70.『―恋する男の叶わぬ叫び―』
セーヴらが乱戦に陥る中、レイナ、アリス、レッタの三人は、魔物の全てを討伐し終えた。それはちょうど、インステードがエリーヴァスのいる場所へ転移させられたのと同時である。
しかし戦闘で忙しいためこまめに通信をする事が出来ず、三人は未だ現在の状況を正確に把握していなかった。
だが、自分達へ危害が及ぶような現状ではないことは分かっているため、目的である『アリスの救出』を果たそうと思うのは必然だ。
「フレードくん、フレードくん」
『はい! レイナさん!』
レイナの呼びかけに応えるフレード。どうやら、レイナ達の言いたいことが分かったらしい。
『逃走経路を割り出します! マップを送るのでそこにある印に沿って脱出してください!』
「分かりました」
その言葉が終わって間もなく、三人の前にモニターが表示される。そこには、この森のマップがあった。味方や敵の情報はどうやら表示されないようだが、フレードが索敵などを使いながら割り出した『逃走経路』だ。
彼を信じて、赤い線が引かれた場所を迷いなく進む。
わざわざセーヴ達のいる前方に突っ込むほど阿呆ではないので、できるだけそこから離れるため今までいた場所から横方向に退去する。
「今更だけどん、この森ってかなり深いわよねぇん……まだまだ先があるみたいだしぃ」
「そうですね。ですのでかなり重要な森です。我々の復讐が終わった後はまだ決まっておりませんが、この土地は誰かの物にはなるでしょう。その時のためにこの森の消滅は何とか避けたいのですが……」
「まんなかの方はぽっかーんって穴が開いちゃうと思うですよ……? だって、みんな集まってるんですもん」
そんなことを話しながらも、走る速度は緩めない。一刻も早くここから脱出すれば、セーヴらももっと堂々とした策を練る事が出来る。
そこからは誰も一言もしゃべらず、無心に森を駆け抜けた。
するとどれ程の時間が経っただろうか、元気に右手を左右に振るフレードと、その背後で結界に魔力を流す数人の兵の姿が見える。
「皆さん! すぐに脱出します!」
「セーヴさんには」
「たった今彼が通告してくれています! こちらへ!」
〇
一方アリス達の方向へ吹き飛ばされていたセーヴは、彼らの気配を近くに感じず眉を顰めていたが、フレードの命令で通信してきた兵の報告により彼らの無事脱出を知る。
もう少し、もう少しだけ粘ればカゲロウをここで倒しきる事が出来るはずだ。
セーヴは神の力を辺境地の結界も含めて二回も使用し、ほとんどの魔力を消費してしまった。が、インステードにはまだ余裕がある。他の仲間と共に本気全開でぶつかっていけば、きっと。
「……と、思うんだけど」
そんな考えを、アリス達の脱出と共に皆に伝えるセーヴ。皆が頷こうという時、急に通信指輪が光り出した。
何があったのか、と思いながら全員が耳を傾ける。
『皆さん、辺境地の結界があと三十分しかもたないみたいです! ええとあくまでぼくの意見でしかないんですけど、今はお互いの実力を知るという事に留めておいて、このまま撤収が良いかなと……! 初見ではない敵は次戦いやすいですし、一本三千兵器も手に入れました! 向こうには損失がありますが、こちらにデメリットは今のところありません! どっ、どどど、どうでしょうか……!?』
フレードの声だった。中々に合理的な分析である。双方の傷は治癒魔術で治るもの。しかし、三千兵器を取り戻すことは出来ない。
アリスも救出できた。目的は全て達している。下手に突っ込むより改めて挑んだ方がいいのだろうか。
そう思っていると、目の前にインステードとエリーヴァスが現れた。転移させられ、しかしすぐにこちらへ向かってきたのだろう。
「殿下! カゲロウがこちらに向かってきています。応対するほかないかと。他の方々は辺境地のためにもこのまま――」
「んー……? 君ってさァ……そんな臆病だっけェ……? あの団長の一番弟子……みたいなもんでしョ……?」
「!! 貴様……!」
