69.激情
エリーヴァスの姿を見つけた少しほっとしたインステードは、魔術で自身の体を持ち上げ木に寄り掛かる。
「飛ばされたの、あのカゲロウって奴に……後ろからだとは分かったけれど、反応が遅かったの、反省が必要なの」
「なるほど……こちらは生贄の討伐がほとんど済みました。このままカゲロウのいるところへ直行しましょう。散らばっている生贄達はランスロットさんが何とかしてくださるとおっしゃっていましたので」
「分かったの」
エリーヴァスも自身の役目を終え、今からセーヴらのところへ向かおうというところだった。そこへインステードが来ると、もっと頑張ろうと思える。
ふとインステードを振り返ると、風魔術を使って浮かぶ彼女の姿がもちろん目に入った。
何となくグレイズの言葉を思い出し、右手を差し出してエスコートしようとしてみる――、が、彼女が焦っているのが何となく伝わってくる。
よく見れば雰囲気から分かる変化だ。エリーヴァスが悟れぬはずもない。
「……インステード、姫?」
神妙な顔をして俯きながら思考しているのだろうインステードだが、さすがにエリーヴァスの呼びかけは耳に届いたようで顔を上げる。
「どうされたのです?」
「……あいつが、危ないと思っただけなの。セーヴが危ないから……早く行かないと……」
しかし思考の渦から完全に脱却したわけではないようで、どうやら考えていたことをそのまま口に出したのか、口に出したその事実にも気づいていない。
だがそれは、今まであいまいだったセーヴへの彼女の想いを、確定させるような言葉だった。
大丈夫。アタックすればいつか。自分だって。自信を持って。変わって。だから。――どんなに抗っても敵わない事から、目を背けていただけなのだ。
「……――急ぎましょう、インステードさん。この手を取ってください。私が魔術で飛びます。インステード姫は魔力の温存をしてください。木々は私が何とかしますので、身を任せてくだされば」
「あ……。……うん、ありがとうなの……」
エリーヴァスはもう一度右手を差し出し、今度は了承を取らずインステードの腕を掴んで魔術で森を疾走する。
インステードの瞳は、それでもエリーヴァスを見ていない。分かっていたことだ。
ティアーナと、セーヴ。その二人だけが、彼女の心の容量を占めている。いくらエリーヴァスが足掻こうが、その関係性は揺らぎもしないのだ。
確かに、四大剣聖と一対一だと負ける可能性が出てくる。三千兵器によって増大された力の前で、インステードまたはセーヴが一人で戦うのは少し危険だ。
だが、今はレンやシスティナ、レイのサポートもある。きっとこの速度で行けば無事合流する事が出来るだろう。
それはインステードも分かっているはずだが、それと心配するかしないかはまた別だ。何か不測の事態が――、なんて想定をしてしまうのは仕方ないともいえる。
だって、彼女は、セーヴを――
「セーヴ殿下! 皆さん!」
その考えを振り払うように、エリーヴァスは大声を上げて戦場に乱入した。それと共に水魔術を放ってみたが、普通に避けられた。
しかしその隙にレンが放った矢、セーヴの重力魔術によって動きを制限され、システィナの暗器を避けたがレイの状態異常<麻痺>は避け切れず受けてしまう。
「ちっ……そっちもかァ……!」
「さっきの仇なの! 紅の煉獄!」
思わず舌打ちをするカゲロウに、インステードが放った魔術。<禁忌>の一つであり、彼女がこの帝国の<東>を燃やし尽くした魔術でもある。
今はその範囲を圧縮し、指定した小範囲に膨大な熱量をもたらす灼熱となっていた。
吹き荒れる炎は、一般人が触れただけで消し飛ばされるだろう。だがカゲロウは違う。自身を靄で包み、炎の影響をできる限り小さくする。
わらわらと集まりうっとうしい攻撃をする精霊たちを鎌で薙ぎ払い、背後に盾を展開し矢を防ぐ。セーヴの使用する禁忌魔術についてはきちんと対応をする。
凄まじい対処能力だった。これだけの数を前にしてよくやる、と。
「ぐっ……」
システィナの暗器がカゲロウの足に命中する。レイの暗器を避けた結果だ。恐らく連携しているのだろう。
本来ならば全て避けられるだろうが、今は隠密に頭を割いていられなかったのだ。
「本当は……使いたくなかったけどなァ……。【神力解放】――霜月の暗夜」
三千兵器本来の力の開放。どれもが神の御業を成すと言われる兵器の一振りが、人間自体すらも昇華させる。
あるべきでなかったものすら現実にする――、奇跡の体現。
黒い薔薇が辺り一面に咲き誇り、意識を揺らがせるような魅惑の闇が空気を包んでいく。息を止めることに意味はない。
薔薇を目にした瞬間に、思考は鈍る。セーヴ、インステードですらも神の御業に抗い切る事が出来ない。
スメラギのような物理的な神力解放ではなく、精神に直接叩きつけるような技は、特に対処が難しいものだからだ。
「ぐ……ッ!」
治癒系統に長けるエリーヴァスは、自身への影響を薄めるので精いっぱい。皆にまで術をかけていられず――
「はァッ!」
