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第7回 先輩は僕を盗まれたくない

「――小宮くん以外では久々のお客様ね。歓迎するわ」


 そう言って紅茶を出す紫衣子先輩は、ほんの五分前まで首から上は真っ赤で下は真っ黒だったとはとても思えない落ち着いた気品を漂わせていた。


「……は、はい、ありがとうございます」


 風紀委員の娘はどぎまぎしながら小さく頭を下げる。おかっぱ頭で目つきがちょっときついけれどそのきつさが微笑ましい、仔猫を思わせる女の子だ。


「わたしは部長の奈鳥紫衣子、こちらは部員の小宮真白くん。あなたは風紀委員の方ね、高等部の一年生よね?」と先輩は彼女の襟章に目をやって言う。


「あっ、はい、7組の日高夏美です」


 日高さんは先輩にそう答えながら、ちらちらと僕に目を向けてくる。こっちの視線に気づくと気恥ずかしそうに室内を見回した。


「ここは――廃校舎だと聞いているんですけれど」


「ええ。もう十年以上、校舎としては使われていないそうね」


「でも、その、勝手に使っている生徒がいるということで今回あたしが調査にきたんです」


 僕も紫衣子先輩の横顔を盗み見た。今さらながら、この『キラー・クイーン・サークル』が学校側にどう扱われているのか知らなかったことに気づいた。日々の活動が楽しすぎてそんなところに気が回らなかったのだ。


「教職員からは認めてもらっているわ」と先輩は僕の隣に腰を下ろす。僕ら二人と風紀委員の日高さんとはテーブルを挟んで向かい合うかっこうになる。「わたしのお父さまは学園に多額の寄付をしているから様々な特権が認められているのよ。他にも、学校にわたし専用の宅配ボックスを設置したり、学年十位以内の成績を取り続ける限りは授業出席を免除してもらったりしているわ。財力はほとんどすべてを解決するの」


 知らなかった……。そういや先輩はほとんど授業に出ている気配がない。いつ来てもこの部屋で悠然とお茶や読書を嗜んでいる。


「そっ、そういうのって、いけないと思います!」と日高さんは眉をつり上げた。


「どうして? 学校側は財政が助かる。生徒たちも設備が充実して得をする。わたしは好きなことができる。お父さまは愛する娘に尽くすことが人生の喜び。全方位を幸せにしているのに、なにか問題があるの?」


 堂々と言い張る紫衣子先輩は麗しさが凶暴化しすぎていて直視できなかった。日高さんも気圧されて視線をずらし、「そ、それは……」と言いよどんでいる。


「そうやってお金でなんでも解決するのはどうかと思います!」


「どうかと思う? どう思うの?」


 サディスティックな紫衣子先輩も魅力的だった。


「だからそれはっ、……その、そういうことを認めていたらお金のことばかり考える社会になっちゃうじゃないですか、お金よりも大切なものはたくさんあります!」


「他にもっと大切なものがあるからといって、お金が大切でないことにはならないわ。たとえば日高さん、あなただって自分の命がいちばん大切でしょう。だからといって重要度では二番目以降である家族や友人の命を大切にしないの?」


「え、あ、……そ、それは」


 並の人間が紫衣子先輩との舌戦で相手になるわけがない。日高さんはたちまちなにも言い返せなくなってソファの上で縮こまってうつむいてしまった。そこに先輩が一転して優しい口調で言う。


「それで、うちの部を調査しにきたのだったわね。活動内容を説明するわ。我が『キラー・クイーン・サークル』は、日高さんの言うお金よりも大切なものについて研究しているの。つまり人命ね」


「え……あ、は、はい。……そうだったんですか?」


 いつの間にかこの部の存在を認める感じの論調に巻き込まれてしまっている日高さんであった。僕としてはありがたい。ついでに、早く帰ってほしい。先輩と二人きりの時間をこれ以上邪魔しないでほしかった。


「人命について、といっても、人命を奪う方法について主に学んでいるわ。日高さん、人間の死の定義をちゃんと説明できる?」


「えっ? ……いえ、あの、……考えたこともなかったです」


「そう。実は、なにをもって人間が死んだとするのかはっきりとした定義は今もできていないの。科学技術の進歩によっても変遷するし、どんな観点から死を語るかによってもちがってくる。ただ、必要条件をいくつか抜き出すことはできて、そのひとつは不可逆変化であること、もうひとつはコミュニケーションが完全に不能になること、これを前提としてたとえば脳死という考え方が――」