「エリーヴァス落ち着いて。みんな、通告するよ! システィナさんとレイ以外はこのまま辺境地に帰還して!」
焦るエリーヴァス。しかし、その言葉が言い終わる前にカゲロウが目の前に現れていた。
だが、大体の技はもう見た。二回目の邂逅、そして強者がそろうこの場で負ける気はしない。
通信を終えてすぐに戦闘態勢に入るセーヴとインステード。
エリーヴァスもまた後ろに下がる。前線はインステードとセーヴに任せるべき――それはもちろん、分かっていた。黙っている彼だが、しかしその心中には一つの想いが。
『大丈夫っすか? 恐らくシスティナさんとレイが着くまでもうちょっとかかるっす』
「レンさん……恐らく大丈夫です。ここにはセーヴ殿下と……、インステード姫がいらっしゃいますから」
『分かったっす。ご武運を』
「はい」
鎌を振るうカゲロウ。
彼が二度と大技を出さないように、接近戦で剣を使いながら精霊を大量に召喚していくセーヴ。そして大魔術、禁忌魔術を惜しむことなく使うインステード。
もうそれだけで、カゲロウは押されていた。
一回目と同じならば分断すれば行けると思ったのだろう。しかし、セーヴらだって成長する。二度目はもう、負けない。
「ちくしょう……なんなんだ一体……!!」
半ばやけくそになったカゲロウは――、接近戦を挑んでいたセーヴに向かって、思い切り鎌を投げた。
セーヴはもちろん飛びのくが、鎌が飛んでくるのを止められたわけではない。
「――」
「セーヴ!」
だがその表情に焦りはない。彼の名を叫んだインステードが、無詠唱で彼の前に盾を展開する。インステードの表情には、エリーヴァスでなくともすぐに分かるほど怒りが滲んでいた。
――よくも、セーヴに。
言わなくとも、そんな怨念がガンガンと伝わってくる。エリーヴァスは、ふと強化の手を止めた。セーヴは飛びのいて一定の距離ができてしまっている。インステードは元から遠距離。
この状況を、打開するためには。
(風魔術――風脚、魔力全開)
一度目を伏せて。次に彼が目を開けたときには、凄まじいほどの闘志がそこには宿っていた。インステードへの叶わない想いも、ここに乗せて。
地面から離れた足に、かなりの量の魔力が注がれ、一つの魔術を形成する。
風が彼を押して、瞬きの後その姿はもうカゲロウの眼前に迫っていた。彼の右腕を掴んで、風魔術の勢いのまま二人で吹き飛ぶ。
もっと、もっと離れなければ。
「拘束。状態異常――重力」
「ぐっ……君、程度に……」
エリーヴァスは『治癒』担当。そして、だからこそ『状態異常』に関しても人一倍マスターしている。そう言った人体にかかわる魔術に関しては、四大剣聖を前にしても通用すぐレベルに昇華させてあるのだ。
ティアーナが、こんな自分に価値があるのだと言ってくれたから。
グレイズが、それはずっと役に立ってくれているのだと笑ってくれるから。
紫の魔力が拘束としてまとわりついているため大した動きもとれず、重力の魔術で体が非常に重いカゲロウ。
だからこそすぐに状態異常を何とかしようとするが、どうやらかなりの魔力が注がれているようでそう簡単には解けない。
それもそうだ、実はこの時点で、エリーヴァスはその魔力を全て使い切っている。
ならばここからどう攻撃するのか。
それは。もちろん。
「「――エリーヴァス!!」」
セーヴと、そしてインステードの声が聞こえる。言わなくちゃ、いけないことがあった。
(――わが身に一片の濁りなし)
「この状況もすべて、私達が皆さんの帰還を遅れさせてしまったことが原因です。ですから、私がここを何とかします」
駆けつけた彼らに聞こえるように、しかし早口で声を張り上げる。
(この身に一片の悔いもなし)
「せっかくここまで来たのです……。ですが皆さんのご意向を覆す必要はありません。これは、全て、私のエゴです」
言わずもがな、これは司令の命令を完全無視した勝手な行動。だが、後悔はしていない。
(されど、この身に宿るものはあり)
「ですから、私を置いて、先に行ってください」
