少年セーヴの追憶―⑥
それから一週間後、僕は何故か兄と共に両親と公爵家の人間に会いに行く事となった。そしてもちろん、公爵家の方もティアーナを同伴させるらしい。
どうやら才能ある者同士対談をしよう、という話なのだそう。姉のリリアナが辞退したので、必然的に僕が行く事になった。
お茶会を併せた交流会はそびえ立つ立派な公爵邸の庭で行われた。
子供は子供同士という事で、二つ用意された丸テーブルの片側に、ティアーナ公爵令嬢、僕、兄の三人が配置された。
たぶん僕らの存在は方便でしかないのだろう。
「……」
「……」
「……」
しかし、三人の中に下りたのは沈黙。兄はいつになく緊張しまくっているし、ティアーナ公爵令嬢も心なしか恥ずかしそうにしている。
着飾ったドレス姿のティアーナ公爵令嬢は儚さが増していて、六歳には見えない美しさを醸し出していた。
たぶんそう言う意味もあって、兄は目を逸らしているのだろう。
大半は、皇弟である公爵家の人間が目の前に居ることからの緊張が占めているはずだ。
「あの――」
「リーヴァ。こちらに来て剣術を公爵家の方々に見せなさい」
「あっ、はい!」
しかし兄が勇気を振り絞ってティアーナ公爵令嬢に話しかけようとした瞬間、父が気まずそうにそう呼びかけた。
父は空気を読める人間だ。父だけならば、茶々を入れるようなマネはしなかっただろう。
しかし偉そうに鋭い眼光をこちらへ向ける公爵家の人間は違う。走って向かっていく兄を、品定めをするような眼で眺めていた。
(この国の貴族が腐ってることは知ってたけど……やっぱ公爵家の人間もほとんどいい人いないか)
そりゃあ、ティアーナ公爵令嬢を排除して来た人間だ。善良な人間なはずはないと思ってはいたけれど。
兄が気の毒だなと思っていると、すかさずティアーナ公爵令嬢が立ち上がった。
「お父様。セーヴさんと席を外してもよろしいでしょうか?」
その言葉に、僕は目を見張った。
公爵はその相変わらず鋭い眼光でティアーナ公爵令嬢を射抜き、口を開いた。
「何をする」
「公爵邸の周りを見せて差し上げたいのです。せっかくいらっしゃったんですもの」
幼い令嬢らしく、しかし淑女さと上品さも忘れず、一生懸命父に気に入られるよう振舞っている。それが、傍から見ている僕にも分かった。
公爵は顔を僕の父に向けた。すると父は素早く公爵の視線の意味を理解し、深々と頷く。
「行ってくるが良い」
公爵は冷たい目のまま、ティアーナ公爵令嬢にそう言うとすぐに目を逸らした。一瞬、ほんの一瞬。隣にいる僕も気付くのが難しいほど、ティアーナ公爵令嬢が顔を歪めた。
しかし瞬きの間だ。ティアーナ公爵令嬢はすぐに立て直して僕に笑いかけた。
「ごめんなさい、勝手に決めてしまって。でも、見せたい場所があるのです。……駄目ですか?」
「あっ、全然大丈夫です! どこでしょうか?」
「あそこの林の……ずっと奥。その一角。貴方にならば、良いかと思って……」
しぃ、とでも言うように人差し指を唇に当て、さらりとした髪の毛を垂らしながら首を傾げる公爵令嬢。
びっくりするくらい、自分の心臓が自分のものではなくなったように感じた。
もちろん、彼女についていった。
公爵邸はぐるりと人工林に囲まれている。その奥には湖があるらしい。そこも勿論美しいのだが、どうやら彼女が見せたい物はもっと奥にあるそうだ。
この公爵邸をよく知るティアーナ公爵令嬢の先導により、ずんずんと進む。
すると、太陽の輝きで煌めく美しい湖が、視界一面に広がった。思わず、歳にも似合わず瞳を輝かせてしまう。いや、六歳として計算するならば普通か。
「す、すごい……!」
「でしょう? わたくしがここを管理しているのです。誰も、管理する方がおりませんから……代わりに、わたくしが。あ、この奥が目的地です。ついてきてください」
「あっ、はい」
「お父様がたは、わたくしがこの奥を知っていると悟っておられません。なぜなら――」
ティアーナ公爵令嬢は僕を振り返って微笑むと、前を向き直って両手をひし形の形にした。それは、魔術を結ぶ形に違いない。
ぶわり、とティアーナ公爵令嬢の周りに風が吹いた。淡く、体全体が青く光る。真面目な表情。重力に逆らう長い髪。溢れる蒼きオーラ。
どこまでも美しくて。凄くて。語彙力が消え失せて。僕はただ眺めることしかできない。
やがて、パキン、と何かが割れる音がした。それと共に、ティアーナ公爵令嬢をまとっていた蒼いオーラが霧散していく。
「……!」
「結界を破壊しました。認識阻害と人除けでできた結界です。察知されないよう破壊しておりますので、心配はいりませんよ。それと、ここからは魔の森に繋がっています。大丈夫でしょうか?」
「全然大丈夫です。いつも行っていますしね」
「はい、そうでしたね」
ぱあ、とティアーナ公爵令嬢が笑顔になる。魔の森へ行くのは全然問題ない。そこは、僕がいつも公爵令嬢と訓練をしている森なのだから。
しかし公爵令嬢は拒否されると思っていたのか、僕が当たり前と言うようにうなずくと目に見えて雰囲気が明るくなった。