そしてカゲロウが鎌を振るう。その先には、セーヴがいた。精霊が彼を守っているが、薔薇を纏う今の彼の鎌ならば、精霊を崩すことも容易なのかもしれない。
その鎌がセーヴに届くかどうかという時。
「――かかったな」
セーヴの平静な声に、カゲロウが目を見張った。
なぜ。どうして。
「自分が普通の矢、使うはずないじゃないっすか。四大剣聖を相手に」
レンの言葉が、死刑宣告とすら思えるほど重々しくカゲロウの頭に響いて。そしてその重さは決して感覚的なモノではない。
体がうまく動かない。しびれているのか、はたまた何らかのものに抑えられているのか。そして気付く。レンの矢には毒が塗ってあったのだ。
そして追撃を与えるように、システィナ、レイの暗器が次々と彼の腕や足を切り裂いていく。刺さることは避けたものの、完全にはできない。
奥歯を噛み締めてカゲロウが見据えた先。
「――有限なる存在を超越せし無限の前に、汚れ多き存在を許し賜ることなかれ」
セーヴが、本物の『神の力』を準備し終えていた。抵抗しようと鎌を振り上げたカゲロウだったが、足元に浮かぶ真っ赤な魔術陣に気付かない。
「禁・界奉怨鎖」
魔術陣から伸びるのは、無数の鎖。――世界を崇め奉る人。そして世界に怨嗟を零す人。それが集まってできた、禁忌の束縛術。
黒く黒く、どこまでも漆黒の鎖が、闇の体現とすら言えるカゲロウを拘束する。動けない。鎌を動かそうにも鎖が邪魔で振るうことすらできなかった。
そうして抵抗も虚しく、セーヴの術は――
「――『原初神』」
全てを闇に飲み込んで消し飛ばしなかったことにする、禁忌よりも恐ろしい『神の力』が発動する。
どんなに強大だろうが、禁忌だろうが関係ない。魔力を注ぐ時間。それを維持する集中力。神の力を受け入れられる器。
それらがそろえば、何が前にあろうと触れた瞬間に消し飛ぶ。
何も護ることのない、ただ破壊するための技。けれど消すべき対象がそこに有る時。何よりも活きる業でもあった。
「ア――」
死ぬ。
自分が。
四大剣聖ともあろう者が。
あの時、皇帝に誓ったはずなのに。
この想いは、朽ちぬと。
――許せない。
許せない、許せない許せない許せない許せない許せない。
「うあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
咆哮が、響き渡る。
思わずセーヴも目を見張るような力が、迸った。あたりにある木々を、動物を、ありとあらゆる小さな生命たち――その命を悪意あるものに変えてひとつの塊を作る。
巨大な……ゴーレムと形容するにふさわしい物体が、『原初神』の真黒な魔力に当たって消滅する。
もちろん、両方の魔術が消滅した。強力なぶん、指定した場所、範囲にしか放てない。世界線をも捻じ曲げる術といえど、欠点がないわけではないのだから。
指定した座標を阻害された神の技はあっけなく消える。
(かなり魔力を持っていかれた……しかし、向こうだってかなりの力を使っただろう。このままみんなで削っていけば――)
「はァ……はァ……ボクが……ボクだけが覚えていなくちゃァ……」
ぼそぼそと聞こえるカゲロウのつぶやきだが、何を言っているのかはあまり理解ができない。だが、理解する必要もないだろう。
激しく肩を上下させながら、カゲロウが鎌を構える。レンの矢の効果は既に切れていた。
予想外の展開だが、四大剣聖らしいとも思えたのでセーヴは仕切り直すことにする。目の前では術を組み立てるカゲロウ。その術には、既視感を感じる。だが、何か違う。
――爆散・闇夜の神隠し
レンの矢、システィナとレイの牽制。それらの全てを真正面から全部受けながら、膨大な魔力を以て発動したのは見覚えのある魔術。
セーヴが直前で放った精霊術は、果たして彼に当たっているかどうかわからない。
――なぜならその結果を目にする前に、激しく地面が爆発しその風にあおられ吹き飛んでしまったからである。
「レイ!」
「あ……システィナさん……」
空中で体勢を立て直したシスティナが、ぎゅっとレイの手を握って着地に備える。そんな真剣な横顔となびく髪を見て、こんな状況なのに――否、こんな状況だからこそ、レイの中で何かが動いた気がした。
「うぅっ!」
「インステードさん、手を……!」
インステードは空中で体勢を立て直すのがひどく難しい。そのサポートをするため、エリーヴァスが手を伸ばし風魔術で浮遊する。
この際、彼女がセーヴのいた方向を見ながら協力してくれていることは無視だ。
「いったいどこまで飛んでるんだ……」
自身の居場所の把握をするため、風魔術の展開をしながら辺りのマップを探り、場所を見て眉を顰める。
かなり近くには、レイナ達がいた。かなり遠くまで飛ばされている。爆散による効果だけではなく、神隠しの術も併用されていたからだろう。
「ランスロットさんの方向っすか……!」
一方レンは自分が来た道を引き返すように飛ばされているので、すぐに位置を把握する。奥歯を噛み締めた。アリス達とはさらに離れてしまうからだ。
着地に備えながら、レンは自身のふがいなさに歯ぎしりするのだった。




