59.ピンチに直面す
地面から、壁から、紫の物体が置かれた周り以外の全ての箇所から、無限と思えるほど打ち出される魔力の塊。
もちろん無限ということはなく、何分かしてそれはようやく止まった。
ガコン、と音がして空いた穴が塞がり、ただの床と壁に戻る。
「「「ふぅ……」」」
確かに全員が無傷だが、消耗が全く無いわけではない。後方担当、強化や治癒を受け持つエリーヴァスも攻撃に回っているからというのもひとつだ。
しかし、彼はこれからも攻撃担当として後衛に回らねばならない。
それほどに、これは警戒すべき状況である。
「はぁ……ふう。次はなんだ……? これで終わるわけないよね」
「これは進んだ方が良い感じですかい?」
「……確かに、ここでまとまっているだけでは何も解決しないけれど……」
「それじゃあ、隠密の私が少し先に進もうかしら?」
ピリピリするメンバー。打開策を申し出たのはグレイズである。危険ではあるが、それ以外にセーヴ達が何かをする術もまたなかった。
だったら自分の出番、と手を挙げたのはシスティナだ。
元公爵令嬢でありながら、その胆力は大したものである。少し目を見張ったセーヴだが、確かに隠密体勢で行った方が安全なようには思う。
では、と思ったが、「ちょっと待ってくだせぇ」と制止したのはグレイズ。
「嬢ちゃん、一人で行くのは危険ですぜ。俺が護衛をさせていただきやす」
「あっ、私も行きます。サポート致しますので」
「これって一人で行った方がいいんじゃないかしら……?」
「うーん、いや、周りの保護は大事だよ。隠密体勢だと不意打ちへの対応が遅れるかもしれないから……三人で、お願いできるかな」
「「「了解!」」」
斧を肩に担いでニカッと笑うグレイズ。そして後ろから駆けてくるエリーヴァス。どちらもシスティナに必要であるとセーヴは分析する。
そもそも、何が出てもおかしくないところで単独行動をするのは、ちょっとどうなのかと思っていたのも相まっていた。二人の判断は非常に良いとセーヴは思う。
さすがは長年『慈善盗賊団』のリーダーを務め続けたグレイズ。そして参謀、宰相的立ち位置で頭をフル回転させていたエリーヴァスである。
「それじゃあ僕たちは警戒していよう」
「了解なの」
「それじゃあ行くわ」
「おうよ!」
「了解です」
その場に立ったままセーヴが後方陣営となった者達に指示を言い渡す。
システィナは己の言葉を言いながら、既に魔術の構築を終えて隠密状態になる。グレイズは鋭い感覚で索敵、エリーヴァスはその索敵能力とシスティナの全ステータスを一定時間強化した。
そうしてシスティナが一歩足を踏み込んだ瞬間。
「ッ嬢ちゃん!!」
グレイズがシスティナを抱えエリーヴァスと共に勢いよく後ろに下がったのと、紫の物体から勢いよく禍々しい靄が吹いたのは同時だった。
姿が消えているはずなのにシスティナを捉えられたのは、エリーヴァスの強化のおかげだ。
(と、透明化まで使わなくてよかったわ……)
最近訓練しているとはいえ、元はただの公爵令嬢。戦いに身を置いてきたグレイズらと比べて、反応が遅れるのも仕方ない。
しかしシスティナは、そんなことを言い訳にするつもりはなかった。
一方紫の靄は瞬く間に室内に充満する。何か魔術を放ってみたが飲み込まれてしまう。なので仕方なく、全員が盾を展開。
すると、視界は完全に靄で何も見えないというのに、確かに『それ』は視界に映った。
靄の発生源に、大きな魔術陣が刻まれている。空中に魔術陣が浮かべられているという、異質な光景だ。
「何なの……?」
「あ、あれだよ! 僕が見た、見たことのない紋章が入ってる。やっぱりこの陣に刻まれてる紋章も良く分からないものが混じってるし……」
「ベースは転移魔術陣ですかねえ? ってことは、誰か出てくるんじゃないですかい?」
「そう考えた方がいいね。みんな、戦闘態勢を!」
「「「了解!」」」
変化は、すぐに現れた。
紫の、複雑怪奇な紋章が刻まれた魔術陣が一層煌めくと、そこからずずず、と何かが這い出てくる。
最初は、茶髪らしきもの。
そして黒装束が見え、次いで箒。人間だ。しかしその者より先に地に降り立ったのは、煌々と目を光らせる黒猫。その時点で、大抵それが誰なのか一部の人間は察せた。
「「『魔女』クラヤミ……!」」
セーヴとインステードの声である。
その言葉が終るとともに、その者が地面に降り立った。すぅ、と魔術陣が閉じられる。
派手にウェーブした茶髪。黒装束と箒。肩には黒猫。緑の吊り上がった瞳には、人を魅惑するような色。一人より何倍も発育の良い体つきと抜群のスタイル。何より全身から溢れる強者の威圧感。
妖艶に微笑む彼女が、靄を自在に操りながら、ごく自然にその場に立った。
全員の脳が、一斉に警鐘を鳴らす。
(は……!)
