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第16回 先輩はネタバレするやつを殺したい

 その日の放課後は、部室にすでに先客があった。僕が「失礼しまーす」と部屋に入っていくと、紫衣子先輩と向かい合ってソファに座っている女の子の後ろ姿があった。


「――っごく面白かったです! これ続きはないんですかっ?」


「シリーズものではないわ。でも似た感じのを何冊か貸してあげる。お茶と一緒にシュークリームはいかが?」


「あ、いただきます。ここはいつもめっちゃ高級なお菓子がありますよね、うらやましいです、風紀委員会でも予算でおやつ出してくれないかなあ」


「おやつ目的でもいつでも来ていいのよ、歓迎するわ。……あ、小宮くん、いらっしゃい」


 先輩が僕に気づいて視線を上げた。もう一人も振り返る。風紀委員の日高さんだった。唇の端にカスタードクリームがちょっとついたまま目が合うのでたいそう気まずい。向こうもあわてて口の中のものを飲み込み、ソファから腰を浮かせた。


「お邪魔してます! 今日もこのサークルが不適切な活動をしてないかどうかしっかり監査しにきました!」


「ティータイム満喫してたように見えたけど」


「気のせい!」


「読書の話で盛り上がってたような雰囲気だったけど」


「監査なんだからここの部活で読むような本をチェックするのは当たり前でしょ!」


 まあそういうことでいいか。先輩と仲が良さそうなのはなによりだ。僕は先輩の隣に腰を下ろした。


「それにしても日高さん、読むのが速いわね。けっこう厚めの上下巻だったのに、一週間で読み終わるとは思ってなかったわ」


「面白かったからすぐでした。徹夜しちゃった。今日もまた借りていってもいいですか」


「そうね、次は――」と先輩は席を立ち、書架の前を腕組みしてしばらくいったりきたりした後、一冊の手にソファまで戻ってきた。「これがいいかしら」


 殊能将之の『ハサミ男』だった。いいチョイスだ。


「どういうお話なんですか?」

 本を受け取りながら日高さんが訊ねる。


「ハサミで若い女性を刺し殺す連続殺人犯が主人公なの。タイトルの『ハサミ男』というのは、マスコミがこの殺人犯につけた通称」


「えっ、主人公が犯人なんですか? それじゃ最初からばればれじゃないですか」


「ところが、この連続殺人犯が次に殺そうと目をつけた女子高生が、何者かに先に殺されてしまうの。しかも殺害方法は同じくハサミでの刺殺。驚いた殺人犯は自分でその模倣犯の正体を探り始める」


「へえ、面白そうです」と日高さんはテーブルに両手をついて身を乗り出す。「それでそれでどうなるんですか?」


「それは、だから」

 紫衣子先輩は困惑した目になる。

「色々起きるわ。読めばわかるでしょう。わたしが事前に教えちゃったら面白みが薄れるわ」


「えっ、先に流れを教えてもらってた方が読みやすいからうれしくないですか?」


 部屋の気温がいきなり二度ほど下がった気がした。先輩の目つきが変わったのだ。


「……ネタバレになったら困るでしょう」


 しかし日高さんは先輩から放たれる冷ややかな殺意の予感にまったく気づいていないようだった。首を傾げて無邪気に言う。


「そうですか? あたしはべつに困らないですけど。ネタバレOK派なんで」


 部室内に、静かに爆発が広がっていった。日高さんが紫衣子先輩の地雷を踏み抜いたのだ。でも当人はまだなにが起きたのか理解していない。紫衣子先輩はティーカップと皿を脇にどけて、張り付いたような不自然な笑顔を僕に向けて言った。


