65.彼らは再誕す
皆が持っている通信指輪から響いたのは、祈るような切迫したレイナの声。どうやら意図的に通信したわけではないようで、一定レベル以上の感情を共有できるという通信指輪のシステムが作動したのだ。
留守番をしているレイナが感情を迸らせるなど、尋常ではない。
恐らく自分達がいない間に何かあったのだろう。こちらではグレイズが命を落とし、向こうではまた事件が発生した。
何もかも守れていない。
セーヴは自分が判断を間違えてしまったのか、と下唇を噛む。しかし過去には戻れない。エリーヴァスが言うように、自分達は前を見据えねばならないのだから。
「……レイナさん、通信指輪から声が聞こえたんだけど……何かあったの?」
きっと向こうでも相当な事が起こっている。今はまだ、グレイズの事を告げるべきではない。ひとまずはレイナ達の件を落着させねば、全ての事がごちゃ混ぜになって更に敵の思い通りになりかねないからだ。
まずは冷静に問いかけながら、全員でマグンナに帰るため上空を飛ぶ。
レイナは声を震わせながらも、隣にいるのだろうレッタ元男爵になだめられ何とか言葉を紡ぐ。
『……み、皆さんが留守にされている間、軍の訓練が終わった後、その場で私とアリスで訓練を行っていたんです……。そ、そうしたら……「四大剣聖」の「死神」を名乗る……えぇと、カゲロウという者に襲撃されまして……。ぁ、アリスが……さらわれてしまいまして……』
「えっ、アリスがっすか!? お、お前は大丈夫なんすか!? それに四大剣聖って……手薄な今を狙ったってことっすよね!? この鬼畜帝国が!!」
『わ、私は大丈夫です……ですが、ですがアリスが……ッ』
『落ち着くのよん、レイナちゃん。今は皆さんが戻ってくるのを待つしかないのよん』
『は、はい……!』
「レッタさんの言う通りだ。今僕たちが全速力で戻るから、待っていてほしい。レンさんも落ち着いて。彼らの狙いは僕たちが彼女を探しに行くことだ。そういった人質はすぐに傷つけられることはないから」
震えながらもあったことを口にするレイナに、もちろん夫であるレンが焦って叫ぶ。が、レイナはレッタに、レンはセーヴにたしなめられて一旦気持ちを落ち着けた。
今すぐにでもカゲロウとやらをぶっ飛ばしてアリスを救出したいが、何せ相手は四大剣聖。インステードやセーヴでも個人で相手にする場合は、勝利を確信できないような相手。
レンやレイナが衝動で攻めて行けるほど、甘い存在ではないのだ。
それに、アリスも無力ではない。その幼さで既に精鋭に追随する強さを持っているが、それでも寸分の抵抗もさせずに捕まってしまったのだ。
「全力で飛ばすよ。転移魔術陣を描いている方が時間がかかるからね……風の精霊に後押ししてもらうから、魔力で態勢を保って。飛ばされないように!」
「「「了解!!」」」
セーヴがそう指示を送ると、彼の手からわらわらと風の精霊たちがチームメンバーの背後に回る。
次の瞬間、凄まじい風の圧力が全員を吹き飛ばすのだった。
〇
「「「はぁ、はぁ……」」」
精霊の後押しだけでもただ全速力で飛ぶより早かったため、メンバー達は変な方向へ飛ばされぬよう保つので必死だった。
が、その努力と精霊のおかげで早くマグンナにたどり着く事が出来たのも事実だ。
そもそも王都から辺境という距離は通常何日もかかるものだが、それを数時間で収めているのはもはや常識外の速度である。
「レイナさん!」
「レイナ!!」
マグンナに着いたセーヴ一行は、真っ先にレイナとレッタのいる場所へ向かった。すでにそこには全兵士が集められている。
飛んでいる最中にセーヴが兵を集めろと指示したのだ。
さすがにもう、全てを黙っているわけにはいかない。特にグレイズが命を落としたことは、残された盗賊軍がどう思うか。
