47.決心下す
「君達には失望しかないよ」
辺境地マグンナの、かつて伯爵邸だった場所。そこに新しく建てられた城の頂上に、セーヴはバランスを崩すこともなくしっかりと立っていた。
その瞳には陰りがあり、言葉の端々から感じられるのは侮蔑だ。
しかしそれ以上に、冷たく抑揚のない話し方そのものから、無関心が感じ取れる。
わりと高い所に立っているため、ひゅうひゅうと吹き抜ける風がセーヴのコートをはためかせていた。
「たった一人だけで、良かったのにね……」
かすかに上げられた口角に、意味はない。セーヴの脳裏に浮かぶのは、ここ一週間の情景だった。
レッタ男爵をこちらに住まわせた後、セーヴ達はすぐに計画に取り掛かった。
それは民がとても容易くクリアできたもののはずだ。しかし、結果的にセーヴ達は動いている。民は、全員が帝国に従ったのだ。
計画の大筋はこうである。
まず、民にビラを配る。そのビラに記されたのは、ティアーナの肖像画と全ての真実。ティアーナの罪を否定し、元の事実を如実に記した紙だ。
それは王都全体に上空から配られ、やがて貴族諸侯まで広まっていった。インステード、システィナ、セーヴの三人で行われたことだ、その拡散能力を舐めてはいけない。
その紙には、ティアーナの無実を信じ投降するならば、フィオナ軍から民に直接手を出すことはない、とも書かれている。しかも、一人でも投降すれば、と。ついでに投降した者は必ず生かすと付け加えて。
とても簡単な条件だ。たった一人だけでいいのだし、生が約束されるのだから。
なので、心が揺れ動いた民もきっと少なくはなかったはずだろう。
「……『魔女』クラヤミ……」
そう。心が揺らごうと、結局ただ一人としてフィオナへ投降することはなかった。『四大剣聖』が一人、『魔女』クラヤミの華麗なる演説によって。
派手にウェーブした茶髪に、いかにも『魔女』にしか見えぬ黒装束と箒。ご丁寧に肩には黒猫が乗っている。
初めて会ったけれど、セーヴはクラヤミの姿をばっちりと記憶していた。
緑の吊り上がった瞳には、人を魅惑するような色。一人より何倍も発育の良い体つき。モデルのような素晴らしいスタイル。何より全身から溢れる強者の威圧感が、特徴的だ。
「扇動的演説、ね……」
事実。意見。扇動。それを強い語気で激しく語る話し方。元から国のトップに近い権力もあるため、彼女の発言は民にとって無視などできない。
自分の手元にあるのはただの紙。だが、目の前には帝国を代表して四大剣聖の一人が『敵』の言葉を否定し、帝国に帰属するならば全てを救う』と宣言した。どちらを信じるかは一目瞭然。加えて民は元から、帝国帰属による洗脳を受けていたのだから。
もちろんクラヤミも演説をしながら何らかの術を使ってはいただろう。わずかだが、魔力の波動を感じたために。
だが演説をするクラヤミを見つけたときは、すでに遅し、だった。
民からティアーナを信じる、という感情が一切抜け落ちた後だったから。
「期限は一週間。きちんと一週間待ったけれど……来なかったのは、君達だ」
ゼウスからティアーナの味方を多くすることは不可能、と言われた時から分かっていたが。やはり、どう足掻いても壁は立ち塞がるのだ。
どう足掻いても、これ以上ティアーナの味方を増やせないのだ。
「ならば――」
「セーヴ! あんたこんなところにいたの?」
セーヴが険しい表情で遠くを睨んでいると、後ろから聞きなれた声がかかった。車いすのインステードである。
まさか車いすでここまでくるとは思わなかったが、たぶん魔術だろう。
相変わらず万能な魔術師だ。
セーヴはインステードを振り返り、いつものように微笑みかけた。
「うん。ここだと見晴らしがいいからね。ちょっと、気分で」
「ふうん、そう。それで、例の『元』は完成したの?」
「したよ。さすがに短期間だからちょっと苦労したけど……問題なく計画は進むはずだ」
そう言って、セーヴは肩をすくめた。同時に、ポケットから小瓶を出してインステードに見せる。そこには、黒く蠢く何かがあった。
気味の悪い物体の出現に、インステードが眉を顰める。何が来るかわかってはいたのだが、それでも引かずにはいられないほど気持ちが悪い。インステードだって女の子だ。
そんなインステードに、セーヴは苦笑した。
「うん。その反応、分かるよ。僕も作っていた時吐きそうだったからね。でもこれはそれに見合うくらい、酷いことをしてくれるから」
「そうね……で、最初は皇城から広めるの?」
「そのつもりだよ。そこからが一番広まりやすいからね。何ならいっそのこと貴族の間でも広まってくれたら、色々やりやすくなって嬉しいんだけど」
「了解したの。あたしもそれに賛成なの」
頷いたインステードに、セーヴも頷き返した。これは単なる世間話である。最近ずっと気を張っていたため、こうした小さくてもゆったりとした時間はわりと必要だったりする。
けれど、世間話には沈黙が下りた。
話題がなければ、話は続かない。当たり前だ。けれど、セーヴもインステードもそれ以上何か続けようとはしなかった。
セーヴは、ゆっくりと回想をする。思い出すのは、あの日の両親。壮絶な覚悟で自分の背中を押してくれた、彼らの言葉。
――セーヴ、あなたは、吹っ切れてなど、いないっ……! 人間を、やめてなどいない!
――帝国を壊すんだ。その、優しくも壊れやすい、強い力で……。進め、迷うな、乗り越えろ。
――君はいつまでも、いつまでも……私達、の……光……。
そうだ。そうとも。そうだとも。
セーヴが前に進めず迷っていたと、乗り越えられぬと悩んでいたと、人間をやめていないというのならば。
や め る ん だ 、 今。
迷いを、捨てろ。
次回、決行!




