだ。
「何を調べているの?」
声をした方を向くと、担任が立っていた。
「高校を探しています」
担任は画面を覗き込んだ。
「近くの学校にするの?」
「はい」
「なんで?」
「家から通えるから」
「家から通いたいの?」
「いえ、そういう訳では……」
担任はきっと何かが言いたいのだ。返答を待つ。
「あなたはこの街を出た方がいい」
そう言った。
「あなたにこの街は小さすぎる。あなた、塾にも通っていないのにとても成績が良い。きっと頭も勘も要領もいいのよ。だから小さい街だと目をつけられやすい。素敵な学校は外に沢山あるわ。寮がある高校なんかも視野に入れてみてもいいんじゃないかしら」
「はあ……」
先生は私がもう少し話すのを待っていた。でも、私は何も言えない。
家を出る?
この街さえも出る?
寮のある高校?
考えたことがなかった。
「それじゃあね。あなたの成功を祈っているから」
しばらく待ったあと、先生はそう言って帰って行った。
私も家に帰り、夕飯を食べながらもその事を考えた。
「私、ここを出ようと思う」
向かいに座りながら夕飯を食べる両親に言った。
「いいんじゃない」
母はそう言うと、付けてあったテレビ画面に目をやった。人気芸人がドッキリを仕掛けられている。
「寮のある高校があるんだって。そこに行こうと思う」
「いいんじゃないか」
父も言った。
来年の春、私はこの街を出ることにした。
そこからは勉強漬けの日々だった。
私が目指したのは、他県にある寮制の高校。いつも通り勉強を頑張ったら入れるくらいの偏差値だ。丁度いい。
新しくなった担任にその事を話すと、「良かった」と喜んでくれた。
「高校決まったんだって?」
前に私に高校を聞いてきた少女が聞く。
「うん」
「そう」
面白くなさそうに答えると前を向いた。
なんとでも言えばいい。来年の私は、ここにはいないのだから。
声は絶え間なく聞こえていた。
私が遠いところに行こうとするのを蔑むような言葉もあった。
その度に全てを投げ出したくなったが、それでも自分を奮い立たせた。
死んだ奴の言うことなんて聞いてやんない。怒り全てを勉強にぶつけた。
この街を出ることは“逃げ”だと思っている。それでも良い。逃げて何が悪い。私は生きることを選んだのだ。A子とは違う。
その年の春、私は行きたかった高校の合格を手に入れた。
そこからの生活は、まるで中学の3年間が嘘かのように順調だった。
勉強をするのも部活に行くのも、高校は本当に楽しかった。
部活は演劇部。主役を任されることもあり、カーストでいうと上級に居た。この高校にいじめがあったのかなかったのか、それすらも届かない位置にいた。それでも、声は聞こえる。
主役を任された日も聞こえた。
好きな人にフラれた日も聞こえた。
テストの点が下がった時も聞こえた。
大学入試前にも聞こえた。
就職の内定を貰った日も聞こえた。
大好きな人と付き合えた日も、その人にこっぴどくフラれた日も、それでも私を好きだと言ってくれる人に出会えた日も、声はずっと聞こえていた。
うるさい
うるさい
うるさい
うるさい
うるさい!!
聞こえる度に、私はその声をかき消す。私に降り注ぐ逆境を、A子の言葉を原動力にして跳ね除けた。
これは呪いだから。A子からかけられた呪い。これを解く術を、私は知らない。
「そういう訳で、地元にはあまり帰りたくないの」
来月、私の旦那になる人にそう告げた。誰かにこの話をするのは初めてだ。彼は結婚する前に私の地元に行きたいと言った。私の両親とは都心のホテルで顔合わせをして会っているから、別に地元まで来る必要はないと思うのだけど、彼は私が幼少期を過したあの海が見える地元に行ってみたいらしい。
「そんな事があったのか」
そう呟いた彼は、受け止めるように私が入れた紅茶を飲む。
それを、固唾を呑んで見守った。これで何かが変わることは無いのだろう。「じゃあ行くの止めとこうか」と彼が言えば、きっとそうなる。別に婚約破棄されることも無く、ただ彼は私の地元を知らないと言うだけの話。それでも、私に起こった出来事を聞いた彼の気持ちも、それを話した私の勇気も消えない。それだけで、私は随分と救われるのだ。
「じゃあ、行くの止めとこうかな」
彼は紅茶を飲み終えたあと、そう言った。
「それがいいよ」
私もそう言って紅茶を飲む。
「でも、これだけは言わせて欲しい」
「何?」
「君は、言葉をA子さんの呪いだと言ったけど、今はきっと違う。最初は確かに呪いだったのだろうね。でも、君は呪いを呪いに昇華したんだよ。それは誰の力でもなく、確実に君の実力だ。大丈夫、君は強い」
「もう寝るね」
彼は欠伸をすると寝室に入っていった。
「おやすみ」
私は紅茶の前に座ったまま。
呪いが呪い?