「それじゃあ小宮くん、今日は久しぶりにミステリから少し離れて、実際にある殺人の話をしましょう。我が部の本来の活動ね。日高さんも聞いていって」


「……あ、はい、わかりました」


 いきなり話が切り替わったことについては、日高さんも少し疑問に思ったようだ。視線が僕と紫衣子先輩の間を泳ぐ。


「今日は死刑についてよ。二人は死刑の方法をどれくらい知っているかしら」


 僕は日高さんの顔をちらと見てから言った。


「日本は絞首刑ですよね。アメリカは……まだ電気椅子使ってるんでしたっけ?」


「ごく一部の州でね。現在は薬殺が主流になっている」


「え、っと、死刑って殺人なんですか」

 日高さんがそうっと訊いてくる。


「人が意図して人を死に至らしめているわけだから殺人でしょう。まあ、言葉の定義の問題で殺人に含めたくない人はそうすればいいと思うけれど、ともかく我が部では死刑も考察の対象として扱うわ」


「そ、そうですか。……銃で撃つやつとかもありましたよね?」


「中国はじめアジア諸国では銃殺刑が多いわね。公開している国もあるわ。刑罰には見せしめという面があるから」


「えー、殺すところ見せちゃうんですか。残酷……」


 日高さんがとても常識的な見解を口にする。先輩は酷薄そうに笑った。


「銃殺はちっとも残酷ではないわ。刑罰の歴史は、残酷さをなくす歴史でもあった。いわゆる人道への配慮ね。日高さん、ギロチンって知ってる?」


「……え、はい。あの、でっかい刃を落っことして首を切るやつですよね。昔のだから残酷なんですね」


「ところがギロチンという機械はまさに『人道への配慮』のため、残酷な死刑をやめさせるために発明されたの」


「えええ? どういうことですか」


「それまでの死刑法は斧とか大鉈で首を切っていたのだけれど、これは執行人に技術が要求されるし、失敗も多くて何度も刃を振り下ろさなきゃいけないケースも頻発し、受刑者が苦しむことが多かった。そこで、だれでも扱えて確実に一撃で断首できる機械が発明された。苦しみが一瞬で終わるので人道的、というわけ」


「はあ……」

 日高さんの顔はちょっと白くなっている。


「電気椅子も絞首刑もそうよ。苦しまないようにという目的で開発された方法。逆に言えば、歴史を遡るとどんどん残酷な死刑のやり方が出てくるというわけ。たとえば暗黒時代のヨーロッパだと――」


 先輩がいくつか挙げた例を訊いて日高さんは蒼白になった。


「――それから残虐刑といえばなんといっても中国ね。史家の創作も多いからすべてを鵜呑みにはできないけれど、それはもうたくさん――」


 先輩の列挙した例は、とてもここには書けないくらいの酸鼻きわまるもので、ただ日高さんの表情がどんどんドブ水の色に近づいていったことだけを描写しておく。


「先輩、あの、すみません、あたしそういうのほんと苦手で」


 声も震えている日高さん。


「人間、いくらでも残酷なことができるという例よね」


 先輩は涼しい顔で言う。


「それにしたって、そこまで苦しめて殺さなきゃいけないなんて、どんだけの罪なんですか」


「日高さんは、この世で最も重い罪はなんだと思う?」


 紫衣子先輩の表情を横目で見て、ああやっと本題だ、と僕は察した。日高さんはきょとんとした顔になり、しばし間を置いて答えた。


「それは、ええと、……やっぱり人殺しですよね。とくに大勢を……苦しむようなやり方で殺したら、そりゃまあ、同じくらいひどい方法で死刑になってもしかたないかなって……」


「ちがうわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()よ」


 断言した。断言してしまった! さすが僕の敬愛する紫衣子先輩! 日高さんは尻子玉を抜かれたみたいな顔になっている。そりゃそうだろう。でも僕には紫衣子先輩の煮えたぎる憤怒がよく理解できる。だから日高さんに対して謎の優越感すらおぼえる。

 もはや怒りをまったく隠していない目つきで先輩は言葉を続ける。


「ネタバレされた記憶は二度と無垢には戻らない。絶対に償えない罪。魂の殺人といっていいわ。だれかが言っていたでしょう、知ることは死ぬこと」


 ……それって先輩が嫌ってたラブコメぬるミステリばっかり書いてる作家のせりふじゃありませんでしたっけ?

