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記憶の眠る街  作者: 叶 響希
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「大事にしろ。今度は落とすなよ」

 翌日の午後、時計を受け取りに来たリゼットは、完全に修理を終えた時計に大喜びした。

「すごいわ、ディルク。本当に直しちゃった! 見て、マティアス。ちゃんと直ってる」

「よかったね」

 マティアスはリゼットには微笑み、俺には申し訳なさそうな顔をした。きっと、俺がどこから部品を手に入れたか気づいているのだろう。どうやらリゼットには話していないことが、俺の気持ちを尊重してくれているようでありがたかった。


 リゼットはさっそく時計を動かす。最初は規則正しく秒針が動くことを確認し、それから時間を正午に合わせた。

 子守唄が流れ始め、半透明の羽を持つ小さな妖精達が時計の周囲を旋回する。中心に現われたのは、花冠をかぶった長い髪の女性――見たところ、妖精の女王様とでもいう感じの人物だ。子守唄の歌声は、どうやら彼女のものらしい。


「あれは、僕が子供の頃に親から与えられたものなんです」

 妖精達との再会に夢中になっているリゼットから離れ、マティアスが小声で俺に打ち明けた。

「だろうな。あんた、特権階級の生まれだったんだろう?」

「昔は、それが誇りでした。外の世界を知るまでは、外界の人間は僕と血の色まで違うのではないかと思っていたくらいです。外の人間を殺したって罪にはならないとね」

「典型的な支配者意識ってやつだな。反吐が出る」

 マティアスは苦笑して、真正面から俺を見た。声を落としたまま、話し始める。


「僕は国境部隊の駐屯地に、期限つきで派遣された身でした。ゆくゆくは軍の最高指令本部の将校として、実際の戦地に出ることもなく生涯を保障されて生きることのできる立場です。でも、僕が派遣された町が敵襲に遭い、僕は重症を負って、気がついたときには野戦病院に収容されていました。僕が意識を取り戻した頃には部隊は完全に姿を消していて……僕は信じていた軍に捨てられて、軽蔑していた民間人に助けられたのです。――リゼットに出会ったのは、そういう自分の運命を呪うことも諦めることもできない、そんな時期でした」


「……なんで俺なんかに話す?」

「あなたには嘘をついてはいけない気がして」

「そいつはどうも。だからって、俺は神様ってやつじゃねえしよ」

 マティアスは、どこか嬉しそうに微笑んだ。

「そうですね。僕はただ、一人くらいには打ち明けてみたかっただけなのかもしれません」


「忘れたふりで追求を逃れるのも楽じゃない、か?」

 冗談めかして笑った俺は、リゼットが恨みがましい目つきでこっちを見ていることに気づいた。どうやら、仲間はずれにされたことを抗議しているらしい。

「頼みがあるんだ。あんたと、それからリゼットに」

 自分の名前が呼ばれた途端、リゼットの目が好奇心に変わる。指でこっちに来るよう合図すると、しつけられた小型犬みたいに駆け寄ってきた。長く伸ばした金髪が背中で跳ねるのが、まるで尻尾みたいだ。


「ルンに……いや、エミールだ。エミール・ベステル。いつかもし、こいつやこいつの知り合いに会ったら、言ってくれ。そのちっこい時計は俺が修理したんだってな」

「ルンって、たしか」

 死んだんじゃなかったの、とリゼットは言わなかった。代わりに、さっきまでガキのものでしかなかった顔つきが、事情通の大人のような表情に変化する。

「ディルクの一番大事な友達のことね」

「ああ」

 俺は素直に頷いた。リゼットが俺を頼ってくれてよかったと、心から思った。


 たった数日間の、まるで肩が触れ合った程度の短い縁だった。それでも俺はこれから先、リゼットやマティアスのことを何度も思い出すだろう。これは、その場限りの感傷なんかじゃない。腐りきった日々の中で二人に会えたことは、俺にとってはルンとの思い出の次に重要なことに違いないからだ。

「元気でな」

 これから隣町へ向かって旅立つという二人を、俺は廃工場の出口で見送った。


 何度も振り返って大きく手を振るリゼットが隣を見上げて何か言い、マティアスは優しく微笑んでいる。

 たとえば十年後、二人は今のように無邪気なだけの関係ではないかもしれない。それでも俺には、今とは少し違う関係で寄り添っている姿が見える気がした。

 俺の手元には、マティアスが買ってきた煙草と、リゼットがくれたレモン味の飴玉が残った。



 夕方になって酒場で電話を借り、俺は七年ぶりに実家に連絡をした。通信状態が悪すぎて映像は入らなかったが、電話に出たのが母親だとすぐにわかった。

 おふくろの声は確実に老けていたし、俺の声だって十五歳の頃とは違っているはずだ。それでも一瞬で、お互いが誰なのかわかってしまった。もしかしたら親子の絆なんてものは実在するのかもしれないと、妙に感心してしまった自分が可笑しい。かといって冷静だったかというとそうでもなく、俺は端的に、あまりにも手短に、とりあえず元気でいるということしか言えなかった。


「いつか……帰るから。必ず。でかい土産を持って帰るから。それまで、IDは抹消しないでおいてくれ」

 おふくろは泣いていた。ほとんど会話にはならなかった。

「体を大事にしろよ。……いまさらだと思うけどさ」

 じゃあ、と電話を切ろうとしたとき、おふくろが何か言った。

 あなたも、と。そう聞こえた気がした。俺は、また連絡すると早口に言って、回線を切った。そうしなければ、俺のほうがどうにかなりそうだったからだ。


 酒も飲まずに外へ出た。ちょうど陽が暮れかけて、道路の両脇にはぽつりぽつりと明かりが灯り始める。その灯りが少しだけ滲んで揺れて見えるのは、きっと、この街が俺に送ってくれた餞別だろう。救いようのないほど汚れたこの街を、初めてきれいだと思えたのだから。


 翌朝、俺はこの街を出るつもりだった。もう一度、やり直すために。

 親方は、勝手をした俺に腹を立てているだろう。殴っても、許してくれないかもしれない。それでも俺は、回り道をして戻った覚悟をわかってもらうまで、食らいつくつもりだ。下っ端修行からのやり直しでも、今度こそ逃げたりしない。


 ――ディルならきっと実現してくれるって、僕、楽しみにしてます。


 俺も自分のことを信じたい。もう一度。

 俺達の願う世界を。

 あの無機質な広場に、時計台を。

 今度は、夢のままで捨てたくない。


「とりあえず……髪、切らねえとな」

 伸びすぎた髪は、くだらないプライドと一緒に置いていこう。


 そして。

 俺は帰る。いつか、あの場所へ。

 かけがえのない約束と、懐かしい記憶が眠る――あの街へ。



―了―


最後までお付き合いしてくださって、ありがとうございました。

この物語は、かつて夢を描いて挫折を味わったことのある人にこそ、味わっていただきたいお話です。

私自身の夢というと、読んでくれた人の感情を揺さぶるような物語を書きたい、かなぁ。

読んでくださったあなたが、夢に向かって歩き出せますように。

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