62.不穏と誇りは交差す
一方、アリスとレイナは空き地で訓練をしていた。先ほどまで兵士たちが訓練をしていた地だが、彼らには休息を命じている。
部屋に戻ったり街を楽しむ彼らは、この空き地に来ることはない。
兵士達は二人を邪魔しないように。アリスとレイナは集中して訓練をするために。
「……でも、二人とも遅いですね……」
「アリスもそう思うのです……」
激しい立ち回りを続けていた二人は、ふと、どこからともなく戦闘態勢を解いた。その顔に浮かぶのは不安だ。
既に日は落ちていて、夕日が綺麗だと感じる頃。
さすがに兵士達もセーヴらの行方を気にしていて、少し前街に戻ってみたらその瞬間に「指揮官殿下がたは大丈夫なんですか? 心配です」と声をかけられたのをレイナは思い出す。
「今、きっと兵士の方々も凄く心配されているでしょう……いつもの皆さんならもう戻ってきていておかしくないのですが……」
「もしかして何かあったですか?」
「ですが今のところ通信も来ていませんし……どうなので――ッアリス!」
「ひゃ!」
心配そうに夕日を見上げるレイナだが、背中に鋭い殺気を感じてアリスを抱き締め勢い良く飛びのいた。地面を転がるが、そんなものを気にしてはいられない。
アリスは気付かなかったようで、先ほどまで自分がいた地面が黒い何かにえぐられているのを見て、レイナの腕の中で「ひぇッ」と短い悲鳴を上げた。
レイナは即座に立ち上がり、周囲への警戒を最大限引き上げる。
「敵がこちらまで来たということですか……! 確かに、手薄な今は狙い目と思われて然るべきですね……!」
「だっ、誰ですか……!?」
アリスは思わずつぶやいてしまうが、勿論相手が姿を見せるはずもない。その間もあらゆる方角から攻撃が連打されるが、どれもレイナに捌かれる。
しかし訓練の疲れに加え、アリスを守りながらの体勢なので、その力を十足に引き出すことはできないでいた。
だが、何度かその連撃が続いた後、相手が諦めたようで姿を見せる。
「これは……正面攻撃しか……手がないようだねェ……」
深くかぶられた黒いフード。そのせいで顔は分からないが、見た目はかなり小柄だ。声は中性的だが見た目も相まって恐らく若い。左手はポケットに突っ込まれており、右手は肩に大きな鎌を構えている。
その鎌からは黒い靄が出ていて、なおさらその者の姿を認識するのが難しい。
見た目だけで判断するのはいかがなものかと思うが、現状それ以上の情報があるわけでもないのだ。
「あ、貴方は……」
「ぅん? おやおやァ……人々はもう『剣神』の事しか……頭にないのかねェ……」
「け、『剣神』……スメラギ……ということは、四大剣聖……ですか!?」
「当たり前でしョ……? 人はボクの事……『死神』のカゲロウだとか……言ってたかなァ……?」
唯一見えている口が「にぃ」と不気味なほどに吊り上がった笑みを形作る。その言葉で、レイナもアリスもその者が何者なのか悟った。
四大剣聖の一人にしてもっとも有名な人物、『剣神』スメラギと同等な存在。つまりもう一人の四大剣聖。その名乗りを信じるならば、『死神』のカゲロウ。
インステード一人ではリーダーであるスメラギに勝利する確率が低い。
そしてレイナがインステードに勝利する確率はもちろんゼロだ。
しかし、四大剣聖はその誰もがスメラギに追随する実力を持っている。
――レイナがこの場を切り抜けられる確率は、限りなくゼロに等しかった。
(ここで兵士の方々に来られたらさらに大惨事です……! 身を挺してでも守らねば……!)
