団長は静かに託した
その村は、一年中平和で暖かい場所だった。
大きいとはお世辞にも言えないけれど、だからこそ人々の団結力は強く、外からやってきた者にちょっと厳しい傾向はあったが皆優しい村だ。
そんな村に、グレイズは副村長の息子として生まれた。政略的だが、村長の娘との結婚が決められており、その人生は順風満帆と約束されたようなものである。
「ね、ねえねぇ、今日はあたしも狩りにつれてってくれる?」
「馬鹿、あぶねえだろ?」
「でもでもっ、昨日約束したじゃない! あたしちゃんと勉強終わらせたのよ?」
「……はあ、しょうがないな。俺から離れるんじゃないぞ?」
「……ぁう、ぅ、うん……」
「やだー、めちゃくちゃあつーい!」
「アリシアちゃん顔真っ赤~!」
「うふふ、可愛いわね、二人とも……」
「ああ、最初は勝手に婚約を結んだから少し悪い気もしたが……思ったより満更でもないようだな。お似合いで何よりだ」
「ええ、そうね」
盗賊スキルを持っていたグレイズは当初、この村を追い出されるかと思っていた。だが、婚約者のアリシアが全力でグレイズの有用性を広めてくれたり、立場が高いのも相まって普通に受け入れられたのだ。
上記二つも大きいが、なんと言ってもやはり村の暖かさだろう。
普通ならどこでも忌避される、『罪人のスキル』と言ってもおかしくないもの。しかし、この村はあまりにあっさりとグレイズを受け入れたのだ。
それだけでも嬉しかったし、アリシアが頑張ってくれたのはもっと嬉しかった。
一部の納得いかない人間を何とか説得したのは彼女だ。
「みんなー、帰ったぞ」
「あたしも帰ったわ!」
「あ、アリシアとグレイズ。大変なの、クロリアが熱を出したみたいで」
「ほ、本当ですか!? 今行きます!」
「あたしも行くわ! ごめんなさい、その、狩ったものの処理をお願いしてもいいかな」
「えぇ、お安い御用よ」
大量の荷物を抱えて戻ってきたアリシアとグレイズに、アリシアの母が駆けつけてそんな事を言う。クロリアとは、アリシアとグレイズの子だ。
まだ生まれて間もない彼女は、医療技術の発達していないこの村ではかなり不安定である。いつどうなってもおかしくないので、両親である二人が焦るのは当然だ。
三人で過ごしている家にすぐさま戻ると、グレイズの母がクロリアを看病していた。
「母さん! クロリアは!」
「今のところ目立って苦しんでいる様子はないけれど……熱はまだあるみたいだわ。そうだ、おかゆを作ってくれないかしら?」
「あ、あたしが行きます! グレイズはお義母様と一緒にクロリアを見てて!」
「分かった!」
焦り気味のグレイズの母。慌ただしく厨房に駆けこむアリシア。クロリアの頭を撫でながら冷や汗をかくグレイズ。
赤ちゃんの熱とは、この村では騒ぎになってしかるべき大事だ。
ついでにクロリアはこの村の将来的な後継ぎ。このことはあまり人に知らせないようにはしているが、知る人は皆焦っていた。
「……てか、なんか焦げ臭くないか?」
「森で火事が起きたのかしら……ここは村から離れているから、どうしましょう、森の火事を抑えるだけの道具をすぐ持ってくることは無理だわ」
「とりあえず外に出て確認してく――」
「――グレイズ、お義母様、大変!!」
何となく変な匂いを感じたのだが、どうやら母も同じようで。すぐ立ち上がるが、それを抑えてグレイズが向かおうとする。
だがその前に厨房から慌てて駆けてきたのは、アリシア。
厨房には窓があって、そこから村が一望できる。村長関係者は色んな伝承があるため村から少し外れたところに家が建てられるが、欠点は村のトップが非常事態にすぐに駆けつけられない事だ。
「村から凄い煙が立ってるの!!」
「「なっ!?」」
「ソールリン、グレイズ、アリシア!!」
「三人とも無事かい!?」
「みんな!」
アリシアの焦った顔。その言葉に、グレイズも母ソールリンも驚く。その言葉に追随するように、アリシアとグレイズの父二人と彼女の母が家に駆けこんできた。
