61.奮闘す
「「うわぁああ~~~~ッ!!」」
宙に放り出されたエリーヴァスとグレイズは、さすがに叫び声を上げてしまう。とめどない浮遊感。一体いつまで落下が続くのだろう。
それに、この穴は一体どこまで続いているのか。その先には、何があるのか。
「ぐ、グレイズさん……!」
「おうっ!」
何も分からない以上、警戒を解くわけにはいかない。
二人は何とか手を繋いで、風魔術を使用して着地態勢を整える。上から何らかの圧力をかけられていて、魔術で上に飛ぶことは恐らく無理だ。
それに空いた穴はすぐに閉じられており、今はもう落ちすぎて周囲が全く見えない。
どちらが穴のあった方向かもわからないし、恐らくどんな魔術を打ってももう届かないだろう。
「くっ、落ちた瞬間に反応すれば……!」
「それも恐らく無理ですぜッ。何か人間らしきものがッ……! わらわら出てきやがったからな……! たった一瞬であの数には勝てんよ……!!」
「そう、っですね……! グレイズさん、地面が!」
「了解ッ!」
エリーヴァスが地面らしきものを目に留め、グレイズと共に着地の受け身を取る。最も刺激の少ない方法で、地に足を付ける。
膝を曲げて体勢を低くした二人は、まず周囲の安全を確認した。
相変わらず周りは闇だが、魔術を使って照らす。どうやらここは四角い部屋のようだ。全てが黒で塗装された、何もないただの空間。
「こ、ここは……、――ッ!?」
「魔力の波動……!? エリーヴァス、下がれ!」
言うか早いか、グレイズはエリーヴァスの服襟を掴んで勢いよく後ろに下がった。強い魔力が迸るのを二人とも感じたのだ。
すぐにグレイズは前衛、エリーヴァスが後衛の戦闘態勢を整える。
確かに何らかの力を感じるが、魔術陣などの作動は感じられない。だが、地面から何とも言えない不気味な気配を感じるのだ。
「何となく……先ほどの生贄達の出現に似たようなものを感じます。少し遠かったので完全な感知はできていませんが……」
「いいや、前衛にいたが、俺も同じような感覚だったさ。恐らくそれは正しい……だとしたら、生贄の量は尋常じゃあねぇなぁ」
「「ぐっ!」」
目を劈くような荒々しい風が吹き荒れた。思わず防御魔術を組み立てた後、腕で目を覆ってしまう。風が収まると、二人は前方を見据え――
大量の禍々しく強制的に強化されたような、目が煌々と紅く輝く魔物の軍隊を、目にした。
明らかな殺意、敵意、プレッシャー。もちろん身分が身分なので、そう言った感情を向けられたことがないわけではない。
しかし、これは違うのだ。
あまりにも造られた無機質な殺意で、深淵の闇を引きずり出したかのような威圧感を出している。
それがどれだけ不気味で気持ち悪い感覚を催すのか、言葉でも表しがたい。
「……だが、戦う以外に道はねぇなあ!」
「掩護します!」
「おう、頼んだぜッ!」
正直、魔物が群がりすぎて一体どれだけの数があるのか正確には分からない。これ以上出てこないという確証もあるはずがなかった。
しかし、逃げることなどできるはずもないのだ。
ティアーナに、この胸には誇りが輝いているのだと、導かれて。
ティアーナに、一歩を踏み込めぬ心配性を、正されて。
だから二人はここに立っている。確固たる誇りを、どこまでも突き進む一本の剣を、心に持って。
だから。
〇
「はぁぁあッ!!」
グレイズとエリーヴァスが消えた穴のあった、今は閉ざされし地面。そこにもう一度穴を空けるため、インステードが絶えず強力な魔術を打ち出しているのだ。
車いすは既に破壊されていて、地面にへたり込みながら必死に。普段のインステードとは違い、今の彼女は完全に余裕を失っていた。
そんなインステードを、セーヴとシスティナが護衛をしている。
もしも彼女がもう一度穴を空ける事が出来たら、それはむしろ良いことだ。それに、そろそろ生贄達も全滅しつつあった。
「う~~~ん、無駄だと思うわ~。だって空間を捻じ曲げて出来上がった場所なのだもの~、あたくしの魔術陣も理解できない人間が、ただひたすら魔術を打ったってたどり着けないわ~? 例えそれが、どんな魔術でも……」
――権限使用 『十二時の警鐘が喚ぶ』
「待てっす!!」
にこりと笑みを深めたクラヤミが、剣をわざとらしくくるくる回してその姿を消す。ご丁寧に、ガラスに見立てた残光まで残されていた。
彼女が消える寸前、レンが矢を、ランスロットが魔術を放っていたが、間一髪で間に合わなかったようだ。魔術は霧散し、矢は残光を切って空虚に線を描き、ダンジョンの壁に刺さった。
「――全員下がって!」
それと同時に、セーヴから声がかけられる。どうやら大魔術の詠唱が終わったようで、全員がずざっと後ろに下がる。
「『原初神』」
――黒が、吹き荒れる。
全てを無に消す黒が生贄達を呑み尽くし、喰らい、吸収されて霧散した。セーヴが神に授けられた、いわゆる「チート」の発動である。
その発動の上で必要なのは、詠唱とコントロール力。
仲間の援護が十分にあるか、敵がかなり油断しているか雰囲気に呑まれているか。どちらであろうとも、セーヴが詠唱を完成させる時間の確保が要る。
今回は、システィナやレイの援護が詠唱に十分だった、ということだ。
