少年セーヴの追憶―①
僕は平凡、というよりは少し特殊な男子高校生だった。父が医者、母が看護師という環境で産まれた理系男子である。
成績も常にトップ10をキープしていて、どちらかというと人に羨まれるような人間だった。
自画自賛かもしれないが、顔も悪い方ではない。何せ美人の母とイケメンダンディーな父の間に産まれた長男なのだから。
けど、そんな僕には欠陥があった。
ほんの少し、人間としてあるべき感情が足りないのだ。理系以外の事象において全て無関心。クラスメイトが自殺しても悲しいという感情さえ湧き上がらなかった時、僕は僕の中に秘められた狂気を完全に理解した。
「音霧―――ぃ!!」
「うわっ」
思考にふけっていると、後ろからサブバッグで思い切りぶっ叩かれた。振り返ると、僕の予想通り茶髪を肩まで伸ばした八重歯の少女、緋崎凛の姿があった。
「だから……全力で背骨折りに来るのやめてくれるかな」
「やーだね! だってあたし声かけてるもん! そしたら音霧、いっつも返事くれねーんだから。音霧が悪いんだぞ?」
「それは悪かったけど……だからって物理的手段に乗り出してこないでよ。君だって女子でしょ」
はあ、と僕は無表情にため息をついた。凛は当たり前のように僕の隣を歩く。実はこれでも、彼女は常に成績一位の美少女で、運動神経も良いエリートである。
両親はごく普通なので、たぶん彼女は突飛的に生まれたオールラウンダーな天才だ。
羨ましいと思わないこともないが、何せ僕は他人に興味がない。誰かがどんな成功をしようと、僕には関係がないのだ。
「昨日の定期テスト、何位だった?」
「僕? 僕は確か、4位だったかな」
「勝ったぜ! あたしはいつも通り一位の座ゲットだぜ!」
「そもそも僕が君に勝ったことないでしょ」
「あぁっ!? もっと羨ましそうにしろよ! 話聞いてくれるの音霧しかいねーんだよ!?」
「知らないよ……」
そしてもうひとつ。こう見えて彼女はコミュ障だ。美少女だし文武両道の天才で、本来ならば友達に囲まれているはずなのだが、幼馴染である僕以外と話すと極度のコミュ障が発動する。
今は喋り方が完全に男化しているが、コミュ障が発動すると「は、はいぃっ!?」的な奇声を良く発する敬語少女になる。
さすがに十何年も一緒にいれば把握できるが、十何年も凛はコミュ障を治そうとすらしない。
「それで……小説は書けそう?」
「あぁ、ぜーんぜん問題ねーよ。出来上がったら見せるから待っててよ!」
「分かってるよ」
そして将来的に、凛がコミュニケーション上手である必要は、たぶんない。類稀な小説家の才能を有している彼女は、きっとそれだけで食べていける。
編集者の人達は多種多様な個性的な小説家たちを見てきているので、コミュニケーションが下手なくらい可愛いものだろうとセーヴは思う。
というか、凛は既に短編小説家としてはデビューしている。
現時点で編集との問題が発生していないのだから、たぶん大丈夫なのだろう。
「それで――」
その後、僕は自分が喋ろうとしていた言葉を忘れてしまうくらいに、思考が大きく乱れた。
何が起こったのか考えるよりも先に、凛を突き飛ばしていた。
「お、とぎり……?」
凛の小さなつぶやきの後、理解する。でもそれは遅かった。大きなトラックが既に、僕の目前まで迫っていたから。
特にやり残したことはない。たぶんこれが、僕がこの人生で最も感情を揺り動かされた瞬間だ。最期に自分だって感情を動かせるんだと分かって、むしろ嬉しい。
常人とは少し違う考えかもしれないけど、迫りくる死に不思議と恐れはなかった。
『僕』の始まりは、きっとありきたりなものだったに違いない。
〇
気持ち悪い浮遊感がずっと体を支配している。それを少しでも紛らわすために、僕は思考にふけっていた。
名前は『音霧新』。高校三年生の受験が控えた時期に、自分は死んだ。
即死だった。体に痛みはない。たぶん痛すぎて、むしろ痛みを感じなかったのだろう。しかし、普通ならば死には恐れがあるはずだ。なのに自分はどうして。
両親は忙しいからあまり仲がいいとはいえない。弟と妹は少し成績で劣っていたから、いつもキツイ視線を向けられて良い関係は築けなかった。
唯一、幼馴染である凛とは人生の中で最も仲が良かったと思う。
だからそんな凛を守って死んで、僕はこの人生に満足してしまったのだ。
その答えを出した瞬間、僕は背中から固い何かに叩きつけられた。
「うぐっ……!?」
背中の痛みに呻きながら、セーヴは起き上がった。目の前に移るのは、どこもかしこも真っ白な世界である。
ここはどこだ。さすがに焦る。もしや死んでなどいなかったのか? だったらここはどこだ。先程まで、高校に向かう通学路を歩いていたのに。なにより、凛が傍にいたのに。それにあのトラックは何だったのか。まさか全てが夢だったなんて言わないで欲しい。あまりの焦りに、思考の方向がどんどん変な方向に偏って――
『――目が覚めたか、転生者よ』
「誰ッ!?」
思ったより自分は焦っているようだ。突如頭の中に響いた声に、僕は肩を跳ねさせた。一人全く知らない場所に放り出されて、不可解な現象を経験するというのはとても怖いものだ。たぶんトラックにはねられた時よりも。
だって即死したあの時と違って、生きていて、全てを生ける肌で感じているのだ。
「どこにいるの……?」
