8.その国民に、絶望を捧げます
炎の上級精霊Ⅰ『エフリート』は、自身をセーヴが想像した通りに創り上げる。器用に軍の仲間やセーヴ達を避けながら十に、百に、千に分裂を進めていく。
国として機能する場所には、必ず精霊が存在する。どの原子にも必ず精霊が在る事によって、魔術師、魔法使い(精霊師)は術を使うことができる。そしてだからこそ、原子一つ一つに宿る精霊を利用してエフリートが分裂することも可能なのだ。
やがて伯爵邸だった場所の敷地全体を埋め尽くすほどに広がると、セーヴは両手を前に掲げた。
「――我が想いのままに」
その言葉が終わるのと同時に、千も集まったエフリートが一斉に駆け出した。空気を切り裂き、地を燃やし、森林を焼き、あらゆる破壊をもたらしながら。
エフリートが一直線に街へ向かい始めると、慈善盗賊軍のメンバーもグレイズの掛け声で後を追っていった。
すぅ、とセーヴの足元にあった魔法陣が消える。空間に静寂が降りる。
「ふぅ……。さて、『月鏡』」
「面白い魔術なの」
「これで、インステードちゃんも苦労なく向こうの情景を見れるでしょ」
「……あり、がと」
セーヴが片手を差し出すと、そこに青みがかったパネルが浮かび上がる。しばらくするとそこに、エフリートの突入によって燃やされ始めた街の様子が映し出された。
インステードはほんの少し頬を背けながら、小さな小さな声で感謝の言葉を口にした。
その声はちゃんとセーヴに届いて、彼は「ふふ」と微笑み返した。
〇
「うわぁぁあ!?」
「なんだこいつら!!」
「い、家が……!」
「マイちゃん、マイちゃん!!」
「ママぁああ、あ、ぁ」
一方の伯爵邸から最も近い街――レガリアは、阿鼻叫喚の地獄絵図となり果ててしまった。
家は勿論燃え尽きて、中にいる人間も焼かれて即死。上級精霊の火を生身で受ければ、まともな戦闘訓練をしたことがない平民は跡形もなく消し飛ばされる。
幸いなのは、皆戦勝への喜びでほとんどの民が家の外に出ていた事だろうか。
いやしかし、安心していられるのもひと時。エフリート達は家を燃やし尽くすと、逃げ惑う人間達に纏わりつき始める。
もちろん彼らエフリートに触れたが最後、辿る運命は消滅以外にない。
「ギャァァァァァァ!!」
「たすっ……」
「どういう事だよ!!」
「勝ったんじゃなか」
「うわぁぁ! 兄ちゃん!! 兄ちゃ」
「来るなぁぁああ!!」
「こ、こっちだ! こっちには奴らがいない!!」
だがそれでも、穴はある。平民の中にも聡明な人間はいる。的確な脱出経路を示した男に続いて、何人かで小さな路地裏に入りこんだ。
「こ、ここに来れば……!」
「良かった、奴ら、いないぞ!」
「やっ――」
やった。そう言おうとした男の言葉が最後まで発せられることはなかった。それを訝しく思った仲間が振り返ろうとして、しかし視界に男を捉えることは叶わなかった。
何故ならその者達全員が、恐るべし速度で首を斬られたからだ。音速レベルの剣速と、一太刀だけで首を切断できる腕力と技術。
その者は――
「次の路地裏は確か……」
前衛隊長であり慈善盗賊軍をまとめるリーダー、グレイズである。彼の武器である大剣を担いだまま路地裏の位置を思い出す彼の体には、返り血の一滴もない。
グレイズは首から未だ血を噴きながら地面に倒れている男達には目もくれず、次のエフリート達の死角をカバーするために走った。
〇
「おるあぁっ!!」
「おー、避けちゃうっすかー?」
――触れると死ぬなら、触れなければいい。
それを実現した者が、平民の中にはいた。恐らく高級住宅街レガリアの最強であろう彼は、エフリート達の猛攻をぎりぎりのところで避け続けていた。
そんな彼の足掻きを、血濡れの弓を構えながら眺めるのはレン。それと弟のレイ。
「んじゃぁ、そろそろ無駄な足掻きを終わりにしてもらっていいっすかね」
「あんたたちは……俺達を救うつもりなのか、絶望させるつもりなのか、どっちなんだよ!!」
「んー、救ってから絶望させるつもりだと思うっすよ?」
「最低にもほどがある!!」
「どっちがっすか。ティアーナさんの処刑を肯定した愚か者のくせに。実情なんてまったくもって知らない人間が、噂に踊らされて歓声上げたり……アホっすか?」