それからクロリアの事もあるのでアリシアとその両親を残して、三人で村へ向かう事になる――が、村に着いた頃には、目も当てられない惨状がそこにあったのだ。
「……そんな……十分と少し……たった十分と少しなのに、何故……!!」
「恐らく、人工で起こされた火だろう。でなければ、十分で村が燃え尽きることはなかろう……。生き残りがいないか確かめてくる。……お前は、母さんを」
「あ、あぁ……そんな、どうして、みんな……そんなッ……誰が……!」
「母さん……」
父は高齢であったが、その年齢にそぐわぬ戦闘力を持っている。なので崩れ落ちるソールリンをグレイズに任せて、自分だけ勢いの落ちてきた火の中に突っ込んでいった。
とはいっても火はほとんど消えかかっているので、きっと父なら無事に帰ってくるだろう。だが、そのせいで惨状がよく見えるのも確かだ。人口が少ないだけあって、誰も彼も知り合い。助け合って生きてきた、名前も性格もわかる人々が、様々な殺し方をされて横たわっている。
火で燃えた者もいた。だが、それだけではないのは一目瞭然だ。
しばらくして、父が沈痛な面持ちで戻ってきた。その顔を見れば、結果は問うまでもない。
「……全滅だ。生き残りはいない」
「「……」」
わっと泣き出した母を、グレイズは何とか支えて立ち上がらせた。今はどこが危険でどこが安全かもわからない。早いところアリシア達のところへ戻らねば危ないかもしれないのだ。
「急ごう。何が起こっているかわからん。放火なのは確かだ、村の人間を狙っているのだとしたら、真っ先に狙われるのはリズさん達だからな。クソッ……一体私達が何をしたと言うんだ……!」
来た道を引き返しながら、思わずと言った感じで毒を吐く父。奥歯を噛み締めて何かに耐えるような、そんな父を見たの初めてだった。
いつも格好良くて、何事も余裕でやってのける父。そんな彼でも、この地獄絵図には耐えられないのだ。それも、知り合いが、あんなに大勢……。
でも、両親がそれでも気丈に指示をしてくれるから、グレイズも取り乱さずにいられた。
また十分と少し経って、三人は家に戻る。駆けだしたのはグレイズ。一刻でも早く、アリシアとクロリアの無事を――
「アリシ――! ア……?」
大丈夫か、と続けようとした声は、続けることができなかった。目に入ってきたそれが、どうしても信じられなかったから。
血まみれで横たわるアリシアの父。そして、それを踏みつけながらアリシアの母、リズの首を絞めて剣を振り上げている男。その服装の高貴さから、貴族か何かだと察するには十分だった。
震えながらベッドでクロリアを抱きかかえるアリシア。どうやら彼女はまだ無事のようだ。が、リズは腹に剣が刺さっているし、今にも死にそうだった。
「貴様!」
真っ先に反応して剣を抜き、勇猛に向かっていったのはグレイズの父。ソールリンは慌ててアリシアに駆けつけ、グレイズは矢で父を援護する。
男はリズを放り投げると、剣を抜いた。その瞬間、剣に巻き付くのは、業火。それは意識を持っているかのようにうねり、父の剣を受け止めた後火だけが自律して父に向かっていった。
「やめろおおおおおお!!!」
死ぬ。終わった。
そんな考えが脳内をかすめる。が、考えている暇などない。ただ無我夢中で矢を放って――、でも無情に、父は目の前で燃やされていった。
その後の事は、良く分からない。あまりに曖昧で、あまりに残酷だ。
人は、本当に辛かったことを、反射的に忘れようとするらしい。
ソールリンが全力で抗っていたような気がする。男がグレイズを攻撃しようとして、アリシアが守ってくれたような気がする。母が死んで、グレイズに迫る男。その隙を突いて、アリシアが最期の力を振り絞って心臓に矢を突き刺した、ような、気がする。
夢を見ていたかのような、遠い昔に見た物語でも思い出すような曖昧さ。
けれどそれは確かに現実で。
グレイズはこの地図にも載っていない村の、唯一の生き残りになってしまったのだ。
〇
