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記憶の眠る街  作者: 叶 響希
4/7

 翌日、俺は悲鳴で目を覚ました。窓からの陽の射し具合を見るに、朝っぱらと一般に呼ばれる時間はとうに過ぎているようだ。

 横になったまま視線だけを巡らせると、案の定、リゼットが来ていた。


「わたしの宝物がバラバラになってる!」

 作業台代わりの箱――かつて工場が稼動していたときには機械の外面だったと思われる鉄製の筺体の前で、少女が目を丸くしている。そこに並んでいるのは多くのネジと歯車、小型回路、レンズ、薄っぺらな文字盤、装飾用の小さな人形、その他諸々の部品達だ。


「……分解したんだから当然だ」

 寝起きで掠れる俺の声に振り返り、リゼットはいかにも不服そうな顔をする。

「これ、ちゃんと元の形に戻してくれるの?」

「お前が修理しろと言ったんだろうが。今でもそのつもりなら、絶対に触るなよ。順番に並べてるんだ。ひとつでも落っことしてみろ。二度と修復できなくなるからな」


 この脅しは効果的だったらしい。

 リゼットはスローモーションのような横歩きで作業台から離れ、三歩離れた場所から部品がひとつも落ちていないことを確認した後、かなり遠回りをして俺の側までやって来た。


「どこが悪いか、わかった?」

「多分、小さな歯車がズレたんだ。もともと、少し歪んでいたみたいだな」

「どうすれば直る?」

「部品を取り替えりゃ、どうにかなるだろう」

「その部品って、すぐに手に入る?」

「さあ……そいつはどうかな」


 ここで言葉を濁し、俺はようやく身体を起こした。いつもの癖で煙草を探したが、すっかり切らしたままになっている。

「この近辺じゃあ、新しい部品を手に入れるのは難しい」

「立体映像だけでも、どうにかならない?」

 大きな瞳に落胆と期待を半分ずつ浮かべながら、リゼットは俺の前に両膝をつく。

「……ママなの。本当のお母さんじゃないけど。マティアスにもらった、ママなの」


 映し出される映像が、ということなのだろうと、俺は勝手に理解した。

 昨日の話を信じるなら、リゼットは養成所送りを免れた子供で、助けてくれたのがマティアスとかいう人物ということだった。


「そいつは……じゃあ、お前の父親だったのか? 養父とか」

「ちょっと違う」

「兄貴か」

「そういうことじゃなくて」

「まあいい」


 追求する気になれず、俺はすぐに諦めた。詳しい話を聞いたところでリゼットの過去が変わるわけでもないし、ちょっとした興味以上に俺が満たされるわけでもない。

 俺が気を悪くしたとでも思ったのか、リゼットは膝を抱えながら、俺を上目遣いに見上げる。

 奇妙な沈黙が降りた。リゼットは俺から何か言い出すのを待っているようだったし、俺は俺で何を言えばいいのかわからない。


 普段使ったこともない意識を働かせ、俺はようやく話題をひねり出した。

「……甘ったるくて、不味かったぞ」

 リゼットは首を傾げて目を瞬かせる。

「昨日の飴玉」

「じゃあ、今度はレモン味にする。あんまり甘くないの」


 少し考えてから言い、リゼットは安心したように笑顔をみせた。こういう顔をすると、年相応に可愛げがある。それで俺は、自分に妹がいたことを思い出した。

 別れたときはちょうどリゼットと同じくらいだったが、今はもう男と同棲していたって驚かない歳になっているはずだ。慕ってくれていたとも思えないが、俺はあまり妹を可愛がってやった覚えがない。いい兄貴ではなかったと思う。