 おびえきった日高さんがそれでも言い返す。


「……でも、ネタバレ平気って人けっこういますよね。あらすじ最後まで全部知ってた方が楽しめる、みたいな」


「一定数いるわね。ネタバレは物語の面白さをそがない、むしろ楽しみをアシストできる、といういわゆる《ネタバレ容認派》。これが《ネタバレ否認派》と世間を二分して論争を繰り広げている――というような図式がよく見られる。感じ方のちがい、記憶法の仕組みのちがい、みたいに様々な説が出されているわね。でもわたしに言わせれば」


 先輩はテーブルの上に手を伸ばし、指で横に一本の線を引いた。まるで自分と日高さんとの間を隔てるように。


「《否認派》と《容認派》の対立などというものは存在しない。あるのは《ミステリ脳》を持つ人々と持たない人々、それだけ」


 なんかうさんくせえこと言い出したぞ……と、先輩と同意見の僕ですら思ったのだから、日高さんはもっと露骨にうさんくささを受け取っただろう。顔が引きつっているし。でも先輩は容赦なく続ける。


「ミステリの醍醐味が驚愕と納得のハーモニーにある、という話は前にしたわね。他の多くの娯楽と同じように、この驚愕と納得の知的興奮を楽しむためには、ある程度の能力と訓練が必要なの。これが《ミステリ脳》。だれでも持ち合わせているわけではない」


 先輩の声は陶然と高まっていく。


「《ミステリ脳》を持たない人間は、ネタバレに関していくつもの複雑な問題点を考慮せずに論じようとする。一つ目は、ネタバレで面白さが損なわれる物語と損なわれない物語があるということ。しかも前者の比率は大きくない。世の中の大概の物語はネタバレされてもさほど面白さが減じないのよ。この点を度外視して、後者の物語だけをしたり顔で例に挙げ、『ネタバレは平気』と語る人間が後を絶たない」


 瞳の色にも炎がちらちらと混じり始める。


「二つ目は、ネタバレで面白さが損なわれる部類の物語であっても、致命的な部分はごくわずかであるということ。そこで、致命的な部分だけを伏せてあとはすべて明かしてしまう、というあらすじ紹介の手法がよくとられる。でも《ミステリ脳》を持たない人間は致命的な部分とそうでない部分の区別がつかない。だから、実質的にはネタバレではない情報開示を見て、ネタバレだと思い込み、ほらやっぱり大丈夫じゃない、と感じてしまう」


 部屋の空気がとげとげしく感じられるほどに先輩の語調が張り詰めている。


「三つ目は、ネタバレの害というのが『本来もらえたはずの恩恵をもらえなかった損失』であって、想像力を駆使しないと損失であると気づけない、ということ。《ミステリ脳》を持たない人間はこの想像力も持たないので、ネタバレ無しに物語を読んだ場合にどれだけ自分が知的興奮を得られたか――ということを思い浮かべられない」


 怪しげな選民思想に聞こえるだろうか?

 まあ実際その通りだけれど、残念ながら僕も先輩に全面的に賛成である。持たざる者には理解し得ないのだ。

 さて、日高さんはどちらなのだろう、と彼女の顔をうかがう。

 メンタルは異様に強い日高さん、なおも反論を試みるのだから感心する。


「でも、あの、たしか何年か前に、ネタバレされてた方が楽しめるみたいな研究結果が」


「カリフォルニア大学サンディエゴ校の心理学研究ね」


 即答だった。先輩のアンテナの広さには恐れ入る。僕もなんとなく聞いたことがあった。


「どういう実験をしたか知っている? 三十人の学生を二つのグループに分ける。結末をネタバレされるグループとされないグループね。そして全員に短編小説十二編を読ませ、気に入ったかどうかアンケートを採る。すると前者のグループの方が全体的な平均点が高かった、というもの」


