53.最終決戦、対決す
それは静かでありながら、しっかりと戦場全体に伝わった。
首を斬るために振り上げられた剣が空を切る音。首に剣が入っていき、ウィンナイト・リカリアナの喚く声が途切れ、そして地面に首が落ちことんと音が響き――鮮血が、舞う。
血が噴き出す。溢れる。誰も動かない。
誰もが惨状に目を見張り、しかし目を逸らす事が出来なかった。容赦のかけらもなく侯爵を二人処刑させたセーヴはにやりと口角を釣り上げた後、勢い良く鞘から剣を抜き放つ。
「――ゆけ、我らが勇敢なる戦士達よ!」
それが、戦争の始まる合図となった。
多くの言葉はいらない。セーヴのただ一言だけで、限界まで士気の上がった味方兵士達は全身から闘気を立ち上らせながら勢いよく進軍した。
その後を追い越すスピードでランスロットとグレイズが高台から飛び降り追随する。
高台に残されたのはセーヴとインステードと――
「あらぁん、刺激が強いシーンだわぁ」
「レッタ男爵……」
「もう男爵じゃないわよぅ」
「……では、スティーダス・レッタさん」
そう、レッタ男爵もといスティーダス・レッタの姿がそこにあった。彼の持つ二千の兵も一応この戦争に組み込まれているのだ。
レッタの私兵はどのような状況に置かれようとも連携をとる教育を重点的に置いているようで、その戦いぶりは決して悪くない。
肩までの少し跳ねた髪を揺らしながら、彼は満面の笑みで近づいてくる。
「それでぇ、この生首ちゃん達はアタシが処理しちゃえばいいのかしらん?」
「そうしてもらえると助かる……」
「やーだー、そんな警戒しないで欲しいわ。誠心誠意尽くしてるのにぃ~」
「キモいの。」
「ぴえ~~~ん! 泣いちゃうわ! 女の子にキモイだなんていわれちゃったらアタシ……アタシっ……!」
「……相変わらずのテンションだね……」
死体の処理に名乗り出てくれたことは感謝するが、このついていけないハイテンションは苦笑いせざるを得ない。
インステードに至ってはレッタに冷たい目を向けている。
しかしレッタはレッタで腰をくねくねさせながら泣き真似をしているものの、まったく気にしている様子はない。
そんなところも不気味ではあるのだが、彼の存在が助かっているのは事実である。
なので、下手な扱いをするわけにもいかない。
「それじゃあ、生首ちゃん処理しちゃうわねん。お二人は戦場で暴れにお行きなさいな」
「ありがとう。……レッタさんは、戦わないの?」
「あいにく戦うのはあんまり得意じゃないのよぉ~。戦えないわけじゃないけど、後処理担当が合ってるのよねん」
「そっか。それじゃあ」
「……セーヴ、早く行くの」
「あ、うん、ごめんねインステードちゃん」
レッタに小さく会釈をしてから、セーヴは一足先に高台を飛び降りたインステードの後を追い、二人で戦場を駆け抜けていった。
そんな二人の背中が完全に乱戦に巻き込まれるまで、レッタは手を振り続ける。
〇
一方リクがどうなったか。
セーヴが剣を抜いて進軍を命じた瞬間、戦場の最前線にいたフレードが動いたのである。
「……生きて帰れたら、無罪だって」
リクが最後に聞いたのは、フレードのその一言だったに違いない。いつもは明るく濁りのない太陽然とした笑みを放つ彼だったが、その声はひどく暗く沈んでいた。
年齢の近い二人は、それなりに仲が良かったのだ。
けれど、フレードはリクの背中を全力で押した。戸惑い怒りどよめく敵軍の渦中に、一人の少年を押し込んだのだ。
フレードならば、満身創痍になりながらでもその場を切り抜けることはできたかもしれない。
けれどリクにはできない。所詮一般兵より少し強い程度なのだ、三百六十度敵軍しかいない環境で生き残れるほど、彼の実力は高くなかった。
「待って、おねが、うわぁあああ!!」
必死の抵抗も意味を成さず、彼の姿はすぐに敵軍の中に埋もれ。そして味方軍と敵軍が強くぶつかり合う中、フレードもリクを探している場合ではなかった。
それに、味方ですらも切り捨てる『勇気』。それこそが、セーヴの言った、そして後々絶対に必要になる『覚悟』だ。実力は申し分ないけれど、フレードが年上の方々に比べて足りないのはそこである。
だから、振り返ることはできない。進め。
〇
