76.帝国
帝国首都、または王都フォルスナー。かつて賑やかだったそこは人一人もいない。そして王城の一室では、重たい雰囲気が流れ続けていた。
上座に腰かける皇帝と皇后から放たれる威圧に、誰もが沈黙させられる。
特に皇帝は手元の書類をこれでもかというほど強く握りしめており、無表情ではあるだろうが誰がどう見ても怒りが滲んでいた。
皇后に関しては扇で口元を隠している。もしかしたら、その奥は般若の形相ですらあるかもしれない。
それもこれも――
「……甘く、見すぎていたようだな。『慈善盗賊団』……それに、『神聖第三兵隊』の連合軍……かなりのものだと、認めざるを得ん」
重く小さく、しかし全員に響く圧倒的な声が、部屋中に乗せられた。その言葉を放った皇帝の隣に座る皇后も、す、と目を伏せる。
皇帝の視線の先には、右腕を失い服の袖が空っぽになり、暗い顔を伏せて表情を隠すカゲロウの姿があった。
集中攻撃に遭い、魂による傷を負ったため腕を修復する事が出来ない。
完全な敗走。四天王の、敗北。
実を言えば戦ってみて、クラヤミもスメラギも彼らの強さを感じてはいた。しかし、少々自身らの力を過信しすぎていたのかもしれない。
すると、沈黙を守っていた皇后が口を開く。
皇帝の許可なしに口を開けるのは、この場では皇后ともう一人くらいだろう。
「しかし、総力戦の準備は整うございました。あとは、彼らがいかがして攻めてくるかでしょうか」
「四天王の方々へ発言をお許しください、父……陛下」
「……良いだろう」
扇子を口元に当てたままそう言った皇后の言葉を受け、男――皇太子が手を挙げる。皇帝が発言を許可すると、皇太子は四天王を見据えて、
「君達は彼らと戦ったことがある。これに関しては君達の意見を聞くしかないのだが、彼らはどう攻めてくる傾向なのだろうか? それ次第で、指揮や取る作戦を変えねばならない。この偉大なる帝国にとって、逆賊は取るに足らない敵であるべきだからね」
両手を組んで顎をそこへ乗せ、肘を机に預け、ニコニコと微笑んだ皇太子。その言葉を受けて、手を挙げたのはスメラギ。
皇帝が小さくうなずくと、それを肯定と受け取り彼は口を開く。
「あくまで私の推測に過ぎないですが、彼らなら軍と共に侵攻してくるやもしれません。保守的な一面が見られましたので、ひとつずつを解決してこちらへ向かう可能性が高いかと」
「あたくしもそう思います~。攻撃的というよりは保守的でしょうから~」
「ボクもまァ……同意ですねェ……」
スメラギの言葉の後にクラヤミが挙手をして許可をもらって発言をし、その直後カゲロウも同じ過程を経て意思を示す。
しかし、クラヤミとカゲロウの意思がそこまではっきりとしていないのは、彼らの意見がそこまで重要視されていないことが分かっているからだ。
この場で最も権力を持つのは、リーダーであるスメラギと、そして――
「……いいえ。彼ら――……今の『セーヴ』なら……主戦力のみでここへ直行することでしょう……彼らは一回一回の試練で、徐々に人間としての壁を取り除いていく者達ですから……」
『賢者』として活躍する四天王の一人、ヨミ。世間的には最も目立たない要員と見られているが、たった今彼女は皇帝の許可なく発言した。
長く黒い前髪に半分ほど隠された光のない瞳は、この暗い室内に同化していてぼそぼそとした声のみが全員の耳に届く。
皇帝のような覇気も威圧感もない。
しかし、その絶対的な口調は誰の異論も許さないものだと誰もが直感で理解した。
皇太子ですら必要とした発言の許可をすっ飛ばした彼女は、そのまま視線を皇帝に向けた。普通ならば不敬罪だろうが、ここでヨミの動きを訝しむ者はいない。
「うむ。では、ここにいる者の軍への加勢は必要ない。総員、下の者を全て向かわせろ。それで十分だ」
「「「はっ」」」
ほかの四天王の意見を全て無視し、皇帝はヨミ一人の言葉を信じて方針を示す。だが、誰も疑問に思うことはない。
自身の意見をスルーされた他四天王も、その表情には不平も不満もなかった。
方針が決まれば、後は肉付けをしていくだけだ。まとまったことに安堵しながら、スメラギはふと考えこむ。
(アデルと、その下に居たディーンが処刑……、かぁー……)
正直一部の人間以外は全てどうでもいいと思っているが、アデルという名の秘書だけは少し例外だった。
お気に入り、と称するのが正しいだろうか。
従順でいながら、時に真顔で笑いを入れてくる彼女のノリは、スメラギとしても嫌いではないものだった。
ただ、そんな彼女もつい最近処刑されている。『下の者』に当たる者は、今のスメラギにはもういなかった。
けれど。
(決して、迷わない)
それらもスメラギにとっては些事にすぎない。力の確認とは違う、本気の戦争が今から始まるのだ。きっとこれを乗り越えたら、スメラギの、この帝国上層部の目的はとんとん拍子で叶っていくだろう。
ああ、それが、待ち遠しい。
「――さん、スメラギさん……」
「え、あ!」
そんなことを考えていると、いつの間にか会議は解散したようだ。皇族たちの姿はすでになく、スメラギとヨミ以外は全員退室してしまっていた。
したがって、今スメラギに声をかけたのはヨミである。相変わらず声に抑揚がないので、一体何を思っているのかすら推測できないが。
しかしこと思いの強さに関しては、よく知らないもののなぜか最初から敗北が決まっているような、そんな気さえする不思議な少女だ。
「申し訳ないねぇ! すぐにどくよぉ」
「……スメラギさん、貴方は……。我が帝国の秘められし技術が、破られると思いますか……」
「思わないねぇ。全然思わないよぉ」
「そうですか……それでは、私は失礼します……」
自信に満ちあふれたスメラギの言葉を聞いて、ヨミはやはり表情一つ変えることもなくそのまま歩き去った。
この帝国において、皇帝を除外すれば彼女が最も全ての真実を知っているであろう。
皇帝が歩んだ波乱万丈の人生のほとんど全容を、彼女は知っている。皇帝の想い、そして三千兵器の成り立ちから今に至るすべてを網羅したはずのヨミ。今の彼女の言葉には、一体何が込められていたのか。
あのような真面目な少女が、意味のない事を言うはずもない。
(もしや現状ですら甘く見すぎているのかなぁ? もう少し、警戒しろってことかぁ……?)
無意識に流れた冷や汗を、スメラギは軽く拭った。
自分の知らない事を、きっとヨミや皇帝は知っているのだろう――




