45.神聖アルミテス帝国のある日
ほんのりと光を放つタイプの高価なシャンデリアが、執務室の壁の中心に設置されている。扉から真っ直ぐ行った突き当りに執務机と椅子が置かれていて、部屋の両隣りは右にタンス、左にベッドがあった。
中心を軸に部屋の七割を埋め尽くすカーペットが広がり、中心地点には美しい紋様があしらわれた机と両側に高価なソファーが置かれている。
そんな広大な上に物が少ない一室を独占する権利を持っているのは、執務机の隣に立って窓の外を眺めている薄い緑髪に金色の瞳を持つ高貴な少年だった。
エウリアス=フォン=ミカエル=アルミテス。神聖アルミテス帝国第三皇子で、十八歳にして神聖第三兵隊の最高司令官である。
窓の外を眺める彼の瞳は穏やかだったが、皇子相応の重みがあった。
そんな彼の執務室に、礼儀正しく洗練されたノックの音が響く。エウリアスは誰だかわかっているかのように、表情を変えず振り返る。
「入ってー」
その声に応えて入ってきたのは、煌びやかで白と銀と金で色の全てを揃えられた軍服をびっしりと着こなし、見るからに歴戦の戦士感を醸し出している青年だった。
目から頬にかけて大きな傷跡があり、その目付きには人を射抜く圧が宿っている。
そんな青年が、恭しくエウリアスに臣下の礼をとって跪いた。
「慈善盗賊軍より手紙を頂いております」
「そろそろ来ると思ってたよー、それ、見せてくれるー?」
「御意」
青年は頭を上げぬまま、両手だけでエウリアスに手紙を差し出した。エウリアスは美しくくるりと振り返り、太陽に照らされた奥深い微笑を青年に向ける。
彼は基本笑みを浮かべたまま。しかしその笑顔で、時に狂気を口にしたりする。
そこが、彼の怖いところだ。絶対敵には回したくない、と青年は断言できる。
エウリアスは相変わらずに、その表情のまま青年の手から手紙を受け取った。そしてその場で手紙を開け、数秒目を通す。
紙二枚分にびっしり書かれていたはずの文章が、たった数秒で読み終えられた。
「どうやら手紙と共に三千兵器が送られてきているらしいけど~」
「はい。先ほど到着が確認されております。現在扉の外にて執事に三千兵器を持参し、待機させていますが……」
「うん、分かった~、ちょっと持って来てくれないかなー?」
「御意」
エウリアスは青年が執務室の扉を開け、執事と二言三言交わし、布に包まれた物々しい物体を抱えて戻ってくるまでの過程を笑顔で見つめる。
やがて青年が物体を地面に置いて跪きなおすと、視線を物体に向けて「おお~」と驚くようなしぐさを見せた。
「四本? 中々凄い収穫量だね~。いやぁ、まさかこんな短期間に……」
「私も驚いております。ところで、こちらの三千兵器はどういたしますか?」
「もちろん、マヤ大帝国に送ってくれる~?」
「御意」
驚くエウリアスに追随して同じ意思を表明する青年。そしてエウリアスの命令に、寸分の疑いもなく間髪入れず了承した。
そこは普通たかが皇子がそのような判決を勝手に下していいのか、的な質問を投げかけるべきではないのか……そうエウリアスまでもが呆れるほど、ストレートな忠誠である。
とても嬉しいし、上司としてこれ以上の喜びはない。けれど言っておく必要はあった。
「ちなみに三千兵器の無条件譲渡については、陛下も了承しているよー。ボクらは代わりに、無条件信頼を頂くからね~。それじゃあ、今日はしっかり休んでくれる~? たくさん働いたらね、人間は休まないと駄目なんだよー」
それと、休めという宣言である。
帝国への根回し、内乱を起こす爆弾の投げ入れなど、実際セーヴ達のいる帝国に向かって任務をこなしていたのは、青年らだからだ。
そろそろ休まねば体を壊してしまう。