しかし生贄達がすべて消えると、今度は別の変化が生まれる。
――権限使用 ダンジョン攻略 『終着点はご飯の時間』
「しまった、全員――」
何らかの力の発動を感じたセーヴが、すぐさま全員の退避を命じる。しかし、この部屋全体で発動される何かなのだから、どこへ退避しようと意味はない。
それを見せつけるかのように、部屋全体に真っ白な閃光が満ちた。もちろん全員が反射的に防御魔術を展開するが、この力の波動に攻撃的なものは見られない。
では一体何なんだ、と。
その疑問が解決するより先に、光が完全に消え――
「戻、って、る……?」
目を開ければ、そこはダンジョンに入った入り口の前だった。ついでに入り口は既に結界で閉ざされており、やはりその陣は改造されているため下手に触れることができない状態だ。
あまりにも濃い戦闘だった。
グレイズとエリーヴァスの無事も分からないし、クラヤミについても色々と物申したい。
しかし何よりも。
「これ以上の帰還が遅れたら、やっぱりみんな怪しむんじゃないかしら……」
「いいや、どうやら帝国の図書館に行っていると説明してくれるみたいだし、敵陣にハマったと言えば別に嘘でもないでしょ? 皆を不安にさせないために黙っていたけれど……それが上手く行かなかったかな……」
システィナの疑問に、セーヴが肩をすくめる。予想以上に時間が経ってしまっているようで、太陽はもう沈みかかっていた。
主要メンバーがこうも長い間外出すれば、さすがに勘ぐる者も出るだろう。
勘ぐると言っても、軍隊とはかなりの付き合いだ。きっとセーヴ達にしかできないことをやっているのだ、と思ってくれる者達ばかりだということは知っている。
今回は少し、皆を不安にさせないための策が裏目に出た形だが、これもひとつの経験だ。
「……でも……グレイズとエリーヴァスたちは……どうなってるの……?」
地面にへたり込んだまま力なくつぶやかれたインステードの言葉に、一瞬場がしぃんと静まる。
いっそ何かが返って来るのも顧みずに結界を破壊して救出するか。しかし、インステードの大魔術でどうにもできなかったものを、いかに救うというのだろう。
それに、グレイズとエリーヴァスだって弱くはない。
彼らが内側から出ることもできないということは、その空間はクラヤミの言う通り『捻じ曲げて』できたイレギュラーなものである。
クラヤミの陣を読み解き、なおかつそれを改変できねば辿り着けないということだ。
「何とか助けに行きたいけど……そういえばインステードちゃんは、『魔女』について何か知らないの?」
「ううん。四大剣聖において、あたしがちゃんと接したことがあるのは……スメラギだけなの……。特に、他の三人はその全てが基本秘匿されてるの……。まさか魔王を……」
「確かに、魔王を召喚しようとするなんて常人に出来ることじゃない。何かの力を借りているのか、はたまたクラヤミ自体が強いのか」
「後者は、無いと思うの……。そこまで規格外に強い人間は……消されるから……」
「……そっか。そうだね」
力のないインステードの声に、セーヴが眉尻を下げて応じる。きっと彼女は、自分を責めているはずだ。
しかし二人の無事が確実に分からない今、セーヴが下手に彼女を慰めることはできない。
良いように主要メンバーを翻弄して見せた、たった一人の女。それが、グレイズとエリーヴァスに何をするのか分かったものではないからだ。
二人の勝利を、今は確信できなかった。
「……か」
「え?」
「自分達は、待ってることしかできないんっすか……!? もっと何か、できないんっすか……!?」
「そうです!! 僕だって、僕だって何かしたかった……!!」
「――何もできないわよ~?」
長い間を共にしてきた仲間の無事が分からないと来て、レンがいつもの余裕さを失いながら叫ぶ。そんな兄を、焦りながら弟のレイがなだめていた。
一方レンよりも取り乱し、今にも無謀に結界へ突撃しそうなフレードは、何とかシスティナが引き止めている。
『慈善盗賊軍』とは関係がないランスロットも、関係ないからこそ黙ってはいるが沈痛な面持ちだ。
そんな一触即発の空間の中、全ての原因である『彼女』の声が鳴り響いた。
「ッ!」
その声がする方へ攻撃しようとして、セーヴは気づく。
彼女がいる場所は、結界の中だ。
攻撃して、何が起こるかもわからぬ複雑怪奇な陣が刻まれた、その結界の内側に彼女はいる。
「……ふふ、だって、生贄のないあたくし一人ではあなた方全員を相手にして、勝てる気がしないもの~。それとその陣、攻撃が反転する仕様なの~。むやみに大魔術を放たない方がいいわよ~?」
くすくすからから、と面白おかしく笑うクラヤミ。心底嫌気しか差さないが、下手に攻撃しなくてよかったとも思った。
恐らく上空の結界にも同じような効果が施されていたに違いない。
しかし、攻撃ができない程度の事が、彼女をスルーできる材料になり得るはずもなかった。
「グレイズさんとエリーヴァスはどうなってるんだ……!?」
こちらから手が出せないように、恐らく向こうから攻撃を放つこともできないだろう。
ならばひとまず聞くべきは、最も気になっていることだ。
「ふふ……」
それを受けて、クラヤミは妖艶に笑った。