『地球の人間とは、弱いものであるな。まあ、泣き喚かないほどには強いのだろうが』
「ッ!?」
瞬間、莫大な威圧感が全身を押しつぶした。肺が押されて、呼吸が難しい。それでも踏ん張って前を向くと、そこには直視できぬほど輝く光があった。思わず手を額に当てて光を遮断する。それでも申し訳程度で、光は容赦なく照らしてきたが、それは目を刺すようなものではなく暖かく包む輝きだった。
「あ、あなたは……?」
『名、か。人は全能神の事を、ゼウスと呼んだ』
「か、神……!?」
抑揚のない声、圧倒的な光、押しつぶされかける威圧感。僕はそれらを元に、目の前の『ゼウス』と名のった者が神だと認識した。
もちろん疑いがないと言えば嘘だが、僕はこれ以上の存在を知らない。存在自体が格上だと神経に響かせて来るような人間を、僕は見たことがないから。
所詮人間は自分の知識でしか判断できないのだ。騙されていても、仕方のない事である。ただの自分の学不足であって、誰のせいでもない。
だから僕は、慌てて土下座をする。果たして人間よりも格が上の神を直視していいものか。
『……なるほど、礼儀作法は良いな』
「え?」
『近頃の転生者は、神という存在の何たるかを履き違えておるからな。まあ、全能神が自分から転生者を迎えることは本来ならばないのだが』
「――ぇっ!? て、ん生者!?」
聞き捨てならない言葉に思わず顔を上げかけたが、慌てて下げなおす。トラックに轢かれてから今までの感情の動きは、今までにないほど起伏している。今僕が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているのだろう事は、自分でも分かった。
自分が転生者であること。そして、ゼウスが本来転生者を迎える役目がない事。その二つをさらっと言われて、動揺しないはずもなかった。
そもそも事態についていけていない。疑問が多すぎる。
なんでここにいるのか。自分は死んでいるのか。転生者とは何か。どうして自分なのか。凛は無事なのか。あのトラックは――
『落ち着くがいい。質問にはひとつひとつ答える』
「あっ、頭の中を……」
『神なのだから当然であろう? まず先程視た質問に答えようではないか』
「は、はい……」
その疑問は、全て読まれたようだ。
全能神だから、確かにそれくらいできてもおかしくない。というか、今ので完全に疑いが消えた。どんな超能力者でも、さすがにここまで正確に考えを読むことはたぶん無理だ。
『我々の受け持つ世界には、時として良い世に導くため、転生者が必要になる。それは、各世界の均衡を保つためだ。だが最も大きいのは……全能神という肩書を持つ者でさえ、それぞれの世界の行く末を覗くことはできない事。そのため、我々は救世主を呼ぶ。此度汝を転生させる世界に必要な救世主の条件に照らし合わせた結果、汝が最も適合したのである』
「でっ、ですが、全能神……」
『ふん、全能神やらゼウスやらと、人間がつけた呼び名に過ぎぬ。神には神の世の規則があり、何もかもが押し通せるはずがない。人間と変わらぬ、くだらぬ世よ』
「へえ……」
神のトップが下らない世などと言ってしまっていいのか、と思いはしたが、僕などが神の世界に深く突っ込む資格はないはずだ。
それよりも、全世界の人間から僕が選ばれたことが驚きだった。
確かに普通よりは特別かもしれないけれど、世界には僕より才能を持つ人間なんて溢れるほど存在するはずだ。僕の隣にいた凛だって、もっと近くなら僕の両親も。
何故、僕なのか。それも、あんな方法で。
『確かにある程度の頭脳は必要だが、君が召喚された理由はそれではない。その欠陥だ。そして、欠陥を埋められるものが『愛』であることだ』
「愛……?」
『欠陥を持つ人間は多いが、それを埋められる者。そして埋める物が愛である人間だけが、候補に選ばれる。なおかつ任務への適性年齢である15~18歳を満たしている者は、汝しかいなかった』
「なるほど。でも、そんな理由で……好き勝手、人を殺してもいいんですか?」
『世界の均衡を保つためには仕方のない事である。時に人に理解しえぬ前世を持って生まれる人間は、全て別世界からの転生者だが、知らんか? そうか。ちなみに地球での汝の体には、よく似た別の魂を入れている。汝の存在が完全に消えたわけではない』
「それって戻れるん、でしょうか……?」
『汝が望むならば、任務完了後にな。しかし、それは不可能だろう。汝の持つ『適性』から見てな。それは追って説明する。とりあえず状況説明をしよう。転生の仕組みについて延々と話していたら、終わりそうにないのでな』
「はっ、はい」
先程から短い返事しかできていない。そもそも神を前に、普通に返事していいのかどうかすら分からなかったが、目の前の『ゼウス』が自分を罰する様子はない。
自分に突然訪れた死。納得できるかと言われれば全くそうではないが、話を聞く以外にない。そもそも支配者というものは、いつだって『すべてわたしのいうとおり』なのだから。
何か実体験があるわけではないが、教師がいじめを見てみぬふりをし、教育委員会がいじめの事実をひねりつぶしたのを悟った時、何となく全てに諦めがついただけだ。
だから僕は、大人しく神様の話に耳を傾けた。
人より感情表現ができない少年が、人一倍感情を溢れさせるくらい誰かを好きになる話