弱い。貧弱だ。弱い。無力だ。弱い。まだまだ。もっと強くならなければ。もっと。どんな敵をも消し飛ばせるくらい。
もっと、もっとだ。己を高めて、高めて、この盗賊スキルでこの国のものを奪い尽くしてやる。絶対だ。復讐をせねばならない。あの日、自分の全てを奪った、あの瞬間のために。
「――た、助けて!」
ただがむしゃらに盗賊スキルを鍛えていたグレイズが盗賊団を目指したのは、その瞬間からだった。金銭でズルをしようとしたチンピラどもに、真っ向から理論で対立し見事に追われていたのがエリーヴァスである。
ほとんど反射的に動いて、エリーヴァスを救った。目の前で誰かが死ぬのはもう二度と見たくなかったから、と言うのが強い。
「馬鹿か、おまえさんは。ああいう奴らに理論を説くだけ無駄に決まってるじゃねぇか」
「……ですが、人には誰しも優しい心があると思うんです。きっと冷静に説けば、善に変わる人もいると思ったんです」
「……なるほどな。慈善、か……」
「慈善とまで言うつもりはないですけど……ね」
そう、照れくさく笑ったエリーヴァスを、たぶんグレイズは一生忘れられないだろう。『慈善盗賊団』フィオナ始動の瞬間は、間違いなくそこだった。
その後集まったメンバーは盗賊としての活動が主になってしまったが、ティアーナの存在により方向修正がされ、グレイズは主君のように彼女を尊敬している。
そんな彼女の死――、そして、フィオナをサポートしてくれたセーヴとインステードの復讐願い。それを、グレイズが無下にするはずもなかった。
〇
月日は流れて、グレイズの荒んだ心も段々落ち着いて。やがて、想像以上に仲間達へ気持ちを抱いていることを自覚した。
この復讐譚において、死傷は免れない。きっと遠くない未来で、仲間達が倒れていくこともあるのだろう。
それについて、文句を言って今更全部を止めようなんて言い出すつもりはない。でもただひとつ、自分勝手だけれど、この目でそれを見るのはもう嫌だった。
仲間の目に焼き付けてしまうのは罪悪感があったけれど。
(転移魔術陣は、一人分。魔物が大量に迫ってくるのも感知できる)
今この状況において、死ぬべきなのはエリーヴァスではなかった。どちらかが命を落とすしかない状況ならば、グレイズは。
全てを失った自分ではなく、これから何かを得て散っていくであろう仲間達へ、託すために。慈善とは、やっぱり自分の生き方は程遠かった気がするけれど。
でも最後に見た、恩人でもあるエリーヴァスの顔は、絶望ばかりではなかったような気がして。
(アタックあるのみだぞ、エリーヴァス……あの方は、そう簡単には振り向いてくださらないだろうよ……)
迫りくる魔物を見ているグレイズの心は、満たされていた。
家族を、居場所を失って空虚しかなかったそこには、仲間がいて。主君がいて。唯一無二の親友がいて。
でも、あまりに楽しすぎてあの時の悲しみを忘れてしまう前に。
セーヴが『人間はこうも簡単に忘れてしまうのか』と嘆いたあの時、グレイズもまたはっとしたのだから。
「わが身に一片の濁りなし
この身に一片の悔いもなし
されど、この身に宿るものはあり、
幾星霜の重なりの果てに
我が魂を以て
この世の無常を打ち砕き賜らん」
体中を噛まれながら。食われながら。刺されながら。それでも、自爆魔術の丁寧な詠唱は起動して。
どうかこの帝国が滅びるようにと願い、グレイズはあまりに穏やかに目を閉じるのだった。
〇
ティアーナ。あの日、敵に追い込まれその対処に手いっぱいで、駆けつけられなかった事を悔やんでいる。
エリーヴァス。あの時から、ずっとグレイズに付き添ってくれて何事も言い合って……とても、感謝している。
セーヴ。あの瞬間の復讐の号令は、紛れもなく神の天恵にも等しかった。彼のおかげで、フィオナは望みを果たせる。
インステード。どんな時も頼れる背中を見せてくれた彼女のおかげで、皆の戦意は途絶えなかった。エリーヴァスを、よろしく頼む。
みんな――、ありがとう。……ごめんな。




