64.彼は決意す
本来ならば目を突き刺す閃光が収まるまで目を開けられないはずだが、突如全身にかかった衝撃を警戒して、エリーヴァスはほぼ本能的に瞳を開いた。
そして、思わず肩を跳ね上がらせてしまう。
ぶつかるようにして抱き着いてきたのは、なんとインステードその人だったのだ。
「い、インステード、姫……」
本来ならば舞い上がって喜ぶシチュエーションのはずだが、グレイズがあんな事になった後だ。喜ぶ気には、なれない。
バッ、と顔を上げたインステードを見て、エリーヴァスはすぐにその感情を悟る。
後ろに居るセーヴ達も近づいてきた。誰もが、重い雰囲気を纏っていて。何となくこちらの事情を察しているのだろうし、グレイズ達がいない間に何かあったのだろうことはすぐに分かった。
「、は」
「え?」
「グレイズ……は……」
そう言って、また顔を俯かせてしまう。エリーヴァスは、彼女から一縷の期待を読み取った。けれど、きっとグレイズは助からない。
体力も魔力も精神力もすり減り、ついでに彼は自身で命を放棄した。
あの量の魔物の群れから何が何でも抜け出すなんてことは、もうできないはずだろう。エリーヴァスは、知っている。
「……グレイズさんは。魔物の群れ、に。転移魔術陣が、一人用のものひとつしかございませんでしたので……私が至らないからです。申し訳ございません……」
「い、今から!!」
エリーヴァスの言葉を聞いて、瞳から光を失くしたインステードが力なくぺたんと座り込んだ。先ほども車いすを使わずここまで来たが、どうやら魔術を使っていたようで、今はそれを持続させる余裕もないのだろう。
そして入れ替わるように叫ぶのは、フレード。
顔を真っ青にしながら、今にも泣きそうな顔だ。まずはティアーナ、そして先輩であるリクが死に、続けざまにグレイズまで死んでしまうのは納得できないに決まっている。
「今から行けば、間に合いますか!? だ、だって、地下から行けばもしかしたら……! セーヴ様とか、インステード様とかなら、こう凄い力でどかーんって!! でき――」
「……フレード、くん」
語彙力すらも低下させながら身振り手振りで叫ぶフレード。その焦りは、皆が抱いているもの。そしてその希望も、皆が賭けているたった一つ。
けれどその望みに、エリーヴァスは残酷で現実な言葉を吐きかける。
「……私は、去り際に見たのです。グレイズさんは、迫る魔物への反応を全くしていなかった……恐らくグレイズさんは……魔物に食された後、自爆魔術を使ってこのダンジョンご――」
エリーヴァスが言い終わるや否や、凄まじい轟音が全員の耳を揺らした。皆の目に映る爆炎は、やはりこのダンジョンから上がったものである。
人間が引き出せる体力、魔力的に魔物を倒し切るという事ができぬまま死んでしまうならば、このダンジョンは永遠にここに在るまま。
試練をクリアしこのダンジョンを消すために、グレイズはきっと己をも犠牲にして仲間たちの後の旅路を後押しするのだろう。
人間自体を媒体に、大気から大量の魔力を取り込んで自爆する魔術を以て。
――エリーヴァスにとっては、あの瞬間から分かっていた、ことではあるのだ。
けれど音を立てて崩れていくダンジョンを見て、エリーヴァスはどうしてもまた涙を抑え込む事が出来ない。
フレードももう何もかも遅いのだと悟り、絶望した顔でただダンジョンを見つめる。
エリーヴァスは、あの瞬間を振り返る。
もっと何かできたのではないか。もしもっと良い方法があったのなら。もし自分の頭がもっと良ければ。もっと強ければ。グレイズを死なせることなどなかったのではないか。
だったら、それは。
「……自分の、せいです」
ダンジョンを見つめ、皆に背を向けたまま、エリーヴァスがそうつぶやいた。
「私が至らないせいで、皆のリーダーをこのようなところで……散らせて、しまいました。申し訳ございません。私がもっと何かできていれば……」
「エリーヴァス、それは、」
「――違うのッ!!!」
重々しくそう言うエリーヴァスにセーヴが何か言おうと口を開くが、それを遮るようにインステードの鋭い声が空気を切った。
哀しみの滲んだ、否定。
地面に座ったまま顔を俯かせて、強く強くこぶしを握り締めた彼女は震える声で言う。
「わたしなの……わたしが、わたしには力があったのに!! あの時、魔王なんか振り払うべきだったのにッ!! 救われるほど、わたしは弱くなんかなかった……なのに、なのに!! わたしが、わたしがグレイズを死なせたの!!」
振り返ったエリーヴァスが目にしたのは、瞳に涙をためるインステード。初めてだ、彼女が泣きそうになる姿を見るのは。
強くて、大抵の事に無関心な彼女。それが、相当のショックを受けている証だ。
エリーヴァスが必死に追いかけて恋をするその少女が、悲しんでいる。
――おい、エリーヴァス。
「……!!」
エリーヴァスの脳裏に、声が響いたような、そんな気がした。その声は感覚的なもので、名付けることなどできないけれど。
