52.最終決戦、開始す
内通者――リクが、ぼそりとそう言いながら手を挙げる。光のない目。もはや諦観しかないのだろう。だが、これで許されるはずもない。許すほど、ここにいる人間は優しくもなかった。
リクもきっと、今までのセーヴ達の動きを見てきて、嫌というほど知っているはずだ。自分は決して、許されることも助けられることもない、と。
「正直だね。まあ、この状況で名乗り出ない方がおかしいか。君が相当愚かな人間じゃなくてよかったよ」
セーヴは表情を変えない。元の不気味な微笑のまま、ただそこにたたずんでいる。リクは辛うじて立っているのがやっとなほど、全身が震えていた。
リクは愚かな人間ではない。ヒステリックに喚いたり情緒不安定に陥ることはあまりなく、自分のやるべきことを居るべき場所でこなす、普通の人間だった。そう。普通の人間であることが、この空間では災いするのである。
この復讐は、まともな人間がまともな精神のままついていけるものではない。
「さて……」
リクの処決をどうしようか、とセーヴが考え込んだ時。いつの間にかテントの外に出ていたエリーヴァスが戻ってきた。
「たった今より報告が入りました。敵司令官アデルの率いる四万の軍が攻めてきております。敵勢力を調査したところ、この四万軍が全ての勢力であることが確認されています。つまり、本気で全力で魂で、挑んでくることでしょう……!」
何故か後半ちょっとドヤ顔なエリーヴァスである。
いつもは相当冷静なのだが、彼もやはりテンションが上がっているに違いない。そんなエリーヴァスの報告を聞いて、セーヴは僅かに苦笑しながらも頷いた。
そしてぐるりと辺りを見渡し、少々思考してエリーヴァスに向き直る。
「良いことを思いついたよ。グレイズさんとインステードちゃんは向こうの軍から良く見える高台を作ってもらえるかな。エリーヴァスとレイは高台の上に両侯爵を、檻に入れたまま置いてほしいんだ。そして……リクくんについてだけど、君に機会をあげよう」
グレイズとインステード、エリーヴァスとレイが敬礼をして、ほんの少しリクに気の毒そうな視線を向けそれぞれの仕事を果たすため出て行った。
レイはオーギル・マクロバンの檻を驚異的な身体強化で、運び出しながらだが。
リクはキラキラと輝く眼差しでセーヴを見つめているが、角でひっそりと空気になっているシスティナら他の構成員は苦笑している。
あのセーヴが、内通者に普通のチャンスを与えるはずがない。
はなからクリアさせる気のない任務を与えるか、もっと酷い何かなのかとしか思えないのだ。
(希望を与えて絶望に落とすなんて、相当ゲスいわね……)
遠い目をするシスティナだが、そんなセーヴを好きな自分も相当なものである。そもそも、こんな事をしている時点で正気とは言えないのだが。
「リクくん、君は君のテントで少々待機していてくれないかな。時が来たらちゃんと呼ぶから」
「わ、分かりました、失礼します!」
リクは今度こそセーヴの機嫌を損ねたらまずい、と思ったのかびしりと敬礼して高速で走り去っていった。
テントに残されたのは、数人の仲間のみ。その誰もが、セーヴにリクを許す気などない事に気付いている。
が、それでも当たり前だが疑問点はあるようで。
「セーヴ様ぁ! 一体何をするおつもりなんですか?」
「うーん……目には目を歯には歯を、かな。それじゃあ皆にはそれぞれやってもらうことを言うんだけど……フレードくん、君には重役を背負ってもらう」
「ぇえっ、ぼくですかっ!?」
セーヴに質問をしたフレード。そんな彼に、セーヴは優しく微笑みかけた。その笑みは、先ほどリクや両侯爵に向けているものとは違う。その中に敵意はなく、あるのは仲間としての信頼と優しさだ。
なぜフレードを指名したのか、セーヴの中にはきちんと理由がある。
フレードは同年代の中で確実に天才だ。その歳で精鋭軍フィオナの幹部級であることは、セーヴが重用するに十分である。
ついでにティアーナに対する信頼も幹部達に引けを取らない。
だからこそ、フレードにはもっと成長してもらう必要がある。今の彼の心は、まだある程度純粋だ。幹部として最前線で、帝国の全てを知りそれを葬ってもらう一員となるために。
「さて、これから計画を言おう」
そう言って、セーヴは微笑みを引っ込める。肌で感じるほど、空気の気温が下がった。それほどピリピリした威圧感と緊張感が、テントにこもっているということだ。
〇
場所は、戦場の最前線。重装備の騎士達が並ぶ隊列の一列目。明らかに不釣り合いな軽装で、リクは一列目の真ん中で縮こまっていた。
その目に宿るのは不安。敵は既に目の前まで迫っていて、その距離はもう二百メートルもない。そんな中、最前列で自分はたった一人軽装なのだ。実力は弱くはないと自負しているけれども、最前線を軽装で斬り込んでいける自信はない。
(そ、それに……)