「それよりも、公爵令嬢は本当にすごい魔術師ですね。オーラもすごかったですし」
「……オーラが、見えるのですか?」
「? え、ええ……」
「だとしたら、セーヴさんには精霊術師の才能があるのかもしれません。オーラとは、精霊が与える魔力という名の祝福が形となったものですから。術師の定着は五歳から十歳までといいますし、新たな才能発見のきっかけですわよ、これは!」
まるで自分の事のように目を輝かせて喜び、輝かしい笑顔で伝えてくれる公爵令嬢。さすがに僕の何倍も高等な教育を受けているからか、彼女が誰よりも必死なのか、その知識は高度なものだった。
しかしきっと、両方だろう。高等な教育、そしてそれ以上を、彼女は必死に学んでいる。誰かに認められるために。愛されるために。ただ、ひたすらに。
そう思うと彼女の笑顔が辛くて。僕は思わず、目をそらしてしまった。
「本当ですか? だったらいいですね、精霊術師って、すごく格好いいイメージですし」
「いめーじ?」
「あっ、えっと……その、印象などを心の中に思い描くことです」
「そうなんですね、勉強になりましたわ。さあ、進みましょう?」
変な奴だと思われる、と思って僕はあわてて説明を付け足したのだが、ティアーナ公爵令嬢は相変わらずの微笑で応じ先を先導する。
もしや転生者とばれたのか、と思うも、さすがにヒントが少なすぎる。
本当に気にしないでくれているのだろう。本来ならば侯爵家の人間にものを教わるなど屈辱でしかないだろうが、彼女は腰を低くして受け入れた。
本当にすごい人だ。この汚れだらけの社会に生まれたとは信じられないほどに。
進んでいくと、木々に囲まれていないスペースが、ぽっかりと空いていた。正方形に空いたスペース以外は木々で埋め尽くされていて、そこだけが違う雰囲気を醸し出している。
そして放たれる威圧感は、中心に置かれた鉄の何かからくるものだろう。もしや彼女は僕に、これを見せたかったのか。これは一体何なのか。
疑問を込めてティアーナ公爵令嬢に視線を投げかけると、彼女はにこりと微笑んだ。
「少しお待ちください」
そう言うと彼女はたったった、と鉄の何かに駆けてゆく。そして何か術を使ったかと思うと、鉄の何かを持ち上げ始めた。
恐らく強化魔術で持ち上げている。でなければ、彼女の細い腕であのように重そうな鉄が持ちあげられるものか。
持ち上げられた鉄の下には、階段があった。物々しい雰囲気があふれている。
「えっと、ここは……」
「ちょっと怖いかもしれませんが、大丈夫です。厳重な管理がされ続けていますので、暗い雰囲気はありますが……わたくしのことを、信じてくださいますか?」
「はい、もちろんです」
ティアーナ公爵令嬢はとても嬉しそうに微笑んだ。僕もつられて微笑み返す。彼女が軽快に階段を下りていくので、僕もついていった。
たどり着いたそこに、窓はなかった。壁にぐるりと囲まれた、重苦しい一室である。
完全な密室。少しの光も差し込まず薄暗い部屋の中、置かれているのは机と椅子、そしてベッドがひとつ。
そのベッドの上には、本来は美しかったであろう紫髪を雑に散らした小柄な少女がいた。足には大きな包帯が巻かれており、目には生気がない。少女の隣に置かれたつぎはぎのぬいぐるみが、不気味に思えるくらいだ。
「えっと……」
一体誰なのだろうか。ついでにこの少女は、何故窓のない場所で生活ができるのか。いやそもそも、なぜこんな所に居るのか。
その戸惑いを投げかけられたティアーナ公爵令嬢は、ただ微笑んで視線を少女に向けた。
少女はベッドに寝転がったまま、ぎろりと光のない瞳を僕に向けた。
「……あんたを呼んだのは、わたしなの」
「えぇっ!?」
「わたしなんかのためにありがとうなの、ティアーナさん……」
「いいえ、大丈夫よインステードちゃん。セーヴさんは本当にいい人だから……それとセーヴさん、インステードちゃんも本当にいい子なのですわ。二人とも仲良くしてくださいな」
語尾に音符が付きそうなほど嬉しそうに、公爵令嬢はそう言った。インステードと呼ばれた少女の表情に変化はないが、明らかに公爵令嬢の言葉を受けて嬉しそうにしている。
二人の関係は決して浅くはないのだと、初めて見る僕ですらわかった。
そして僕を呼んだという『インステード』が、ティアーナ公爵令嬢の支えで起き上がり、ベッドのふちに体重を預けた。
「あんたが、セーヴ・グレイスタールで間違いないの?」
「う、うん……」
「そう」
「二人で話し合った結果、三人で色々話そうと思ったのです。でも、セーヴさんがご迷惑でしたら……」
「いえ、全然大丈夫ですよ。あの父と公爵様の会談、当分終わりそうにありませんし」
「そうですわね」
くすり、とティアーナ公爵令嬢が小さく笑う。始終無表情だった『インステード』の表情にもほんの少しだけ笑みが出る。
これは平和……なのだろう、か?
どうなるか分からない第二の会談を目前にして、僕は少しだけ心が躍っていた。何故なのかは、全く分からないけれども。
それでもこの三人で巡り合うこと自体が『正しいこと』だと、脳が囁くのだ。