それでも、レイナもアリスも戦士なのだ。命を落とす覚悟などとっくにできている。アリスはめげずカゲロウの解析を続けているし、レイナはぐっと腰を落として戦闘態勢に入っていた。
「頑張ってるところ……悪いんだけどさァ……ボク、まともに戦う気……ないからねェ……?」
「何を……ッ!?」
「お母さん! 何かの力の気配なのです! 大魔術レベルなのですッ!」
「アリスッ……!」
――幻無の覚
ふ、と。
たった一瞬だけ、目の前が黒に染まった。目の前だけではない、三百六十度が闇に染まっている。
抱き締めたはずのアリスの姿は、何故かここになかった。
大魔術という言葉に備えて身体強化や防御魔術を展開したが、こういった直接的な攻撃ではない魔術への対策はしていない。
そもそもレイナは、この手の魔術を真正面から食らったことなどなかった。
メンバーの中で経験が浅い方に分類されるのもその一因だ。
「……!」
そして瞬きの一瞬で、辺りを覆っていた黒は完全に消え去る。目に差し込む太陽の光に思わず目を閉じそうになるが、我慢だ。
慌ててカゲロウの方を見て――気づく。
「あ、アリス!」
カゲロウの手に、アリスが抱えられていた。
慌てて近づこうとするも、いつの間にか巨大化した鎌が首すれすれの位置で止められている。これ以上動けば、首が飛ぶ。
アリスは間違いなく一般兵より強い。そのうえ、相手の能力を知りながら戦う事が出来るため、精鋭メンバーに分類されておかしくはない実力だ。
ただ、相手が悪かっただけである。
『四大剣聖』が相手である事で、能力を正確に読み取れなかった事。単純に人手が少なかったこと。そして、初見の相手である上に訓練の後で疲れたタイミングであった事。
挙げれば、キリがない。
「アリスを離しなさい!!」
しかしだからと言って、母であるレイナが「はいそうですか」と引き下がる理由にはならない。
自分の首などどうでもいいと言うように、防御と強化を何重にもかけて前に進む。鎌は、重かった。そう簡単にはどけられないし、そろそろ本当に首が斬れそうだ。
「はぁッ!」
「……残念だねェ……」
ならばと腕を全力強化して短剣を投擲するが、剣は虚空を切った。何故なら短剣がカゲロウに当たる前に、その姿はふっと消え去ってしまったのだから。
もちろん、アリスを抱えたまま。
体を抑える鎌もなくなったので、レイナはアリスが消えたところに走り寄る。しかし当然、何も残されていない。
「こうなったら……!」
自分で乗り込むしかないのか。
半分理性を焼き尽くされているレイナには、冷静な選択ができなかった。
「――ちょっと、レイナちゃん!」
「!? あっ……」
と、背後から声がかけられる。
振り返ると、レッタ元男爵がそこに居た。普段は辺境地マグンナの最も出口に近い、辺境街レナギアにいる彼だが、今日は兵士の鍛錬の為にも辺境街レガリアまで来ていたのだ。
どうやら一部始終を大抵把握しているらしく、額には汗がにじんでいて、全速力で走ってきたのか肩で息をしている。
「全力で走ったのだけれど……間に合わなかったわね……ごめんなさい……っ!」
「……いいえ、大丈夫です……。すべては私のミスで、娘を……」
「どう見ても相手とタイミングが悪いわッ! 相手はむしろ貴方が単身で突っ込むのを狙ってるに決まってるじゃない! 今一人で闇雲に突っ込むのは危険だわ! 疑われてる身分で何言ってんだと言われるかもしれないけれど……アタシの意見も、心に留めてくれると嬉しいのよ」
眉尻を下げて必死に進言してくるレッタ。彼は自分の危うい身分を自覚しながら、それでも真剣にレイナを説得してくれている。
いつものような間延びした話し方も腰をくねらせたりふざけたりもしていない。本気で、レイナを止めようとしているのだ。
それに、彼の言い分は正しい。セーヴ達の帰還を待たず一人で突っ込んでいけば、もちろん待ち受けるものは死だろう。
冷静に考えると少しだけ、気持ちが落ち着いたような気がする。
しかしアリスの安否が分からない以上、ただ待つことなんて。それも彼女が連れ去られてしまったのは、レイナがあまりにも無力だったからだというのに。
もっと、もっと何かできたら。
セーヴ達が窮地に陥っている頃、辺境地マグンナでもまた不穏な空気が流れるのだった。
〇
妖艶に笑ったクラヤミは、しばし考えてインステードを指さした。
「あら、貴女も分からなかったのかしら~? さいごまで彼らと共にいたのは貴女でしょう~? 滑稽なほどに無様ね~、あの時も、貴女が無力だったからあんな場所に叩き込まれたのよ~?」
「な……!!」
くすくすと声を鳴らしながら、愉悦の表情を隠さずインステードを見下すクラヤミ。その話題は、明らかにインステードに対する侮辱だ。
インステードはもちろん怒気を露にするが、彼女の言う通りである。
もしもインステードが魔王に取りつかれていなかったら。それにもしそうであれば、ティアーナを救う事だって容易かった。
確かにその力があるのに、滑稽な姿を見せたのは紛れもなく自分だ。
グレイズとエリーヴァスを危機に陥らせたのも――全部。
「助けられたものを救わないでおいて、今更ナカマと仲良しこよし~? 意味が分からないにもほどがあるわね~。いつまで自分に夢を見ているの~?」
「っ」