リクはちらりと背後を見る。
高々と設置された高台には、二つの檻があった。その檻が、敵の進軍に二の足を踏ませている。予期していなかった状態に、敵の将軍が進軍の一時停止を命じたようだ。
檻の中には、オーギル・マクロバンとウィンナイト・リカリアナ両侯爵の姿がある。
両侯爵が捕虜になっていることは知っているはずだ。だが、これから何が起こるのか――いや、察している可能性が高いだろう。
将軍がそれを察したからこそ、こちらの軍を下手に刺激して行動を起こされないように、一時進軍を止めているのだ。
「……へえ、中々頭いいじゃん。さすが名相アデルの腹心。でも、どうやってこの状況を防ぐのかなんて……判断することなどできないだろうねえ」
場所は変わって、セーヴはインステードとグレイズ、ランスロット共に高台の上に登っていた。ここでしかるべき仕事を行えるし、号令をかけやすい。
なのでずっと高台の上に立っていたのだが、四人とも鍛えているため微塵も疲れてなどいなかった。
セーヴは薄い笑みを浮かべて、戦場を見つめている。ここは敵が魔術を打っても確実に当たらない距離だ。ついでに向こうが動けば即座に行動に移す準備もできていた。
向こうは下手に動くこともできず、対策を打つこともできないのだ。
何か対策を思いつくまで、おとなしく待ってやるつもりなどない。セーヴは高台を歩いて、檻の前に立った。
「さあ、タイムリミットかな。最後まで……対策をとれなかったみたいだね」
今まで檻の後ろに居たためセーヴおよび三名の姿は見えなかったが、前に出たことによってセーヴの姿が敵からも露になる。
剣を掲げながら出てきた彼を見て、敵軍がどよめいた。きっと敵の将軍も盛大に困惑していることだろう。そして焦っているはずだ。ここで敵の副司令官が出てくる意味――それは、行動に移ること以外考えられない。
両侯爵の奪還をも狙っていただろう彼らにとって、この状況はまずかった。
しかし、勝手に投降するわけにもいかない。それに例え彼らが土下座をしようと、セーヴにこれからすることをやめるつもりはなかった。
何故なら、これは復讐なのである。
「みなさーん、聞こえてますかー?」
より嫌味ったらしさを表現するため、セーヴは声を釣り上げてそう言った。決して大きな声ではないが、魔術で敵軍まで声を届かせている。
敵軍の空気により緊張が張りつめていったのを感じて、セーヴは剣を高台に突き刺した。
すると、檻がバキンと音を立てて砕け散る。魔術で作られた檻で、高台の指定された箇所に物を突き刺せば砕け散る仕組みになっているからだ。
オーギル・マクロバンは先ほどから取り乱さず、ただ顔を伏せていた。しかしウィンナイト・リカリアナはヒステリックに喚き散らしている。両社の性格から本当ならば逆を想像していたのだが、オーギル・マクロバンは思ったより邪神に対する信仰が深く、ウィンナイト・リカリアナは思ったより弱点を突かれた反応が大きかった。
「オーギル・マクロバン元侯爵は、自分から進んでティアーナ公爵令嬢を断頭台にて処刑した。その挙手は、決して許されないものだ。それ以外にも、自身の目的のためなら邪神教の名分で、どんな汚いことにも手を染めた。政治のひとつに手を付けること無く、裏業者などに任せたおかげで街は大荒れ。民を想う心はなく、人の命を軽視する。そんな人間に――目には目を、歯には歯を……」
ティアーナの首を、断頭台で斬り落とし彼が勝者の笑みを浮かべたように。
「ウィンナイト・リカリアナ元侯爵も同じだ。罪人の実験に夢中になり、政治を放棄し、街の現状から目を背けた。いいや、目を向けることすらなかった。そのうち罪人ですらない、罪なき人々を皇帝と連結してさらっては実験の生贄にした……何よりティアーナ公爵令嬢を全国に連れ回し、耐え難き傷を負わせたことを、我が軍は許しはしない。貴様がしたことと同じように」
大勢の見物者がいる中で、彼がティアーナを笑い者にして傷つけ優悦の笑みを浮かべたように。
「断頭には断頭を、処刑には処刑を……『慈善盗賊軍』、『神聖第三兵隊』は、ここにて罪人を処する!」
セーヴが剣を、天高く掲げる。凛とした声が、戦場によく響いた。淀みも迷いも震えもない堂々とした声は、敵の気持ちを弱らせ味方の士気を上げる。
セーヴの号令に応じたのは、グレイズとランスロット。
フィオナのリーダー、神聖第三兵隊の副指令。彼らがそれぞれの代表として、セーヴの右と左から歩み出る。
その手は剣の鞘にかけており、すぐに処刑ができるのだと物語っていた。
セーヴが剣を鞘に納めると、グレイズとランスロットが鞘から剣を抜いて天に掲げた。
(さぁ……優秀なるアデルが何を選ぶか……。まあ、両侯爵を諦めたのは、確かかな)
凛々しく美しい声とは裏腹に、セーヴの深められた笑みには常人に耐えがたいほど狂った闇が渦巻いていた。