「ディルクには、戻る場所がある?」

 この唐突な質問に、今度は俺が少し考えた。

「家って意味か?」

「家族とか友達とかお気に入りの場所とか嫌いな場所とか、思い出したいとか思い出したくないとか、そういうのを全部ひっくるめてやっぱり好きな場所」

「……めんどくせえ場所だな」

 俺は溜め息と一緒に言いながら、ほんの少しばかり動揺してもいた。それはたぶん、俺が昨日の夜から考えているものと同じだろう。


 マティアスは、とリゼットは続ける。

「爆風で飛ばされたときに怪我をして……いろんなものを失くしちゃった。あの時計だけは無事だったみたい。それを、わたしにくれたの」

「いい品だ。特権階級か金持ちの家の生まれだったんだろう」

「きっとね、マティアスは内側の人だったわ。頭もいいし言葉も丁寧だし優しいし、なんといっても、顔がきれい」

 少なくとも顔は関係ないと思う。が、それを指摘すると話が脱線しそうだからやめておく。


「本人はどう言っているんだ?」

「どうも言わないわ。あまり話したくないのかもしれないし……覚えていないっていうのもあるのかもしれないけど。怪我とか病気で昔のことを忘れちゃうことって、あるんでしょう?」

「あるんだろうな、本人がそう言うなら」

「でね、わたしはどこかの親切な里親に引き取られて、ちゃんとした手続きでIDを取得するのが、本当は一番幸せなんですって」

「そう言われた、ってか。その……マ――」

「マティアスに」

「リゼットはよその家に行きたいと思うのか?」

「思わない、絶対に」

「じゃあ、思わないままでいたらいい。いずれ後悔しないって自信があるなら」

「うん!」


 まともな大人とは言い難い俺が、昨日出会ったばかりの少女の身の上話を聞いてやるなんて、まったく無責任以外のなにものでもない。

 煙草がないので手持ち無沙汰のまま、俺は後ろ手に上半身を支え、だだっ広い工場内を見渡す。リゼットが続きを話そうが話すまいが、どちらでもよかった。興味本位で急かすだけの関心も、追求する権利も、俺にはない。


 今度の沈黙は、少しばかり長かった。その間、窓辺に小鳥が飛んできて俺達を一瞥し、窓枠をちょいとつついてから飛び去っていった。


「マティアスには戻る場所はないの。そういうの、わかる?」

「なんとなく」

 本当は、ちっとも、と答えたほうがよかったのかもしれない。俺が内側の世界に帰らない理由と、そいつが戻れない理由とは、きっと違って当然なのだろうから。

「わたしはうんと小さな頃にマティアスに出会ったから、本当の家族のことは覚えていないの。でも、いろんなことを教わったわ。わたし、世の中のほとんどのことをマティアスに教えてもらったのよ」


「……故郷も、か」

 言ってしまった後で、俺は後悔した。

 俺は聞き役だったはずだ。それに、俺の心の中に溜まっているものは、こんな少女に向けて吐き出すようなものでもない。

 リゼットは俺を見つめたまま、言葉を選びとるようにして言った。

「そう。そこにいて許されると感じられる場所。離れていても繋がっていると思える場所」

「それは」

 言いかけてうまい言葉がみつからず、俺は目を逸らして天井を仰いだ。

 それはきっと、リゼットにとってマティアスという人物そのものじゃないのか。


「わたしが一番好きで、憧れている場所よ」

 俺が口にしたなら軽薄な印象にしかならないだろう台詞を、まるで何かの決意さえにじませて声に出す少女の背景に、初めて影を見た気がした。そして同時に、丸みのある頬や大きな瞳が誇らしそうに輝いている姿に、俺は軽い嫉妬さえ覚えてしまう。

 その他に縋るものを持っていないからこそ願う場所。

 それは――俺にとっての夢と同じだろうか。


「お前……リゼット、本当は何歳なんだ?」

「十三歳と七ヶ月と六日よ。昨日よりは少しだけ大人になった」


 大真面目に言われて、俺は笑うしかなかった。

 たしかに人は、一日に一日ぶんしか変化できない。成長するか老化するかは別として。ただ、一日の変化の度合いには差があって、リゼットはきっと、俺がガキだった頃よりもずっと早く大人になろうとしているのだ。