 実験の詳細ははじめて知った。先輩、そんなところまでチェックしていたのか。


「でもこの実験にはいくつも問題点がある。まず、被験者は読みたいわけでもない小説を実験のために読まされるというところよ。小説を読むというのはかなりの労力を必要とする。作品についての予備知識があった方が格段に読みやすさが上がるわ。だからこの実験は《ネタバレあり/なし》の比較というよりは《予備知識なし興味なし/結末という予備知識あり》の比較になってしまう。ネタバレが面白さを損なうかどうか実験したいのであれば、結末を除く全部を教えたグループと、結末も含めて全部教えたグループに分けなければいけない。さらにいえばこのやり方でも十全とはいえないわ。なぜならネタバレなしとありで読む人間がちがうからよ。同じ人間が同じ物語をネタバレありとなしとで読んだときの結果を検証しなければ信頼性のある実験とは見なせない。そしてこれは簡単に実現できる。被験者に同じ小説を二度読ませればいいだけ。そして初読時に感じた面白さが再読時に減じていたかどうかアンケートを採ればいい。こんなに簡単な方法をなぜやらなかったのか? ここからはわたしの想像になるけれど、おそらくは当たり前の実験結果が出てしまって世間を驚かせるような論文が発表できないからでしょうね」


 先輩は冷笑的に演説を締めくくった。日高さんはソファに縮こまっていた。当然の結果である。どん引きされたのに気づいて紫衣子先輩もちょっと心配そうになる。


「……つまり、その……それだけ誤解されやすいデリケートな問題だということよ。ちょっと激しく語りすぎてしまったけれど、わかってくれたかしら」


「ちなみに先輩はどれのネタバレを食らったんですか」と僕は訊ねた。このすさまじい怒りは絶対に《魂の殺人》の被害者にきまっている。


「『オリエント急行の殺人』よ」


 あ、それはたしかにこの世で最も重い罪だと言い出すのもわかる……。


「僕は『シックス・センス』のネタバレをネットでちらっと見かけちゃって、悔しくて観ないようにしてたんですけど、こないだ意を決して観て、やっぱり悶絶しました」


「悶絶で済ますなんて小宮くんは人道的すぎるわ。ネタバレするなってわざわざブルース・ウィリスが言ってるのに……」


「そこまで深刻な話だと思ってなくて……」

 日高さんが消え入りそうな声で言う。


「最初に言ったとおり、能力の有無の問題だから、理解できない人には絶対に理解できないのよ。日高さんにその能力がないとは思いたくないのだけれど……」


 先輩はしばし口ごもり、それから日高さんの手元にある『ハサミ男』の表紙にちらと目をやった。その一瞬、僕にも先輩の考えていることがわかった。

 おい、それはまずいだろ。この世で最も重い罪だぞ?

 けれど先輩は再び口を開く。


「もし、どうしてもこの深刻さが理解できないというのなら、――まったくおすすめしないけれど、『ハサミ男 ネタバレ』で検索してみるといいわ。何度でも繰り返すけれど、まったくおすすめしない。その本は大傑作だし、ほんとうに楽しめるチャンスは一度しかない。だから自己責任ね」


 日高さんは戸惑いを目にためたまま、うなずいたのだか首をふったのだか判然としないしぐさをして、『ハサミ男』をぎゅうっと胸に押しつけた。


       * * *


 翌日の放課後、僕と紫衣子先輩が部室で紅茶を飲みながら談笑していると、外の廊下に乱暴な足音が聞こえ、扉が勢いよく開かれて人影が飛び込んできた。


「奈鳥先輩ッ」


 日高さんだった。そのまま大股でソファのそばまでやってきて先輩に噛みつく。


「『ハサミ男』のっ、あ、あのっ、あれっ」


「ネタバレ検索してしまったの?」


「検索はやめたんですけどっ、ホテルで滝崎先生と二人っきりのときにちょっと話したら、先生が映画版を観たことがあるって言い出して、その流れでオチまで話されちゃって、実際に読んでみたら映画版とはちょっとちがうみたいなんだけどあれのあれは先生のネタバレの通りでもうあたしは、ああ、ああああああああああああもう、もうっ」


 そうか。日高さん、あんたもこっち側にきてしまったか。

 ようこそ被害者の会へ。


「それじゃ日高さん」

 先輩がこれまで僕にしか向けてこなかったとびきり優しい微笑みを日高さんにもみせる。

「昨日の、死刑の話の続きをしましょうか。日本でもなかなかに残虐な処刑法が数多くあって、たとえば――」


「もっと! もっとひどい殺し方はないんですかっ」


 流されやすい女である。

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