46.マヤ大帝国の日常
邪神ヘルを天に召し上げてから、マヤ大帝国は一時的に主神ゼウスの加護を失うこととなった。もちろん神が集うマヤ大帝国が大きく揺らぐことはないが、皇族や聖女自身は安定まで少し苦労した。
神に最も近いのは帝と聖女。神への信仰度をそのまま力として振るう帝や、神の神託と神に依存した力を持つ聖女にとって、主神の存在は支柱のようなものだったからである。
しかしマヤ大帝国の女帝『セツナ・ティア・マヤ』は強大で、信仰の力などなくとも己の魔術、あらゆる武術で元からマヤ大帝国の頂点に立っていた。
聖女マナ・クラリスも神に依存した力以上に、自身に秘められた光系統魔術の圧倒的な才能と――『聖女の守護者』カイ・アルブレットの護衛がある。
「北の池に、アンデット種の魔物が出現した」
「了解。速やかに駆除しよう」
全てが白で揃えられ複雑な文様が多種多様に描かれる神殿の中、巫女服で神の彫刻に正座で祈りをささげるマナ・クラリス。
その背後から話しかけてきたカイ・アルブレットの声に、彼女は間髪入れず返事を返した。
集中する聖女にいきなり話しかけ、不敬罪にならず更に返事ももらえる人間は、マナの妹を抜いたらカイくらいしかいない。
なぜならカイはマナが聖女として生成された時から、守護者として傍にいたのだから。
マナとカイは無言で、肩を並べながら北の池へ向かう。歩幅を気にしたわけでもないのに、お互い自然と歩幅を合わせる。
やがて北の池につくと、ハンドガンの小隊がアンデットと激しい戦闘をしていた。
アンデットに肉体はなく、ただの肉体という概念から抜けた腐った死体である。そのため物理攻撃では倒せず、光系統魔術以外が効かない。
なのでハンドガン小隊は光系統魔術が使える者を中心にし、聖女が来るまでの時間稼ぎをしていた。
ちなみに数は三百を超えるようで、さすがにそこまでとなると聖女の援助が必要だ。光系統魔術を専門としないハンドガン小隊でこの数は、さすがに難しい。
「……退け」
決して大きくはない、マナの声。しかし聖女の声は良く響くようで、ハンドガン小隊はばっ、と左右に開いた。
その速度は迅速で手慣れたものである。
マナは地を蹴ると共に、その両手に強い光をまとわせる。
「光塵」
本来の彼女ならば聖書から光魔術を引き出して浄化を行うが、今はその力の元であるゼウスの加護がない。
そのため、マナは久々に彼女本来の力でアンデットを滅する必要があった。
マナの手から出た二筋の細い光が、圧倒的な熱量を放ちながら一直線にアンデットを消し飛ばしていく。
何故広範囲の魔術を使わないのか。それにはもちろん、理由がある。
マナの作った細い道は、きっとすぐに塞がれる。その道に一体何の意味があるのか。この場にいる誰も、それを疑問に思ってなどいなかった。
「――深紅の撃」
放たれた銃弾は、真っ赤な雷をまといながらマナの作る道を正確に通り、ある場所へ向かう。アンデット三百体が蠢く空間で、カイ・アルブレットのライフルはその奥にあるモノを捉えていた。
――ボスモンスター。
三百体のアンデットを指揮するボスの手には、指揮用と思われるベルがあった。ライフルから放たれた弾丸はベルを撃ち壊し、深紅の雷がボスに直撃してボスが崩れ落ちる。
カイ・アルブレットは守護者である以前に一人の聖職者だ。光魔術師の上位互換である神聖魔術師としてマナに追随する実力を有しており、ボスモンスターの浄化程度は容易い。
そしてなぜ神聖魔術の色が白や銀ではなく深紅なのか。それは『聖女の守護者』となった副産物である。色の変化と共に、魔力も精度も増幅した。
「あのぅ……動かなくていいんです、か?」
新人のハンドガン小隊兵が、おずおずと小声で発言する。
「まあ、見ていろ」
隣の熟練と見られる男が、にやりと口角を釣り上げた。
どれだけ時間が経とうとも、アンデット達は微動だにしない。その対面にいるマナも、何かをぶつぶつと呟いているのみ。
しかし段々と全員が理解する。それは、聖女マナ・クラリスの詠唱だ。
「神罰の鉄鎖」
