序章
東京に来て初めて地下鉄に乗った。
早朝だった。乗る前はあんな小さい箱にたくさんの人が乗るのだろうか。私だけあぶれて乗れないんじゃないかとか思った。だって、私が乗る前にも数十人、私と同じタイミングで乗る人が十数人いたんだもの。だが、乗ってみると意外と大きく、全員乗っても少しスペースが開いてた。
ガタンゴトンと揺れる電車と違って滑らかに動き出すし、たくさんの景色を見せてくれる電車と違って、暗い壁がずっと続いていた。それが、最初はとても新鮮でいつこの乗り物は止まるのだろうかと私をわくわくさせてくれたのだが、今ではとても気持ち悪く感じる。
まるで、中身が空っぽな私を映しているようで、ただただ気持ち悪い。
私は何のためにこの場所に来たのだろうか。
親との関係は良好だし、職場では優しい先輩、天然でおっとりしている後輩に毎日癒されている。
普通っていうのを体現しているのが私なんだろう。
そんなことを考えながら愛用のイヤホンで音楽を聴く。限りなく知ってる人が少ないであろう地下アイドルのこの曲を聴きながら、この四角い箱に揺られ、会社へと向かう。
もう少しで会社最寄りの駅へ着く。イヤホンをしながら歩いているところを見られたら、部長や先輩から有り難いお言葉を頂くことになるだろうからはずし、扉の近くへと移動する。
ドゴン。キキキキキィーーーー。
激しく揺れる。前頭部をどこかにぶつけた痛みがする。眼も熱い。何も見えない。何か燃えている感覚だ。悲鳴が聞こえる。何が起こっているんだろうか。
情報が何も入ってこない。意味が分からない。
とりあえずぶつけたであろう前頭部を触る。ぬめっとした感触がする。あれ、これって。あれだよな。匂いを嗅ぐとあの匂いでしかなかった。
思いだしてくる。初めて人を殴って殴り続けたあの日のことを。拳いっぱいにどす黒い液体が付いたあの日を。
特に目から流れてくるのがわかる。瞼を切ったのか。眼球を傷つけたのかどっちかだな。こんな時にもかかわらず平然と息を吸って、考えてる自分がとても気持ち悪いと感じた。自分のすべてが気持ち悪い。あぁ、でも。これで、しきりに結婚や子供の催促をしてくる親もいじりと優しさの違いを理解していない先輩とも頭が悪くて聞き分けの悪くて全部私に擦り付けてくる後輩との縁を切れるんじゃないかと思うと無性に嬉しくて、眼という五体の一つを捧げるだけで自由になるんだと思ったら、もっと早くに事故にあえばよかったんだなと思ったりもしてる自分がとても滑稽だなとも思える。
自分ってこんなに腐ってたっけ、肩が揺らされる。
「大丈夫ですか?」
そんな声がかけられる。大丈夫なわけないでしょ。顔らへんから血が出てるんだよ。
アナウンスはまだ流れない。頭がふらふらしてきてる。まだ肩を揺らされている。少し落ち着いてほしいものだなと考えながら意識が途切れる。
もし、次があるのならばもっと幸せな世界に生まれて何も重圧がくることもなくのびのびと過ごしたいものだなと自分の命に勝手に終わりを付ける。
だって、どうせ生きていたとしても私のことだから自分で自分の命立ちそうだしな。
どうせならこういう時に走馬灯くらい見たかったものだ。
おやすみ。わたし。
ピーーー。「ただ今、人身事故が起こりまし……」