リクは絶望に蝕まれながらも、ただ抗うことしかできなかった。剣を振って前の敵を倒せば、後ろから背中に一太刀入れられて血が舞う。
やけくそになって痛みに耐え必死に剣をぶん回しても、むしろ隙が生まれてあちこち傷つくばかり。
やがて自分が今どこにいて何をしているのかすらわからぬほど意識が朦朧としてきて。生きようとする気力すら失せる頃には、もうリクの状態は最悪だった。
腹を裂かれ、目玉はくりぬかれ、右腕を失い左足に剣が突き刺さり、背中に深い傷、そして全身を貫く剣が彼の致命傷のひとつだ。
「あ、ぁぁあぁぁ……」
自分の人生はなんと虚しいのだろうか。
上司にぺこぺこ頭を下げて、やりたくない仕事でも引き受けて、汚れ仕事に手を染めて、歪んでも生活のために頑張って。
慣れない事もやって。媚びて、土下座して、恥を投げ捨ててここまで来たのに。
視界の先には、剣を振り上げる敵兵の姿。どうやらリクの相手は彼一人で十分と判断されたのか、他の兵はもうあちこちに分散している。
まるで、リクの命はこの戦場で少しの価値もないのだと、知らしめるようだった。
「……――はぁぁぁぁあ!!」
しかし、敵兵の剣が振り下ろされる直前に、かの兵の体が両断される。リクの目の前で、何が起こったのか分からないという顔の敵兵が崩れ落ちた。
鮮血が舞う。しかし、リクも例外ではなくここにいる誰にとってもそれは見慣れた光景。
ただ、この場で一体誰がリクを助けるような真似をするのだろうか。
(いや……助けに来たんじゃないな……もう、致命傷というほどの傷を、負っているから……)
今死んでいないのがおかしいと思えるほど、リクの体は欠損している。助けに来たのだろうがそうじゃなかろうが、彼はどっちみち死ぬ。
「――リク先輩!」
視界がぼやける中、リクが認識したのは鎧を脱いで軽装剣士になったフレードの顔だった。
明るい緑の髪のリク。深い緑の髪のフレード。十八歳でありながら突出した才能がなかったリク。十五歳の後輩でありながら主要メンバーに入るほどの人材であるフレード。
知らぬ間に抱いていた劣等感。
自分でも自覚していた嫌悪感。
だけど、だけど、こんな時フレードはリクの最期を看取るためにやってきてくれたのだ。
「……ふれ……」
「喋らないでください、リク先輩!! あ、えっと……ぼくに、リク先輩を救うことは……できません。ぼくは……乗り越えなくちゃならないんです。でもこれだけは聞いてほしくて! グレイズさんとかももちろんそうなのですが、ぼくにとって、リク先輩も憧れでした。いつも壁にぶち当たった時に、手を差し伸べてくれる光でした」
いいや、違う。違うんだ。
それは、精一杯の見栄だった。
何を教えてもすぐに吸収してすぐに先を行ってしまうフレード。いつも取り残されてしまうリクに出来ることは、彼が落ち込んだ時に慰めることくらいで。
でもそれは自分のプライドでしかなくて。心の底で醜い嫉妬をぶつけて。
リクがこの団に入ったのは、本当は汚れ仕事から足を洗う為で。ちゃんと人として生きようと、決意したからなんじゃなかったか。
それなのに汚い嫉妬に負けて、帝国の手の者の勧誘に負けて。
また、最低な事をしてしまったのに――後輩は、フレードは今、真っ直ぐな瞳でリクを見てくれていた。
その瞳に宿る覚悟は、かつてリクが目指したものである。
「……リク先輩、ぼくは、リク先輩が何故スパイになったのかわかりません。だけど、ぼくは先輩が本当に『フィオナ』を壊そうとしたんじゃないって信じています。……っ、ぼく、あの……!」
言いながら、フレードはボロボロと涙をこぼす。信じていた先輩の裏切り。そして自分に課せられた任務の重さ。ティアーナやセーヴ、『フィオナ』への想い。その全てを背負って、フレードが復讐者として立ち上がるための涙だ。
もうリクが手を差し伸べる必要などないほど、彼は強い。だけど彼は気付かない。自分が自分を乗り越えていることを。――リクの、汚れた嫉妬の心にも。
「せ、先輩のぶんまで戦います……! ティアーナ様のために……!」
涙でべとべとになったフレードが、力いっぱいリクの手を取って叫んだ。そんなフレードの背中を、彼の一番の憧れであるグレイズが守っている。
これは、フレードにとって必要な別れ。そして断ち切らなければいけない感情。
