少年セーヴの追憶―⑦
僕とティアーナ公爵令嬢は椅子に座り、『インステード』もベッドのふちに体重を預けたまま向かい合う。会談の準備が整った状態だ。
しかし会談というほど、雰囲気は緊迫していない。思ったより目の前の少女が、重い空気を放っていないのだ。
あちこちを包帯で包んだ少女ではあるが、どことなく雰囲気が明るい。
それはもしかしたら、ティアーナ公爵令嬢がそこに居るからというだけかもしれないが。
「まず、あたしは……インステード。ただの、インステードなの」
「あ、僕はセーヴ・グレイスタールです」
「知ってるの。それで……あんたを呼んだ理由だけど……ただ、知りたかっただけなの。ティアーナさんが、知り合ったのが……運命とまで言う人物が、誰なのか……」
「あっ、ちょっと、インステードちゃん……!」
自分の言ったことをさりげなくバラされて、ティアーナ公爵令嬢があたふたと慌てる。一方の僕は、口を押えて呆けていた。
運命。そう、運命。まさか、彼女の方も同じことを思ってくれていたなんて。
そして同時に『インステードちゃん』が羨ましかった。彼女と接するとき、ティアーナ公爵令嬢は明らかに素である。他人行儀が全くない。
言葉遣いも一人称も崩れているし、何より信頼の厚みが僕とは格が違う。
「てぃ、ティアーナ公爵令嬢……」
「あっ……えっと……だからっ、本当に、そう思ったのです。ごめんなさい……」
「いえ。正直、僕も同じことを思っていましたから。むしろ、公爵令嬢が同じことを思っていたという方が驚きで、うれしいです」
「本当ですか……!? 申し訳ございません、取り乱してしまって」
しょぼんと顔を伏せたティアーナ公爵令嬢が、ぱっと顔を上げて嬉しそうに微笑む。彼女への噂は冷血や人形などとたくさんあったが、接してみてやっと噂などとは全く違うのだと知る。
どこまでも儚く美しく、誰よりも可愛い。
今のこの状態が、僕の見た彼女の『記憶』にないからこそ知れた、新しい素直な一面。何故彼女の記憶が少しずれているのかは分からないが、単純に新たな一面を知れたことは嬉しかった。
そして――それが今、僕に向けられはしていないということも、知った。
だから、ちょっとだけ。
「ティアーナ公爵令嬢。……僕のことを、セーヴと呼んでくださりますか……?」
いきなりすぎるな、とか。気が早すぎないか、とか。そんな気持ちはどこかへぶっ飛んでいる。自分でも何でか分からないほど、『インステードちゃん』に張り合っている。同性だし、そもそも彼女と会ったのは初めてなのに。
けれどどうしても、立場が同じでありたかった。いや、心を許してもらいたかった、という方が近いかもしれない。
そんな勢いに乗った言葉を聞いたティアーナ公爵令嬢は、長い袖で口を覆って瞳をさまよわせた。その瞳は、『インステードちゃん』とばっちり合う。
「……」
『インステードちゃん』はちょっと呆れた表情で、無言に親指を立てた。GOサインだろう。それを受けたティアーナ公爵令嬢は、表情から緊張を消した。
ああ、くそう。羨ましいことだ。
そう思いながら、そんな感情はおくびにも出さず、黙ってティアーナ公爵令嬢自身の反応を待つ。
「……はい」
ティアーナ公爵令嬢は微笑みながら、軽やかにそう返した。でも僕が何か返事をする前に――
「でも代わりに、わたくしの、っ……私のことをティアーナと呼んで?」
一人称と話し方の変更。
たったそれだけだというのに、彼女は壮絶な表情をしていた。公爵令嬢である自分が変化することに、他人は嫌悪を見せると思っているからだろうか。
はたまた、自分の素を他人に見せることを恐れているのか。公爵令嬢として教え込まれた誇りが、彼女の変化を縛り付けているのか。
――その、全てに違いない。
だから僕に必要なのは、その全てを受け入れることである。
「うん。友達だから。……ティアーナ」
「はい、セーヴ」
僕らの間に、風が吹いた気がした。記憶を見てきたけど。訓練だって一緒にしてきたけれど。でもやっと、近づくことができた気がするのだ。
『ティアーナ』がにこりと微笑んでいる。いつになく、嬉しそうに。もし、彼女も僕と友達になれたことを嬉しいと思っていたらいいな、と思った。