 その後、二十分間にわたって日高さんは紫衣子先輩から熱い殺人トークを浴びせられた。


       * * *


 ふらふらになった日高さんを一般校舎まで送っていく役目は僕が買って出た。古今東西のありとあらゆる殺害法を聞かされて腰を抜かしていたので、旧校舎を囲む林の中で行き倒れてしまうのではないかと心配になったのだ。


「……あ、あんな話を、毎日……してるんですか?」


 林の踏み分け道を歩きながら、日高さんは僕の隣で青い顔をして訊いてくる。


「まあ、そういう部活なので。好きでやってるんですよ」


 同学年なのだけれど、お互いに敬語。親しい仲でもないのでしょうがない。


「でも、あ、あたしが入っていったとき、なにかいかがわしいことやってましたよねっ?」


 おい、忘れてなかったのかよ。紫衣子先輩が話していたときにはまったく話題にも出さなかったくせに。あれは先輩の圧力のせいか。


「だからあれも部活動の一環なの! 実際にやってみるのが部のモットーでね!」


「男女が制服脱いで全身ぴっちりの全身黒タイツ着て一体なにを実際にやってみたのっ?」


「それは、ええと、あのね、日高さんミステリ漫画読む? 金田一とかコナンとか」


 日高さんはきょとんとして首を振った。


「コナンは、映画のCMは見たことあるけど」


 話を聞いてみれば小説はまったく読まない、漫画も話題の恋愛ものを少々、映画もいちばん最近観たやつが『君の名は。』でその前が『アナ雪』、連ドラをシーズンに一本か二本だけ追いかける――という、ミステリどころかフィクションそのものと限りなく縁遠い人間だった。しかたなく、ミステリ漫画に黒塗り犯人が出てくるというところから説明してやる。ところが日高さんはこんなことを言いくさる。


「慣れたいなら、その黒塗りが出てくる漫画を何度も読めばいいだけじゃない。自分で着てどうするの?」


 大上段の正論だった。


「やっぱり二人でやらしいことしようとしてたんでしょう!」


「う……」


 紫衣子先輩のボディラインぴっちりの黒タイツ姿を目にして完全にイノセントな気持ちでいられたわけではないので僕はなにも言い返せなくなる。


「とにかく今日のことは委員会に報告して今後の処置を検討しますから!」


 先輩がせっかく抜いてくれた毒気を僕が戻してしまったようだった。


       * * *


 翌日、部室に顔を出すと日高さんがすでに来ていて、ソファに紫衣子先輩と向かい合って座り、なにやら真剣に話し込んでいた。


「風紀委員として、校内でのふしだらな行為は見過ごせません。この校舎の使用許可が出ていることは確認できましたけど、活動内容についてはまだまだ疑わしいところがたくさんあります。たとえば置いてある本!」


 日高さんは声を荒らげて手を振り、周囲の壁の書架を示す。熱が入りすぎていて僕がやってきたのに気づいていないようだった。


「推理小説しか置いていないけれど、なにが問題なの?」と先輩は品良く首を傾げる。


「ほら、あそこの本!」と日高さんはアガサ・クリスティの著作が並ぶ一角を指さして声のトーンをさらに一段階上げた。「『ABC殺人事件』って! AもBもCもしてしまうなんてふしだらです、いやらしすぎます、学校にはふさわしくありません!」


「ABCのなにがふしだらなの……?」と先輩は困惑する。


 やらしい意味のABCって昭和の流行語じゃないの? 日高さん今時の女子高生なのになんでそんなの知ってるの? 口を挟んだらおまえもなぜ知ってるんだって追及されて困るから黙ってますけど。