突如脳裏に浮かぶのは、笑顔でグレイズが自分に託したこと。
――やりたいこと、お前さんにはたくさんあるだろ。
――だから行けよ、エリーヴァス。そんで、インステードさんにアタックしろよ。
そうだ。
自分達は、復讐者である。
自分の命を捨てようと、ただ一つ復讐を成し遂げるためだけに集った者達。何を置いていこうと、目的にかじりついて絶対に成し遂げる。
だからグレイズはここに自分を置いていって、エリーヴァスに自身の目的を託した。彼は決して諦めたわけでも、復讐に冷めたわけでもない。その熱い想いは、確かにここにある。
ならば、それを継ぐのは自分しかいない。
「……インステード姫」
座り込むインステードと視線を合わせるため、エリーヴァスが地面に右ひざをつく。涙を拭って、微笑んだ。
自分だって辛いけれど、今グレイズの気持ちを代弁するように皆を励ます事が出来るのは、唯一エリーヴァスのみ。
エリーヴァスの優しくも哀しい視線と、インステードの空虚の瞳が、合う。
「貴女を救ったのは、私の判断でした」
それは、間違いない。
インステードが危ないと思ったから。そして自分が一番近かったから。何より、彼女に何かあったら自分もどうにかしてしまう。
そんなとっさの判断。
力のある人間が救われる時だってある。セーヴだって、むしろたくさんの人に救われながらなんとかここまで来ていた。
「……グレイズさんが『私』を助けたのは、彼の判断です」
エリーヴァスがインステードを救ったのは、上記の理由があっての事。けれどグレイズが助けたのは、インステードではなくエリーヴァスなのである。
「これらは全て、私達の判断により行われた事の結果です。そして、貴女を救おうとしたのに自分が無様な姿を晒す事になったのは、ひとえに私が弱いからでしかありません」
もしもエリーヴァスがインステードと同じくらい強かったのなら、すぐに反応して穴から抜け出すことができただろう。
けれどいきなり出てきた生贄に反応ができず、まんまと敵の罠にはまってしまった上にグレイズを道連れにしたのは、間違いなく自分だ。
「ですので、グレイズさんの死の責任を問うのだとしたら、それらは全て私のものです。……それに、私達復讐者は、その死を決意に、信念に変える者達です。今回の事件は、更に我ら復讐者の気持ちを高めます。何故なら私達は、己の死など恐れないと誓ったからここにいるのではありませんか」
その力を、復讐に変えろと。
決意を燃やせ、信念を固めろ。
グレイズが唱え続け、セーヴが大きく提唱し、今や軍全体が掲げる信条。それを、グレイズの想いを引き継いだエリーヴァスが口にする。
その言葉に、インステードが見張った。
弱気になってしまうのは、当たり前だ。だけれど、立ち上がらなければならない。まだなすべきことが、ある限り。
「――ですから、俯かないでください。自分勝手な問題になってしまいますが……私は、貴女のそんな顔を見たくない」
微笑みを止めて、真剣な表情で。インステードの瞳を見て、静かながらも熱く訴えるように。
そんなエリーヴァスの顔を見て、ほんの少しだけ。少しだけれど、インステードの目に生気が戻ってきたような気がした。
だが、我に返ったエリーヴァスが慌てて付け足す。
「あっ、あ、えと、もちろんその、グレイズさんもそう思ってますから!」
……なんてことを冷や汗を流しながら足すあたり、彼のヘタレさはグレイズが言っても治らないものである。
しかしそれはさておき、自分なんかがグレイズの気持ちを語ってよかったのかと少し焦るエリーヴァス。
特にフレードは、エリーヴァスを許さないのではないかとさえ思った。
けれど。
「……そ、うですよね。グレイズさんは、そういう人です……! きっと、僕らがグレイズさんのために泣いていたら、頭を優しく叩かれちゃうと思います。……だから……それに……グレイズさんは生きてます」
胸に拳を当てて、フレードは力強い瞳で前を見つめた。凛とした目の光が、煌々と輝いてその場の全員を射抜く。
最もグレイズに憧れを抱く者が、立ち上がった。
最もグレイズを知る者は、今その想いを引き継いでいる。
「ぼくらの心の中に、ずっといます。ここにいます。ぼくらが覚えている限り、グレイズさんは絶対絶対絶対死んだりしません。だってあの方は、いつだってぼくらのリーダーですから……!!」
にへら、と笑う。
その動作と共に、一筋の涙が頬を流れた。『死』というものを、フレードはここ最近あまりに身近に感じ過ぎたから。
一気に、『死』が何なのかを、悟って。
誰もが覚えている限り、皆は生きているのだという信念を、獲得した。ティアーナはもちろんグレイズも、リクだって。
皆の中に生きているからこそ、復讐者は今ここにいるのではないか。
そんなフレードの言葉に、全員が新たな決意を固め――
『――皆さん!!』
あまりに切迫した聞き覚えのありすぎる声に、ハッと現実に帰らざるを得なかった。