昇華?
そうなのだろうか?
「お前死ねよ」
A子の声が聞こえる。
数10年前、私をいじめていた主犯格の少女の顔も、私に助言をくれた3年の時の担任も、前の席に座っていた性格の悪そうな女の子も、誰の顔も声も名前すら思い出せないのに、A子の顔と声だけは、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
「死ね」と声が聞こえる度に、死んでやろうと考えていた。A子のように死んでやろうと。
でも、「生きてやる」とも思ったのだ。
「死ね」が私を奮い立たす為の呪いになっていたとか、なんて滑稽なのだろうか。
数日後、私は1人で忌まわしい地元へと帰った。
彼は「やっぱりついて行こうか」と言ったけど、1人で行くことを決めた。
実家によった後、A子が命を絶った海へと歩いて向かった。
彼女が死んだのは深夜帯らしいけど、私は昼間の暖かい時間にした。一応、線香とライターだけはポケットに忍ばせて。
歩きながら、様々なことを思い出す。
A子の家族は彼女の死後、この街を離れていった。お兄さんはサッカーの名門校に通っていたらしいけど、サッカーとは無縁の高校に転校したと聞いた。
A子は海で自殺をした為、海で取れた魚を食べられなくなった人が数人いたとも聞いた。水族館で水槽に入っていた魚が餌を食べているところを見ただけで失神した人もいたそうだ。A子が死んでから海水浴に行く地元民は減った。
A子は、そうなることを分かっていたのだろうか。誰かを困らせたかったのだろうか。それとも、本当に私だけを呪いたかったのだろうか。
でも、もういないから彼女のことは何も分からない。それは、やはり少し寂しい気もする。
濃い潮の匂いがする海に着き、人っ子1人いない波とか砂浜とか水面を眺める。平凡というより、平凡以下。人を飲み込んでしまっても海は何も無かったかのように穏やかに揺れる。砂浜に線香を立ててライターで火を灯す。風に吹かれた香煙が静かに海の方向へと消えていくのを見ていた。
涙が流れると思っていた。
A子の呪いを許し、この地元さえも少し好きになって、いじめられたから私も優しくなれたなんて綺麗なことを考えながら、この海のように何も無かったかのように生きていけると希望を持って、涙が出ると思っていたのだ。
でもそんなことはなくて、ただA子に対して「見ていろよ」と思う。彼女はもう何も話せないから、私も何も話すことは無いし、彼女を許すつもりもない。だから彼女が一方的に私を嫌ったように、私も一方的に「そこで見ていろ」と思う。
その暗くて深い海の底で、私の人生を見ていろ。あなたの死を踏み台にして、私は生きてやる。
死を考えることは、生きることを考えることによく似ていて、死への恐怖を知らなければ、生きることの尊さなんてものも知りえないのだ。
なんて、ね。
死や生を語るには私は若すぎる。もっと生きてやろうかな、そのくらいの軽い気持ち。
「お前死ねよ」
声が聞こえ、鼻で笑ってやった。
その声は私のそばいたけど、しばらくすると波と共に消えていったんだ。
"のろい”と"まじない”、漢字で書くとどちらも"呪い”です。
意味も似ているのですが、感じる力は"まじない”の方が少し暖かい気がします。
このタイトルはどちらでも良いので漢字にしました。
B美はこれからもこの2つの言葉を交互に思い出すんだと思います。
それが"のろい”なのか"まじない”なのかを考えることは、もう無いんだろうな。
それがB美の復讐だったら良いなと思います。




