48.決行す
セーヴの計画には二段階ある。しかし、その第一段階ですら作業は大掛かりだ。フィオナのほとんどのメンバーが、実行に駆り出された。
そのため、例のブツが王都全体に広まるまでさほど時間はかからず、目に見えて大きな変化が起きるのも当然早い。
その日、セーヴはテントで現在の王都の状態についてまとめられた報告書に目を通していた。
前ではインステードがぐでー、っと机に伏せている。
「ってか、帝国は何で四大剣聖を出してまで民の一人も手放そうとしなかったの?」
「たぶんプライドだよ。一度でも僕らの言う通りにしたら、まるで屈したみたいでしょ? それに、僕らなんか簡単に撃破できると思っているみたいだし」
「頭おかしいの。それと、ウィンナイトとかオーギルはどうするの?」
インステードの率直な疑問に、セーヴは報告書から目を離さずに答えた。その言葉の端々からは嘲笑がにじみ出ている。
心底下らないと思っているようだ。
が、次なる質問には初めて顔を上げた。全く想定外にインステードはセーヴと目を合わせてしまう。
「ぅ、へぇっ!?」
「えっ、ごめん……!?」
何でか分からないけれど、インステードはばっ、と顔を上げて腕で口を押えてしまった。あまりの勢いに、セーヴが思わず謝罪を口にする。
インステードは自分でも何が何だか分からないので、慌てて両手を振って何でもない、というジェスチャーをした。
「そ、そっか。あの二人については彼らがやってきたことと同じことをするつもりだよ。君も処刑に立ち会うことになると思うけど……」
「それについては構わないの。でももう一個……なんで帝国はわたしたちの行動をこんなに把握できるの?」
「どういう意味?」
「まだ漠然としてるけど……ロールスター騎士爵とグレイスタール侯爵家との合流。あんたとレンがいなくなった間を見計らっての侵攻。結局目論み通りにはいかなかったようだけど……なんだか、わたしたちの行動が把握されすぎているように思えない?」
「だけど大まかな事のみを把握されている……つまり、重鎮ではない普通の団員の誰かが、内通者ってことかな?」
新しい質問に、セーヴはついに紙を手放した。内通者といっても、きっとそこまで重要視されてはいないだろう。
何せ、その内通者はきっと中心に食い込んではいない者だ。
スパイがいながら、ここまですんなりと計画が通るはずがないのだから。ただし、誰か分からない以上これから中心人物になってくる可能性はある。となれば、無視はできない。
言葉ひとつでそこまで考え付いたセーヴの物わかりの良さを見て、情報を提供したインステード本人が目を見張って驚いた。
「よくあれだけで分かったの」
「うん。何となく思わなかったわけでもなかったし……」
インステードの驚きに、セーヴは肩をすくめて返した。けれど、インステードもセーヴの頭がいいことは良く分かっている。
だから少し驚きはしたが納得し、その場にはまた沈黙が下りた。セーヴが、再度視線を紙に落とす。
「でもね、きっとこの辺で活発な行動をしてくると思うよ。僕たちの勢力がずいぶんと強くなった今、スパイの内部からの切り崩しは効果的だから。それまで、もう少し様子を見よう」
「了解したの」
「……それに、きっとすぐわかるはずだ」
紙から視線を離さないまま、セーヴは暗い笑みを浮かべた。憎悪と優悦。その二つの感情しかない笑みは、狂っているとしか言いようがない。
けれど、インステードは思うのだ。
そんな顔をずっと見ていたいなと感じる自分こそ、もっと狂っているんじゃないかと。
〇
皇城に最も近い街、王都ルーヴェル。王都の周りをぐるりと囲んだ大きな都、首都フォルスナー。帝国の主要土地二つが、今まで以上の混乱にまみれていた。
今までの内戦などは兵を送り込めば順次片が付いてきたものだ。障害ではあるものの、どう手を打つこともできないというまでではなかった。
けれど今回は違う。帝国ですら何をどうすればいいか分からないのだ。
〇
その家庭は、裕福ではなかった。かといって、貧困層にいるわけでもない。素朴でも三人暮らしで、不足もなくそれなりに幸せな、至って普通の家庭だ。