完全に読み違えたし、指示も間違えた。
歯ぎしりするセーヴだが、司令官である以上それを見せるわけにはいかない。すぐにレイナに駆けつけ詳しい事情をレッタから聞くレンに近づく。
「兵士の方々には私から事情を説明させていただこうと思っておりますが、よろしいでしょうか?」
「あ、待って。この場合はエリーヴァスさんと……あとフレードくんも」
「了解しました」
「はいっ、分かりました……!」
す、と奥から進み出るランスロット。確かに彼ならば、変に感情移入せず淡々と事実を述べられるだろう。
彼は多くの兵を見てきたリーダー格。仲間の死にも冷静沈着な対応を求められ続ける彼は、ここでの感情を押し殺した説明に向いていると言える。
ただ、一歩下がって控えめに動いていた彼一人では情景を説明しきれないと思ったので、システィナはエリーヴァスとフレードを控えさせた。
そしてほかのメンバーと共に、セーヴ達のいる所へ向かう。
インステードは相変わらず落ち込んでいるが、今は声をかけるべきではないとシスティナは判断した。
セーヴはやってきたシスティナ達を目に留めると、先ほどレッタやレイナから聞いたことをそのまま彼らにも説明する。
「四大剣聖……カゲロウ……死神……」
「い、インステード様、『死神』の事に関して何か知らないんっすか!?」
いくつもの不穏なワードに眉をひそめるレイ。その横を通って、レンがインステードに詰め寄る。
インステードが落ち込んでいるのは分かるが、レンも必死だ。今最も帝国に関して情報を持っているのはセーヴとインステードで、その中でも四大剣聖と親しい位置にいたのがインステードなのだから。
まずは情報がないと下手に動けない。
今回は特にあんなことがあった後だし、誰もが不用意に攻めるのを牽制されている。
「……死神……カゲロウとは、一度だけ手合わせをしたことがあるの……。消えるし、透けるし、転移するし……基本的に攪乱ばかりで、正面戦闘はあまり得意でない印象なの……暗殺者などの隠密系統に近いと言えるの……」
「お、隠密系統」
「暗殺者……か……」
インステードがぽつりぽつりと話した内容で、システィナとレイが顔を見合わせた。隠密のシスティナ、暗殺のレイ。暗部での活動は、彼らが主導を制すだろう。
そして今回の相手は、レイナとアリスを簡単に凌いでしまうような凄腕。そして隠密と暗殺の両方をこなせる帝国精鋭。
隠密対隠密はかなり能力の差がなければ、通常お互い相性は最悪。
どちらかが行動を起こさなければ、隠れ合いが続きいつか不意打ちを食らう。だから普通は、お互いが合わさらないよう編成が組まれる。
「それじゃあ今回、私達は出る幕がないのかしら」
「いいや、恐らく凄く出る幕がある。千里眼を使えるアリスちゃんは今回運悪く捕まっている側だ。だから位置の特定が難しい。普通ならば斥候を放ってあたりを探り、潜入してもらって情報を集めてから――っていう順序なんだけど、今回は敵が敵だけに通常の斥候では歯が立たない。そして時間もない」
「確かに……つまり……」
「そう。システィナさん達にその役をこなしてもらおうと思って。そしてできる限り短時間での侵攻計画を立てる。今回も場所次第では兵士を連れていけない。精々レッタさんの二千人くらいだと思う」
「了解したわぁん」
できるだけ最初から『いない者』のように消えて、全ての情報を暗部から伝え、可能ならば不意打ちを狙えということだろう。
限りなくいつもに近い活動形態だ。暗殺部門の人間にとっては、これが正面戦闘である。
だが、この場を切り抜ける事が出来たら、恐らく一段と強くなれるだろう。レイ、そしてシスティナに課せられた試練だと言っていい。