やがて詠唱は終わりを告げる。その重厚でいて美しい声がしぃんと空気に置かれて、三秒ほど。地を揺らす衝撃が、その場にいる全員に伝わった。
地面から伸びた鎖が、三百を超えるアンデットを一斉に囲んで縛り浄化する。
じゅうじゅうとアンデットを燃やす音が辺り一面に響き渡った。無尽蔵かと思われるほどの量の鎖が、全員の視界を埋め尽くす。
「な、言ったろ?」
「う、うぇぇえ……っ!? な、なんで、なんでっ!? しかもなんか、動き止まってましたよ!?」
「ははっ、初めてなら驚くのも無理ねえ。アンデットっつーのはボスがいる場合、ベル壊してボス倒せば動かなくなるんだよ」
「へえ~。でも初見から聖女様、見破ってましたよ?」
「あぁ。それは聖女様の凄さだ。聖女様の狙いをすぐにキャッチして、ボスの居場所とベルの場所を捉えた守護者様もすげえよ……俺たちにゃマネできねえ」
熟練の男が、新人の少年に肩をすくめる。初見でボスの存在をすぐに見破った聖女マナ。それを理解し限りなく少ない時間で狙いを定め、決して外すこと無い弾丸でボスを撃ち抜いて見せたカイ。
それだけでなく、三百を超えるアンデットを一瞬で滅したマナの魔力量。仮にも三百を従えるボスモンスターを一撃で滅したカイの攻撃力。
二人とも、人外レベルの動きである。決して半端な者がマネできる動きではない。
だがそんな動きを見せても、二人は余裕だった。マナもカイも、表情一つ変えやしない。
そんなカイに、暗めの金髪でやや長い前髪を持つ青年が歩み寄る。青の瞳で彼を見下すように顎を上げ手を組み不敵な笑いを浮かべ尊大な態度をとるが、カイの方が身長が高いためにあまり効いていない。
「さすがだな、聖女様の守護者」
ふん、と鼻を鳴らす青年。彼の名はレーヤ・ローゲン。十九歳にしてハンドガン第一小隊の隊長を務め、その上どの小隊隊長よりも強いという精鋭。
さすがに中隊、大隊隊長、総司令官などと比べると経験の差が一目瞭然だが、十九歳でそれほどならば十分以上の天才だ。
ついでにその甘いマスクは大多数の女性にどストライクし、多くの女性を魅了している。
そんな人間が、これでもかというほどカイを見下し嘲笑の笑みを浮かべていた。
「ですが、果たしてあなたの名は守護者にふさわしいでしょうか」
嫌味たっぷりの言葉だ。思わず彼の後ろに控える兵たちの空気まで緊迫してしまう。カイはしかし表情を変えず、ゆるりと首を振った。
レーヤは目を見張り、奥歯を噛み締めてカイを睨んだ。守護者は、揺らがない。
「少し相談がある。時間を割いてくれはせんか」
「……分かった」
最後までレーヤに言葉一つ返すことなく、カイはくるりと身をひるがえしてマナと共に去って行った。そうだ。彼らの任務は終わりだ。
しかし残されたレーヤは、これでもかというほど目を見開いて肩を震わせていた。
それは、誰がどう見たって怒りの炎だ。
〇
ゆっくりと神殿に向かって歩くカイとマナ。何となく、カイの歩く速度が速かった。しかし、マナは何も言わない。
昔ならばただ興味がなかっただけだろう。しかし今は違う。
今は、もう分かるのだ。分かろうと、したから。カイの動かぬ鉄面皮の奥で、様々な感情が吹き荒れていることを。
しばらくして、カイが口を開いた。内容は、ひどく事務的なモノだ。
「……邪神が、あれで引き下がると思うか」
「思わない。そもそもあそこまで簡単に捉えられるほど、邪神はやわではない。我が主神を手こずらせたのだ、相当な手土産をこの世に残したであろう」
「やはりな。だが、それをどうにかするのは――」
「そうだ。我らの役目ではない」
美しい銀髪を揺らして、マナは淡々と真実を語る。追随するカイの言葉にもまた、特別な抑揚はない。彼らはあくまでも神の使者。神の指示通り、この世をより良く導くのみだ。
そのために生まれ、そのために育ち、そのために散ることを、二人は心の底から幸せに思う。
もしもそこに、プライベートな感情――私情が入り込むならば。
もしも許されるのならば。
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