普通の家庭なのだけれども、最近は内戦に怯えて基本家の中に固まっていた。都市部にいるわけでも田舎にいるわけでもないので、内戦の影響は少ない方だ。だけれども危ないのには変わりない。食料調達ですら、細心の注意を払って行わねばならない日常である。
「リリー、もうすぐお父さんが戻ってくるから」
「う、うん……ねえ、お母さん、なんで、なんでこんなことになっちゃったの……?」
「分からないわ……分からない……」
目に涙を浮かべて縋る娘を、母は抱き締めて奥歯を噛んだ。家のリビングでさえ、落ち着けない現状。もうすぐ食料調達から父が帰ってくるが、娘が落ち着くのはそうして三人家族が揃った時だけだ。
それだけ、この家族の絆は強くて。死ぬとしても、せめて三人で。そんな気迫を、三人とも持っていたくらい。
大丈夫。父は必ず帰ってくる。そう信じて、母と娘は抱き合って待つ。
そして、父が扉の鍵を回した。これで娘も落ち着くし、母も安心する。そう思ったけれど、扉の向こうにいた父はまるで別人だった。
父は、優しい人だ。いつも微笑を絶やさず、どんな話にも付き合ってくれて、娘バカで、それでも母の事をもっともっと愛していて。理想の男性そのもの。
けれど、そこに居る人は、なんか違うのだ。
「おと、ぅ、さん……?」
娘の声だったか、母の声だったか。それは、分からない。
そんなことを分別するよりも、目の前の虚ろな瞳をした『父』の器が、じぃっと見てくるのに耐えられなかった。
虚無の目。何の感情も宿していない。愛なんて、ない。暖かさなどもってのほか。
求めていた父ではない。冷たくて、怖い。それを理解した娘の頬に、つぅ、と耐えていた涙が流れる。けれど声を出さないあたり、彼女にだって判断能力はある。
こえ を だす な 。
潜在意識が、そう叫ぶのだ。警鐘を、鳴らすのだ。
やがて『父』は、口を開いた。
「……お前らは、誰だ……?」
「「……は?」」
娘と、母が固まった。いっそのこと目の前の何かが父ではないと思いたかった。けれど、どこからどう見てもその姿は父のものだ。それに、両手にはきっと調達してきたのだろう食料がある。
間違いない。
大切な人は、大切な人を、忘れたのだ。
そしてここからが、連鎖の始まりだった。
〇
「そろそろ、主要都市以外でも発症するころかな?」
セーヴの執務室にて、セーヴが時計を見上げながらそう言った。表情には、いつもよりほんの少し暗い微笑が張り付いている。
対面には、車いすに座り分厚い本を手にして読んでいるインステードがいた。
インステードはその言葉を聞いて、「んっ」と声を上げ本をぱたんと閉じる。
「例の伝染病?」
「そう」
「病にかかった者は、全員最も大切な人間を忘れてしまう……中々、エグい効果なの」
「エグいからこそだからね。あとインステードちゃん、にやにやしてるよ」
「うっ」
確かにセーヴの言葉は図星だし、インステードもちょっと闇に口角を上げているけれども、黙ってしまった後で気づいた。
いや、セーヴにだってインステードのことを言う筋合い、ないじゃないかと。
しかし同類なためその指摘をする筋合いがインステードにないので、おとなしく黙っているしかない。代わりに、視線をさまよわせた後。
「あっ、そうだ。えっと、その伝染病に名前とかあるの?」
話題を変えた。強制。
「……今のところ決まってないよ。仮称としては『伝染病Ⅰ』そして第二段階は『伝染病Ⅱ』……なんだけど、安値すぎるかな?」
セーヴは苦笑いで応じた。そんなところも彼の優しさである。
インステードとしては逃げるために始めた話なので、とっさに意見が出てこない。ちょっと安値だなと思う感情はある。
だけど『だったらこれがいいんじゃない?』なんてアイディアは全くない。
「……それで、良いと思うの」
結局、口をついて出たのはそんな言葉だった。
「うん」
返ってきたのは、色々察したかのような、そんな微笑みと相槌だ。穴があったら入りたい、とはこんな気分なんだなとインステードは改めて実感する。
〇
大切な人と、大切な人。その気持ちは、未だ交わることがない。