例えセーヴの神の力が今も使えようと、『これ』をやってしまえば復活はできない。魂ごと掻き消えたものを、一から組み直すのは神であろうとできないのだ。
けれど。
(幾星霜の重なりの果てに)
「それに私は、死ぬならグレイズさんと同じ死に方がしたいのです」
カゲロウの抵抗がさらに強まったが、セーヴがエリーヴァスの術に干渉して技をさらに強固なものとする。
どうやら、エリーヴァスの想いを汲んでくれるようだ。
(我が魂を以て)
どうやっても、どんなに頑張っても、インステードに振り向いてもらえない。
それは分かったが、どうにか一度だけ。一度だけでも、その目に映って欲しくて。少し、歪んだエゴかもしれないけれど。
インステードにアタックしろ、と、背中を押してもらったから。絶対に、果たすのだ。自分のためにも、あの人のためにも。
「インステードさん、私は――!」
大きな、声で。
(この世の無常を打ち砕き賜らん)
「――私は貴方が、好きでした!」
その叫びと共に、自らの魂が抜けて散っていくのを感じる。記憶が、体が、積み上げてきた全部が崩れて――力となり、魂の爆発を引き起こす。
グレイズと同じ、自爆魔術。
いきなりの告白に固まるインステードに代わり、セーヴが結界魔術を展開した。インステードの目には、確かにエリーヴァスが。エリーヴァスだけが映っている。彼の死に際の告白は、人間に対して興味があまりない彼女の意識をしかし全て傾けるに十分だった。
だから、エリーヴァスは微笑む。この人生で彼女の視界に一度でも入れたなら。
――ティアーナさんに、救ってもらった。
――グレイズさんとの日々は、楽しかった。
――あなたに振り向いて欲しかった……けど。
――守れるのなら、悔いはありません。
そしてエリーヴァスの意思さえもこの世から消える、その寸前。彼は見た。もう一人の、敵意ある人影を。
〇
凄まじい魔術の波動が森の結界を破壊し、それを起こした者は一陣の風と見紛うような速度でカゲロウに接近した。
と思うと、人影はそのままカゲロウを抱えて上空に飛び立つ。連れ去ったのだ。
地面にへたり込むインステードと違い、セーヴはまだ冷静さを保っている。その目は確かに捉えた。片腕を肩からえぐり取られるように失ったカゲロウと、それを杖に乗せて連れ去る『魔女』クラヤミの姿を。
「――魂からの自爆による損傷は、治癒魔術では治らない……。三千兵器と、四大剣聖の腕一本……。代わりに、エリーヴァスを失う結果、か……」
彼の行動を止める術はあっただろう。
だが、何よりも『想い』を大切にする慈善盗賊軍の人間にはできない事だ。
セーヴが借り物である神の力に頼り切りはしないのも、自身の実力による復讐をするという意志が強いから。
そして今エリーヴァスは、恋という強く深い想いを原動力にその身を捧げた。
それを止めるというのは、野暮というものだろう。
「インステードちゃ――、インステードちゃん?」
「……っ、……ぁ、……」
恐らく皆がこの状況を把握している。通信指輪からは皆の声が飛び交っていた。が、起きた事実が覆ることはない。
深く考えこむなら少なくとも帰ってからだ。そう思ってインステードを見れば、彼女は限界まで目を見張ってその瞳を震わせていた。
泣くつもりはないようだが、告白からの死にかなりの衝撃を受けているようだ。
仲間に何かあった時、それを救うのが仲間らしさというもの。インステード達が何度も救ってくれたように、今度はセーヴが。
「行こう。先へ」
長い言葉は必要ない。
力強くそう言って――、セーヴは、立ち上がれなさそうなインステードをお姫様抱っこして森を駆け抜けた。
「全員、撤退!」
そして通信指輪に力強く命令を下し、全員が了解したことを確かめるとさらに前方を見据える。足を緩めることはない。
ただひたすら前を見るセーヴは気付かない。
エリーヴァスの想いへの戸惑いと複雑な感情、セーヴからのいきなりのお姫様抱っこにまとまらない思考が絡み合うことにより、ちょっとした逆効果になっていることを。
――ただ、その目が前を見据えていることは、紛れもない事実であった。