「それにあっちも! 『オリエント急行の殺人』って! オリエントっていったらオリエント工業ですよね、未成年は購入できないはずです、学校にはふさわしくありません!」


「オリエント工業……? というのは、なにかのメーカーなの……?」と先輩。


 高級ラブドールの老舗なのだが日高さんはなんでそんなの知ってるの? 口を挟んだらおまえもなぜ(以下略)。


 日高さんは続いてシャーロック・ホームズの並ぶ棚に目を向ける。


「こっちもです、『みだらの紐』ってなんですか、縛るんですか! SMですか!」


「みだらじゃなくてまだら」という先輩の当然の指摘は日高さんの耳には届かない。


 矛先はエラリイ・クイーンにも向けられる。


「『Xの悲劇』って! SとEをつけたらセックスじゃないですか、はしたないです!」


「SとEをつけるからだろっ? おまえが!」

 思わず僕も我慢できなくなって横からつっこんでいた。そこではじめて先輩と日高さんは僕を認識したようで、二人の視線がこちらに向けられた。


「ああ、いらっしゃい小宮くん」と紫衣子先輩は微笑む。


「今日もお邪魔しています!」と日高さんはぶっきらぼうに言う。


「ええと。なにしてるんですか……?」


「この部の活動を定期的に監査するように、と滝崎先生に言われたので」


「滝崎先生って」


「生徒会の顧問の先生」と紫衣子先輩が代わりに答えた。「うちの部によくつっかかってくるのよね。他の先生方は優しいのだけれど、滝崎先生だけはものすごく厳しくて」


「滝崎先生にだって優しい面はありますよ!」

 日高さんがむっとして言う。

「学校ではたしかに厳しいですけれどベッドの中ではものすごく優しいです。今回も、この部の問題点を見つけ出して廃部に追い込めたらご褒美で二人っきりの三泊四日沖縄旅行に連れていってくれるって言ってたからあたし頑張ってこうして通って――」


 え? ちょっと? ちょっとちょっとちょっと?


「なんか今かなり聞き流せない言葉が連発されたんだけど、あの、ベッドの中? 旅行?」


「滝崎先生はあたしの彼氏」


「ええええええええ? い、いや、それって風紀的にどうなのっ? ひとのことさんざんはしたないとかふしだらとか言っといて」


「校内では先生とはセックスどころか一切接触していないけど。なにが問題なの?」


「いやでも教師と生徒がその」


「教師と生徒が恋愛することが具体的にどんな規則に違反しているの?」


「……だってほら日高さん未成年でしょ」


「日本の性的同意年齢は十三歳だからとっくにクリアしてるし、先生とあたしは結婚の約束をしているから淫行条例にも引っかからない。なにがいけないの?」


 僕は黙るしかなかった。べつに僕は風紀を問題にしたいわけではないし男女交際なんて自由にやれよと思っているけれど、日高さんの僕らに対する糾弾が自分を棚に上げたダブルスタンダードなのではないかと疑っているわけで……。


「ということで」と日高さんは先輩に向き直る。「先輩と小宮君が校内で不純異性交遊をしている疑いが残っていますから引き続き監査を続けます!」


 ……納得いかねええええええええ。


「つまり、校内じゃなければいいわけ?」と僕は訊いてみる。


「校外のことに関しては知ったことじゃないので」と日高さんはしれっと答える。


「だそうですよ先輩。これからは二人でやらしいことをするときは学校の外でしましょう。ついでに無用な疑いをかけられないように婚約もしときましょうか」


「そうね、真剣な交際であれば法令には――って、ちがうでしょうっ? そもそもいやらしいことなんてしてないんだからっ」


 ちゃんと一度のってくれる紫衣子先輩が愛おしくてしょうがなかった。


「こうなったら日高さんの誤解をとくためにも、いつぞやうまくいかなかった実習にリトライするしかないわ」


「いつぞやの実習って……どれのことですか」


 なにせ実習がうまくいった記憶がない。


「不倫のときのよ」


「第4回のあれですか……」


「不倫っ?」と日高さんが肩を怒らせる。誤解を助長するだけな気がする。


「性愛をテーマにしていても不純に流れることなくきちんと部活動をまっとうしている、というところを風紀委員にしっかり見てもらうのよ」


「どんなふしだらな活動してるんですか! しっかり見せてもらって委員会に報告します」


「前回うまくいかなかったのは小宮くんとわたしが夫婦かつ不倫しているという意味不明の設定だったからね」

 あらためて言葉で説明されるとほんとうに意味不明である。

「でも今回は日高さんという三人目がいることだし、協力してもらいましょう」


「……あたし?」

 日高さんは目を丸くする。


「そう。日高さんが妻の役でわたしが愛人の役」


「やりましょうやりましょう」と僕は即答した。波乱の予感しかないが、先輩が愛人なんて美味しすぎる。


「なんであたしが妻……でも監査のためには……」

 日高さんはぶつぶつ文句を垂れている。


「警察の発表によれば日本の殺人の半数以上は家族間のもの。不倫を動機とした夫婦間殺人はまさに殺人のスタンダード中のスタンダードというわけ。前回わたしが加害者である妻の役をやろうとして失敗したから今回は被害者であるクラブホステス役に回ることにするわ。さあ日高さん、あなたは夫である小宮くんとわたしとの不倫関係に気づいて激昂してわたしを衝動的に殺すのよ」