そこでセーヴがやっと我に返る。
誰もがその雰囲気に呑まれてしまったのだ。この靄も脳へ影響を与えているのかもしれない。セーヴがリムリズ子爵邸へ行ったとき、洗脳されかけたように。
「あらあら~。みんなまだ全然余力があるのねぇ~。元気で結構だわぁ~。元気な子供達は好きだもの~。それに、あたくしの事、まだ覚えていてくれたのもすっごく嬉しいのよ~?」
くすくす、と口元に手のひらを当てながら上品に笑う『魔女』クラヤミ。間違いなく『四大剣聖』の一人である。
セーヴが帝国に伝染病を流行らせた時、民が投降するのをせき止めるための演説をしたのが、彼女。かなり熱い演説の力によって、民は一人も辺境地マグンナには来なかった。
その圧倒的な手腕。そしてセーヴ達精鋭メンバーを目の前にしながら、全く動じていない余裕さ。
正直言って、不気味である。
「……」
セーヴが黙って剣を構えると、全員がそれぞれの武器を構えて戦闘態勢を取る。クラヤミと喋っているような暇はない。
話している間も、何かの準備が進められている可能性は大いにあるのだから。
ピリピリと殺気立つセーヴ達を見て、クラヤミは眉尻を下げて肩をすくめた。
「あら~、怖いわね~。魔王サマを封じた少女、そして帝国に革命をもたらす復讐者。それに連なる人間達。熱い物語だわ~。でもね、ひとつ、勘違いしないで欲しいのよ~」
クラヤミが穏やかな表情で杖を一振り。瞬間、紫の靄がすべて消え失せた。例の物体も、既に消失している。
恐らくクラヤミを転移させる媒体となったのだろう。
いいや、そんなことはどうでもいい。
それよりも、膨大に膨れ上がった彼女の存在感と威圧感が問題なのだ。スメラギがインステードと互角以上に戦えていたように、クラヤミも同等あるいはそれ以上の力を持っていると仮定した方がいい。
全員でかかって負けるとは思わないが、何せここは相手の陣地だ。
「『完全体』っていうのはね……たかが信仰じゃあ、完成しないのよ~?」
くすくすと笑う。先ほどと同じ笑い方であるはずなのに、その奥に秘めた狂気はそこが知れない。腹に力を入れていないとすぐに飲み込まれてしまいそうだ。
彼女の杖が、真っ直ぐ指したのは――インステードであった。
「ッ!」
インステードが瞬時にあらゆる防御魔術を展開し、グレイズとエリーヴァスがその前に立って彼女の守護をする。
脊髄反射レベルの動きに笑みを深めたクラヤミだが、その余裕は欠片も揺るがない。
その杖先が発光を始め、魔術陣を展開――
「『水刃』」
セーヴが放った無数の水の刃によって、展開途中の魔術陣が破壊された。人数がこんなに多いのだ、クラヤミのいかなる行動も妨害できぬはずがない。
しかしそれでも、クラヤミは眉一つ動かさず、泰然自若と杖を構えたまま。
(一体、何をするつもりだ……?)
今までの全ての判断が少しずつ遅かったのかもしれない、と内心で舌打ちをしながら、セーヴは最大限の警戒をしながらクラヤミを見据えた。