そしてレッタにとっては、忠誠を見せつけるいい機会。レイとシスティナの存在を悟らせないため、彼の軍はきっと使う事になるはずだ。
「それじゃあ緊急計画を立てる。ランスロットの方は――、」
一斉に皆がランスロットらのいるところに目を向けて、一瞬全員が押し黙る。暗い、雰囲気に包まれていた。
精鋭メンバーの死と誘拐。それは、彼らの士気を下げるには十分だ。
兵士の中には、涙を流す者もいる。特にフィオナのメンバーは、グレイズ自らが救った者達ばかり。誰もが恩を感じて慕っていたが――こんなことに、なってしまった。
けれどセーヴ達を責めるような空気はない。
皆が悲しみながらも前を向こうとするような、雰囲気だ。恐らくエリーヴァスとフレードの声掛けのおかげだと、察するには容易だった。
「……諸君」
だから、セーヴは歩み出る。
副司令官として。言わねばならないことがあったから。
「……僕は、副司令官だ。本来ならば、『導く』という使命がある」
誰もが、彼の言葉を静聴する。
「けれど僕は今回、間違いなく判断を誤った。情報が十分に無かった。あまりに無鉄砲だった。こちら側の事を考えていなかった。何より僕は、皆に全てを黙っていた……。その結果が、これだ。皆にとっては、いきなりの報告で様々な感情が溢れていて仕方ないと思う。すべては、リーダーでありながら適切な判断を行う事が出来なかった僕の責任だ。恨みたくば恨んでくれてかまわない。だけれど――、」
謝罪と、それから。
「今、僕らの敵は帝国だ。ティアーナさんを無実の罪で裁いた帝国に、卑劣な方法でグレイズさんを落命させ、アリスちゃんをさらった彼らに、僕らは復讐するために集った。今は、こんな僕だけれど、帝国滅亡まで付き添ってほしい。それからは、どんな裁きも覚悟している」
一拍置いて、告げる。
「――僕に、もう少しだけ付いてきてほしい」
す、と頭を下げた。
本来ならば、副司令官はそうそう頭を下げるものではない。しかし、この場ではそうする必要があった。
兵士たちにとってはどれも理不尽な哀しみを、セーヴは懺悔しながら全て背負わなければならない。それが、司令官の一人としての役目と責任だ。
きっと、ここから出ていく人間が出ても不思議ではない。
でも、セーヴは必死だった。後悔しているし、悲哀に包まれているし、何故判断を誤ったのかと一秒たりとも忘れず自身を責めている。
お願いだ、頼むから――、この復讐が終わるまでは、ここに、いて。
「顔を上げて、ください」
誰かが発した言葉だ。
「もとより、私達は復讐のために集いました……」
「ならば前を向いて、帝国を滅ぼすべきかな、と」
「フレードが言うように、グレイズさんは私達の心に生き続けています」
「エリーヴァスさんのいうように、我々はその想いを引き継いで更に士気を上げるべきです」
「それに……副司令官殿にだって、恩があります」
「副司令官殿がいなければ、我々はただ悲しみを募らせたまま生涯を終えたでしょうから」
「生涯かけてついていくって、もう覚悟はできてます!」
「ここにいる誰もが、死ぬ気でやってますから!」
「「「ウォォオオオオ――!!!」」」
天へ向かって、地を響かせ空気を揺らすような雄たけびが上がる。それは、兵士達が自身の気持ちを乗り越え新たな境地へ踏み込んだ、産声と思えた。
前を向いた彼らは、以前より士気が上がったかのようにすら見える。
彼らの涙が太陽に反射して煌めく。いつの間にか夜は終わり、夜明けが訪れていた。その夜明けの光に照らされ、セーヴとインステードの顔が見えなくなる。
けれど、システィナら主要メンバーは見た。兵士達は悟った。
――泣いている。
ティアーナを、グレイズを、仲間を、今まで死んできたすべての人間を想って。