「えええ? なんであたしがそんな」


「女性による衝動的な殺人であればやはり出刃包丁による刺殺でしょうね。刃を水平に持って腹部をやや上向きに突けば内蔵への致命傷になりやすいわ。胸部は肋骨に阻まれる可能性が大きいしステンレス製の文化包丁は折れやすいからおすすめしない」


「……あ、あの」

 日高さんは青ざめる。

「あたしそういう生々しいのはちょっと。刺し殺すなんて」


 先輩の殺人トークのおかげで日高さんも威勢を失って急に一般人ぽい反応になってくれたのでちょっと気味が良かった。


「どうして? 斬るより刺す方がずっと確実よ」

「斬る方と比べたわけじゃないんじゃないですかね……」

「たとえば防刃ベストは斬り攻撃は防げても刺し攻撃は防げないし」

なんでクラブホステスが防刃ベスト着てるんだよ。


「だいたい殺人というのは概して生々しいものなの。それを扱うのがうちの活動なのに、そんな態度で監査なんてできるの?」


「うううう……わかりました!」


 痛いところを突かれた日高さん、覚悟を決めたようだった。


「それであたしはまずなにをすればいいんですか」


「まず夫婦が仲睦まじいのを演出するところからね。夫への愛情がよほど深くなければ不倫で殺人にまで発展しないでしょう」

 先輩は日高さんの腕を取って立ち上がらせ、こちら側のソファに連れてきて僕の隣に座らせる。二の腕がくっつくくらいの近さだ。お互いにどぎまぎして目を伏せてしまう。

「もっと親密にスキンシップしなさい。殺意に説得力が出ないわ。お互いに下の名前で呼び合ったり新婚旅行の行き先を話し合ったり家族計画を――」


 言葉の途中で先輩は口をつぐんだ。顔がかあっと紅潮する。


「わたしの大切な小宮くんと、スキンシップ? 名前呼び? 新婚旅行に子作りですって? こ、こ、この泥棒猫!」


「それ妻のせりふですよ落ち着いて!」と僕は遮る。「先輩は愛人役でしょ!」


「そ、そういえばそうだったわ……」


 先輩は肩で息をついた。怯えた日高さんが僕の隣からさっと立ち上がってどいたので、先輩がその場所に座る。安堵の息が三人分。


「今ほんとうに殺されるかと思いました」と日高さんは震える声で言った。


「そう? それはよかった。うちの活動が真摯なものだと理解してくれたのね。これで疑いは晴れた?」


「いえ、二人の不純異性交遊の疑いはいっそう濃くなりました!」

 そりゃそうだ。

「これから毎日――は怖いので、週一で監査しにきますから!」


 日高さんは顔を憤りで赤く染めたり恐怖で青ざめさせたりと忙しい真似をしながら後ずさって部室を出ていった。

 後に残されたのは、ソファに並んで座る僕と紫衣子先輩。

 曰く言いがたい沈黙がしばらく漂った。やがて先輩はもじもじしながら口を開く。


「……あの、あのね小宮くん、さっきの、大切っていうのはもちろん部員として大切ということであって、だから」


 言い訳されたことは少々残念だったけれど、僕は虚勢を張った。


「はい。わかってますよ、実習のための演技ですよね」


「そうっ、でも、演技といっても込めた気持ちは本物なわけで、けっしてすべてが嘘というわけではなくて」


「そもそも先輩から僕を盗める泥棒猫なんて存在するはずないですからね」


 我ながら小気味よく言い返せた、と思ったのだけれど、どうやら言い回しがちょっと迂遠すぎたようで、先輩の首から上がまた真っ赤になるまでに十秒ほどかかった。

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[気になる点] 教師と生徒の恋愛って大丈夫ですか? [一言] やっぱ先輩可愛いです! 更新頑張ってください
2020/01/29 18:39 取り残された髪の毛
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