「貴女が魔王を完全に倒せなかった。貴女が公爵令嬢を守れなかった。貴女が仲間を危険にさらした。それなのにのこのこと生きて仲間とキズナなんて語りながら高潔な目標だとか言って復讐する? 全く意味が分からないわねぇ?」
――貴女の全てが、不完全で無意味でしかなかったというのに。
クラヤミの放ったその一言が、確実にインステードの琴線に触れた。確かに、自分の数々のミスが大惨事を引き起こしているのかもしれない。
だけれどそれでもしがみついて、這いつくばって、頑張って、耐えて、くじけても倒れずに支え合ってきたのだ。
その仲間との絆を。今までの自分の人生を。
どうして、皇帝の傀儡などに否定されねばならないのか。
「不完全……? 誰の事を言っているの……? あんただって所詮、皇帝信仰と後付けでくっつけられた力で成り立ってる、仮初の英雄なの……! えぇ、そうかもしれないの、あたしは罪人なの! あたしは全部を引き起こした元凶なの! だとしても!!」
インステードは、高らかに叫ぶ。
「あたし達の積み上げてきた全部を、否定なんかさせない……!!」
抗って、苛まれて、傷ついて、傷つけられて、それでも同一の目標を目指して全てを捨て捧げここまで上り詰めたのだ。
『復讐』という糸でつながれた絆、だから何だというのか。
インステード達の積み上げてきた『時間』は、クラヤミの一言で切り捨てられるものなんかじゃないのだ。
それに。
「それに……!! 盲目的に皇帝に追随しとうの昔に『自分』を失い、その全てを悪魔にささげたあんた達に……、――わたしの人生を否定される資格なんて、ないの!!」
壮絶で強い、声。
だって、インステードもセーヴもみんなみんな、『生きて』いる。何かのために、熱意をもって、その命を絶えず消費している。
それが『復讐』というものだからって何だと言うのか。
それを、洗脳と信仰と禁忌の力を刻まれて、『邪』に成り果ててしまった彼らに否定される筋合いなど、全くない。
そんなインステードの背中を、他でもないセーヴが、押した。
「あぁ、僕もその通りだと思うよ。確かに、復讐という行いは客観的に見て否定されても仕方ないと思う。だけれど、皇帝に自我を奪われ、偽りの信仰でそこに居る貴方達に、何故僕の仲間が人生を否定されなければならない?」
見ていれば、分かる。
狂おしいほどの皇帝信仰。盲目的な従順さ。善悪も分別しないままただ皇帝に従い、誰も見えぬところで悪辣非道を尽くし、皇帝の私利私欲のため奔走しまくっていたのが、彼らなのだ。
最初に復讐をした『呪術伯爵』そしてオーギルやウィンナイトたちを見ていれば、おのずと知ることだろう。
ましてや四大剣聖である彼らなのだ。
「それに、全部インステードちゃん一人の責任にするのはゲスの極みにもほどがあるんじゃないかな。魔王も、君達がそんなに強くありながら何故インステードちゃん一人にすべてを丸投げしたの? それとティアーナのことだけれど、助けられなかったのはインステードちゃんだけじゃない。助けたかったのもインステードちゃんだけじゃない。僕らだ。僕ら全員が救えなかったんだ。だから全員で罪を背負って、全員でその無念を晴らす。命を散らそうと必ずこの帝国だけは滅ぼすと、そう誓ったんだ」
セーヴが語るのは、ゆるぎない信念。
善悪も分別がつかない皇帝を信じる彼らとは違う。ティアーナがあまりにも善だったから、その無念を晴らすため悪を選んだ戦士としての、信念。
両親を殺して。仲間同士のいがみ合いを乗り越えて。揺らいでしまう己の心を叱咤して。人より心の弱いセーヴが、ようやくたどり着いた場所。
「――君達の人生を否定するつもりはない。僕らはただ僕たちの目的を達成するためだけにここにいる。それが気に食わないなら叩き潰せばいい、それだけの事だ。でも同時に、僕らの人生も否定させない。それを絶対に、知らしめて見せる」
泥水をすすってでも。刺し違えてでも。あの皇帝は、この帝国だけは。
迸る熱烈な殺意を届けられたクラヤミは、真顔だった。初めて、その笑みを崩してただの虚無と成り果てた。
それぞれには、それぞれの意見があるに決まっている。
しかし、いつだって必ずひとつの意見は『君臨』するのだ。それが嫌ならば、もっと大きな勢力でもってその意見を叩き伏せればいい。
セーヴが言っているのはそう言うことで、つまりは宣戦布告でもあるのだ。
「……なるほど。その宣戦布告、確かに頂戴したわ~?」
笑みが消えたのも一瞬。クラヤミは再度その姿を消した。恐らく、今度こそ帝国に帰ったのだろう。これ以上ここに居座る意味があるとしたら、グレイズとエリーヴァスか。
クラヤミが消えた場所を、黙って睨むセーヴ。
そんな彼を、インステードが見上げていることには気づかない。その顔が、わずかに赤みを帯びていることも。
(守られる方から、守る方へ。また、格好良くなったのね……)
そんな二人を見ながら、システィナは場違いと承知でいながらも抑えきれない自分の感情を悟り、肩をすくめるのだった。
そして。
辺境地マグンナ。
王都ダンジョン。
二つの地で起こる不穏な事件の時間が――交差する。
『――皆さん!!』
二人の叫びをまとめると「あなた達を否定するつもりはありませんが、同時に私達を否定するなら私達を倒してからにして」ということです。