ついでにこの青年はアルミテス帝国一番といっていいほど、生粋の真面目だ。きっと命令でもしなければ休むなんて考えもしないだろう。
エウリアスの想像通り、休めと言われて青年は顔を伏せながらも困惑を滲ませている。
「ボクだって無能じゃないからさー、何とかなるって、君達がちょっと休んだぐらいでボクは揺らがないよ! それに、神聖第三兵隊の被害は思ったより少なかった。50人を下回るなんて思ってもみなかったしー。だからその辺の仕事は減るうえにー、ボクだって良い上司でありたいからさ」
ふんわりと、青年が休息をとらないという道を潰してくるエウリアス。ここで拒めば、エウリアスが無能であることを認めるようなものだ。
そんなことが、先ほども記した通り忠実にもほどがある青年にできるはずもなかった。
伏せた顔はほんの少し苦笑いを浮かべて。部下にこんなにも気を遣ってくれる上司に感謝して。ここにいてよかったと、心から思った。
「……御意。そこまでおっしゃるのでしたら」
「うん。そこまでおっしゃらないと休まない君って、ほんとに凄いと思うよ~?」
「うっ……それは……」
「聖書第三章十二節。神は人の子の傷に心を痛める。ゆえに人の世は安らかであらねばならない。……どー見ても疲れ、溜まってるでしょ。それじゃあ神も心を痛めるよ~?」
ついでに聖書まで引っ張り出されては、青年に却下の術などない。それからエウリアスと世間話を交わし、青年は一週間の休暇を同僚と共に貰い受けて去っていった。
またがらん、と空いてしまった広大な一室。誰の声もしない静けさの空間。エウリアスは微笑んだまま、ぽつんと寸分変わらぬ位置に立っていた。
「……神の下に、人は平等である。だからこそ『乱れ』は人類の不和となる。『不和』は破滅を生む。破滅の際、神の救いなし。人は終わり、世は果てる」
かつてセーヴ達の帝国を訪れた際、とっさに口から出た聖書の一部分。その続きも口にして、エウリアスは口角を釣り上げた。
その笑みは、いつも張り付けているものよりももっとずっと不気味なものだ。
「天は争いを望まず、しかし不和を罰せず。不和は人の手に始まり、人の手に終わる。なれば、終結が為争いは不可欠」
エウリアスが唱えるのは、矛盾。
聖書に記された矛盾を、つっかえることなく、何も見ずに彼は流暢に言葉と変える。
「正義が為。民の為。国の為。正しさが為起こる争いを、愛が為神は看過した」
それは、決して万能ではなかった神の罪。
民を愛し、国を愛し、世界を愛し、正義を愛した神達の、最初で最後の大罪だった。
――神が直接人を救えぬこと。
しかしその代わりに、神は使者を造った。その原始地点となるアルミテス帝国。そして神の集まるマヤ大帝国。
皇族と聖女を介して、神は運命がまま世を救った。
「……だけど、運命が望まぬことは神だろうと聖女だろうと皇族だろうと、突破することは許されない」
その言葉は、聖書に記されていないエウリアス自身の言葉だ。そして、真実でもある。
より良い世のみを記載した運命の歯車は、時に大いなる悲劇を生む。どんなに神が、民が嘆こうと、運命に逆らう者はいない。
そしてこれだけ長く言葉をつづって、エウリアスが伝えたいのはひとつだけだ。
「……どうか、我が手で争いを生むことを、赦していただきたい」
その瞳には、懇願が詰まっていた。
マナ・クラリスほどではないものの、彼だって狂信者の一人。神が望まぬことを、己の手で起こすなど大罪にもほどがあった。
だから今エウリアスがしているのは、自身の行動の正当化に過ぎない。
罪は罪に変わりなく、しかし正義も正義で揺るがなかった。
例え自分が罰せられても、神聖アルミテス帝国を守るため。誰より重い理由を背負って、エウリアスは戦いの火ぶたを切って落とすのだ。