大切な仲間の進化を、リーダーとしてグレイズは絶対に誰にも邪魔されるわけに行かなかった。
「『最高の復讐を』――」
フレードが選んだその台詞は、奇しくもセーヴとインステードが使う定型文。
そして丁度、二人が今回だけは口にしなかった、復讐の決意。
「『副司令官アデルに』――」
何かを乗り越える時、人の運命は重なり合わさる。セーヴとインステードが今回に限って定型文を使わなかったのは。
――戦場では目立たない兵の一人かもしれないけど、この戦場の主人公は、彼だから。
『 こ え ろ 』
フレードの真っ直ぐな思いを受けたリクは、口パクで確かにそう言った。声はもう出ないから、せめて伝わるように。
最後の最後に自分の最期まで変わらなかった汚い心を、浄化してくれたフレードのために。
そうして、内通者リクは息絶えた。力ない手がフレードの手から滑り落ちて、ぱたんと地面に崩れる。
「先輩ぃ……」
超えろ、と。リクのその言葉は、確かにフレードに届いている。
覚悟は決まった。ならば、とグレイズは声を張り上げた。
「立て、フレード!! お前さんは何のために、そこに立っている!!」
グレイズの声に、フレードは限界まで目を見張る。その瞳に宿るのは、炎。その炎に宿るものは、もうただ純粋な光ではない。
けれど、この瞬間の『フレード』という少年は、きっと誰よりも強かった。
「ティアーナ様を殺したこの帝国を、滅ぼすためです――ッ!!」
「それがお前さんの答えならば――走れッ、フレード!! お前さんの目的が為、全てを捨て、全力で戦場を駆けろ!!」
「はいッ!! ……さようなら、リク先輩ッ……!」
人に動かされてばかりいたフレードが、己の目的を改めて確立させ、甘えていた想いを断ち切り、憧れのグレイズと先輩であるリクの遺体を背後に、普段では考えられぬほどの速度で戦場を駆け抜けた。
〇
最前線で敵をすさまじい速度で切り裂く主要メンバーたち。
ランスロット、セーヴ、インステードを筆頭に、エリーヴァス、レイ、システィナの三人が追随して獅子奮迅の活躍を見せていた。
ちなみにアリスは、母レイナ、父レンと共に、敵の本陣へと急いでいる。
「魔術を封じてみるってなかなか難しいの」
「特にインステードちゃんは車いすだしね。無理だと思ったらやめてもいいんだよ」
「いやなの! 勝負を挑んだのはあたしの方なのよ。棄権だけは絶対無理なの」
「……というか、戦場で遊んでいる時点ですっごく相手を舐めてるわよねぇ……?」
「仕方ありませんよ、この程度敵にはなりませんから」
「それは……確かに……」
車いすに座りながら華麗な剣捌きを見せるインステード、目に留まらぬ動きで次々敵を切り裂くセーヴ、そんな二人を見て呆れるシスティナ、納得するエリーヴァスとレイ。発言はしていないもののインステードとセーヴの動きを真似て学習しているランスロット。
戦闘中に魔術を封じてみるとか剣術を学んでいる規格外の三人は置いといて、他のメンバーも周りが敵兵しかいない中、悠々と喋りながら涼しい顔で駆けていた。
さすがは主要メンバー、この程度の敵兵は相手にならないのだ。
「おっと」
と、セーヴが一人の敵を取りこぼした。
何ひとつ魔術を使わず純粋な体さばきで目に留まらぬ動きを演出し残像を残し続けている彼だが、だからこそのミスだ。
払った剣は敵兵の左腕を切り飛ばしたが、恐らく仕留め切れていない。
返す剣で――、と思ったが。
「はッ!!」
一閃。
六人のうち誰のものでもない剣が敵兵を切り裂いて、さらに奥へ奥へと銀光を残して戦場を疾走していった。
その者の姿が見えなくなった後、その者が駆けていった道のそばにいた敵兵が全員首から血を噴いて絶命する。
もちろんセーヴはしっかりと、駆け抜けていった者を認識していた。
「フレードくん……の、試練が終わったみたいだね」
「中々進化したの。……辛かったろうけど、乗り越えた先の強さがあるの」
自らの手で両親を殺すことで覚悟を決めたセーヴ。
肝心な時に己の力を解放できず運命を憎みに憎んで動力としたインステード。
誰より『哀しみ』を知るからこその。この二人だからこそ言える言葉だった。
セーヴはフレードが消えていった先を見て、眉尻を下げてふんわりと微笑んだ。
遅れまして誠に申し訳ございません