「これからきっと、もっと好きな場所を覚えていくさ。もしかしたら、嫌いな場所もな」

 説教くさい台詞を垂れるつもりもなかったが、今の俺なら、そんなに早くガキを卒業することに意味があるとは思えない。否応なしに一日ずつ時間が流れた後、ガキのまま夢見ているほうが楽だったと初めて気づくときの喪失感。あれは、誰もが経験することなのだろうか。


 俺は自分の中に、十三歳の自分を思い描いてみた。俺は生意気面して言うだろう。自分はクソみたいな大人にはならない、と。そして十三歳の俺がもし今の俺を見たら幻滅するだろうし、何もわかっちゃいないなりに抗議しただろう。

 そのとき今の俺は、昔の自分に嫉妬するだろうか。――いや、今の俺は結局、昔の俺にそのままであって欲しいと願うことしかできないのかもしれない。


「わたしね、早くマティアスを安心させてあげたいの」

「……ああ」

「わたしが彼の戻る場所になるのよ」


 俺はどんな顔をしていいかわからないまま、早熟な台詞を吐く少女の顔をまじまじと見つめた。

 意味をわかっていないなら軽々しすぎて滑稽だが、わかっているのなら微笑ましい恋心よりもずっと重みのある愛の告白だ。そして俺には、後者だろうと思えてしまったことを喜ぶべきか哀れむべきか、まるっきりわからなかった。


「ディルクったら、ヘンな顔」

「うるせえな。生まれつきだ、ほっとけ」

「心配しなくてもディルクのことも好きよ、わたし。出会ったばかりだけど」

 無邪気な顔をして、簡単に言ってくれやがる。嫌いじゃない、というだけの意味でその逆の言葉を使ってしまうのは、無神経でなければ幼い証拠だ。

 俺はそれ以上この話題に浸かっていることが耐えられそうもなくて、腰を上げた。


「出かけてくる」

「え? どこ行くの? 修理は?」

「部品がねえって言ったろうが。あたってみるんだよ」

「部品が見つかったら、本当に前と同じにしてくれるの? ううん、もし見つからなかったとしても、ちゃんと形は整えてくれるんでしょう?」

 露骨に不安そうな顔をして、リゼットは俺の顔と部品達を見比べる。


「馬鹿にすんな。俺はこう見えて」

 ちょっとした賞を取るくらいの腕はあるんだぜ。

 するりと喉から先に出そうになった台詞を、俺は飲み込んだ。過去の栄光が今の生活にはまるで不釣合いで、そんなものにしがみついている自分が情けなかった。

 俺のプライドなんて、所詮、その程度のものなんだろう。一度は自分が捨てたガラクタの中から少しでもまだ使えるものはないかと探し、ましな欠片を拾い上げて見せびらかそうとしているようなものだ。


「まあとにかく、俺を少しは信用しろ」

「でも……だって、じゃあ、部品をあのままにして行っちゃうの? 誰かに盗られたら?」

「どうせ誰もこんな場所に近寄りゃしねえよ。どうしても心配なら、お前が留守番してろ」

 ふくれっ面のリゼットを置き去りにして、俺はのろのろと出口に向かった。

「待って、ディルク」

 やっぱりついてくる気かと、半ばうんざりしつつもう半分で期待しながら振り向く。


「外を出歩くなら顔くらい洗ったほうがいいわ。もうお昼なんだし。子供じゃないんだから」

「……っせえな」

「なにか言った?」

「お嬢ちゃんはいい奥さんになれるだろうって言ったんだよ」


 とても褒めたように聞こえたとは思えない。案の定、リゼットは拗ねた目つきで俺を睨む。

 ガキだろうが熟していようが、女の扱いは面倒なものらしい。女が目つきでものを言うときは大抵、決定的にぶち切れる執行猶予期間だという脅しが含まれている。


「二時間もすりゃ戻る。待ちきれなかったら帰っていいぞ」

 つい取り繕うようなことを言ってしまう俺は、自分が小心者であることを、どうやら認めるしかなさそうだ。


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