でも、友達という単語に我ながら引っ掛かりを覚えた。一体なぜだろうか。
けれどその疑問を探る前に、『インステードちゃん』がごほんと咳払いをした。その頬はほんの少し赤らんでいる。
ティアーナはそんな彼女をどうとったのか、照れを振り払うように僕に詰め寄った。
「インステードちゃんも、みんなで呼び方を統一しないかしら? セーヴも、インステードちゃんのこと呼びにくいでしょう?」
「え、だけど……僕は、今日会ったばかりだし」
「いいの」
「え?」
「ティアーナさんがそれがいいって言うなら……わたしに異論は、ないのよ……」
「もうっ、インステードちゃん、自分の意見も持たないと駄目よ?」
ふい、と顔を背けてうなずいたインステードちゃんに、ティアーナが苦笑いを返す。そんなティアーナの言葉を聞いて、インステードちゃんは「だって……」とでも言いたそうな視線を向ける。
やはり二人の関係性は深い。
インステードちゃんは視線を泳がせて、僕と目を合わせる。そして名案とばかりに笑みを浮かべた。
「そういえば、わたしの紹介、きちんとしていなかったの」
「あ、そうだね……?」
インステードちゃんがちらりと視線をティアーナに向ける。すると彼女は「心得た」とばかりに意気込んで、ちょっと声を重くして語り始めた。
「インステードちゃんは、二年前に私と知り合ったの。その時に、帝国の闇を色々知ってしまったわけだけれど……血を見るのが怖くて、生きているものを殺せなくて……怒られて、泣いて、いつの間にかたどり着いたのよ。インステードちゃんはこの地下室から出られないのだけれど、それでも色々教えてもらって。何とか、魔物は倒せるようになったわ。それで何とか、今の私がいるの。インステードちゃんは……私の恩人なのよ。だからちょっと怪しい連れて来かたをしてしまったかもしれないけれど……でも、私を、私達を信じてほしいの」
必死に訴えるティアーナの言葉を、誰が疑えるものか。それに誰がなんと言おうと、僕は怪しいなんて欠片も思ったことはない。
インステードちゃんの事だって、ティアーナの友人を疑うはずもない。
例え誰がどう批判しようと、僕がそう思ったのだ。そして現に今、僕は新たな友人を作ることに成功している。
インステードちゃんの存在について疑問はあるが、彼女がここにいることに変わりはない。
「もちろん、信じるよ。……えっと、インステードちゃん」
「……ありがと、なの」
「ありがとう、セーヴ」
「うん」
「それと……さすがティアーナさんの目に、狂いはないの……」
インステードちゃんは自分としても、僕との会い方に疑問を感じていたらしい。だが僕が疑いもなく大丈夫だと頷いたために、少しの安心もあるのだろう。
それと何となく、認められたような気がするのだ。
インステードちゃんの目から、あらゆる疑いなどの感情が消えていた。恐らくバレないように僕を試していたのだろうが、昔から自分の感情が浅い分、人の感情を読むのは得意だった。だから、今回も例にもれず、何となく試されていると察したのだ。
「それじゃあ……私達、そろそろ帰るわね」
「うん。また後で……ティアーナさん。それと……セーヴ・グレイスタール」
「またね、インステードちゃん」
「……」
ティアーナがインステードちゃんに華麗な淑女の礼――カーテシーをするので、僕も紳士の礼をとってインステードちゃんに背を向けた。
その前に、ティアーナが何かを思い出したようにくるりと振り返り、インステードちゃんに微笑んだ。
「……ありがとう」
「ううん、全然大丈夫なの」
それは、どういう意味を含んだ会話だったのか。僕にはわからない。けれどティアーナが結界を張りなおして公爵邸に帰るまで、始終うれしそうだったのは事実である。
そしてこれが、僕とインステードちゃんの出会い。
そして僕が、何よりもティアーナを大切に思うようになった、きっかけの一つである。
セーヴくんの第一回想シーンはこれで終了です。
次回は二章まとめ、そのあとは三章に入ります。三章もぜひお付き合いよろしくお願いします(*‘ω‘ *)