男は何も言わなかった。レンは黙り込みながらエフリート達を避ける男を鼻で笑った。自分達を最低というならば、ティアーナの処刑の時はどうだ。
石を投げたり、生卵を投げたり、その他あらゆる暴言を吐いたり。どちらが最低だというのだろう。レン達はただ彼らが犯した罪の報いを受けて貰おうとしているだけだ。
少なくともレンは自分がしている事をそう認識しているし、理由はそれだけでいいと思っている。復讐に理性はいらないのだから。
レンは弓を構えた。そんな彼の背後で、弟のレイがぼそぼそと呪文を唱えている。
「呪縛」
「ぐぁっ!!」
「死ねっす」
詠唱を必要としないほど練度が高いレイの黒魔術が男を縛る。この魔術はどちらかというと呪術に近い。
身動きが取れずに真っ青な顔をする男。そんな彼へ、レンは無慈悲に弓を引いた。
「なっ、なんで、あんな大悪人なんか庇うんだよ!!」
「この期に及んでそれっすか」
「だってみんな言ってたじゃねぇか! あの女は戦争を引き起こし、たった一人の令嬢を苛め抜き、ただ一人の男を手に入れるため帝国中を混乱に陥らせた主犯だったって!」
「何も知らない人間がほざくなっす。本当のあの人の事をあんた達がどれくらい知ってるって言うっすか? 国の陰謀という名の噂にあんた達は踊らされただけっす。あの人はあんたが言った罪状のひとつにも手を付けてないっす。それなのにあんた達はあの人を大悪人と呼んで処刑に歓声を上げる……それを自分らは許せなかったっす。だから、復讐しにはるばるやってきたんっすよ」
「お、俺は、俺は関係ない!! 俺は!!」
「黙れっす」
激昂する男の心臓めがけてまっすぐ射られた矢は、的確に男の命を奪った。するとエフリート達は離れていき、まだ死んでいない人間に向かっていった。
だがレンは離れなかった。レイは武力制圧が必要な人間を探しに行ったが、レンは男の骸へと歩み寄った。
そして足を振り上げ、ゴッ、という音と共に彼の頭蓋骨を粉砕した。
骨が割れて粉々になる。脳みそがとろりと溢れる。血液が散らばる。
「どいつもこいつも、『みんな言ってた』。自分の意見もクソもないっすね。そのくせ皆に流されて賛成したはずなのに『俺は関係ない』……耳を疑うほど頭おかしいっすね」
それは、レンが自身の人生の中で悟ったもの。
幼いころから優秀な弓術で大人を圧倒し、親の期待に応えるため無理を続けてきた少年だったころの自分への侮蔑。
自分のやりたいことをしたい。自分の力でむしろ誰かを変えたい。
だからフレンドリーに接して、のんきで飄々とした態度を取って、可愛い女の子を見つけるとナンパしたりして弟や仲間に怒られた。
楽しかった。自分が曝け出したかった本当の性格と行動でいられるのが、本当に。
(フィオナのメンバーで良かったっす……。ティアーナさんに出会えて、良かったっす)
ふっ、と笑って。
レンは任務を全うするため、弓に矢をセットしながら踵を返した。
〇
前へ前へ、ただただ前へ。慈善盗賊軍は衰えない勢力、士気、戦闘力で瞬く間に辺境地を支配していった。
日が落ちる頃には、最初の街レナギアに戻ってきていた。勿論最初は民に歓声を上げさせるためで、今は侵略するためでしかないのだが。
あと一押しという状況が慈善盗賊軍のメンバーの士気を更に高め、彼らはさほど時間をかけることもなくレナギアを支配した。
目のいいリーダーのグレイズは、レナギアにある辺境地へ通ずる門の先に自分らのテントがあるのが見える。
そして司令塔となるテントに、『フィオナ』の旗が刺さっているのが視界に入る。
(セーヴさん……! 辺境、征服でさぁ!)
何となく嬉しくて口角が上がったグレイズは、剣を高く上げて、今は元伯爵邸敷地近くにいる少年に向かって想いを叫んだ。
〇
辺境地マグンナ。
その支配は一瞬にして行われた。たった一日で、マグンナの市民は殺し尽くされ、炎に包まれた。
だがただの荒れ果てた土地に姿を変えるわけではなく、全ての殺戮が終わった後非常に早く鎮火が行われた。
――そうして、『最初の拠点』辺境地マグンナは生まれ変わる。