40.遅れた重大報告ですよ?―決裂―
翌朝、レンとレイが戻って来たという事で誰からともなく一般兵以外への全体招集がかかった。一人一人が自由に発言できる雰囲気を作ったのは、他ならぬセーヴとインステードだ。
皆の前に立つレンとレイの表情は真っ青で、焦りを帯びていた。よほどの情報が手に入ったのだろう、と思い一同は表情を引き締める。
「向こうの軍は残り三万……だが、このタイミングで様々な軍と合流を始めている……」
「その、合流軍なんすけど……」
レンとレイが言いずらそうに躊躇う。普段はむしろ空気を読まないタイプのレンも、地味に爆弾発言を投げてしまうタイプのレイも、今日に限って弁えていた。
それに嫌な予感を感じた一同だったが、聞かぬわけにはいかない。
「うちのロールスター騎士爵……それと……グレイスタール侯爵家との合流っす……」
レンはちらり、と表情を窺うようにしてセーヴを見た。その名を聞いたセーヴは、あまりの驚愕にその場から動く事も取り繕うこともできずにいた。
グレイスタール。今、グレイスタール侯爵家と言ったのか。
それはつまり、自分の両親と戦えと。
レンやレイのように親元が耐え難い環境だった訳ではなく、セーヴの場合はただのわがままで両親を敵に回した。一応、両親を愛していないわけではなかったのだ。
避けられる戦いではない。そう分かっているのに、心臓の鼓動が鳴りやまない。
頭痛がする。
あれ、今自分は、どうしてグレイスタールとの戦闘を躊躇っているのだろうか。
だってティアーナの処刑に賛成したその時から、心に決めた敵のたかが一人ではないか。
何を迷っている。
自分はもう当の昔に、『セーヴ・グレイスタール』を捨てたというのに。
「……なるほど、これが敵将アデルの戦略か。でも残念、僕もレンもレイも、実家への執着なんか欠片もないからね」
「「えっ」」
「え? それとも君達にはあるの……? まだ、愛が、あるんだ?」
「あっ、いや、それはないっす。けど、セーヴさんが……」
「はは、面白い事を言うね。さて、向こうの合流はもう少し先になりそうだし、こっちは先程の戦いの祝勝会をやろうか。みんなの士気も上げなきゃだしね」
頭痛に耐えて絞り出した言葉は、まるで自分をごまかしているかのようだった。明確な答えは出さず、頭が別の話題に移らせる。
こんなの普段のセーヴではない。そんな事は、レンとレイにも分かった。
そして彼らに分かったのだから、当然のごとくインステードやシスティナも異常を察する。グレイズ達などあの戦闘に参加していた者達は不安になる。
けれど、確かに祝勝会もできるだけ早く行わねばならない。士気を上げるための大切な会なのだから、やめるわけにもいかない。
「みんなで準備をしよう! レンとレイは疲れてるだろうから休憩してて。準備は代わりに僕が参加するから」
「了解っす。ありがとうございますっす」
「ありがとう……ございます……」
レンとレイはセーヴにぺこりと頭を下げ、彼らのテントに戻る。招集に参加していた者達も一般兵へ通達を下すために散っていった。
エリーヴァス、グレイズ、フレードはセーヴに心配そうな視線を向けたが、彼の命令を実行しないわけにもいかない。
三人の代わりにセーヴに声をかけたのは、システィナとインステードだった。
「ちょっと、あんた、なんか……変なの。あの戦いの、あとから」
「えぇ。私も少しだけ変だと思うわ」
二人とも、古くからセーヴと知り合っていた者達だ。それも、ただの知り合いではない。セーヴに対し、友情よりも深く決して言葉で表せぬ感情を抱く二人だ。
セーヴが自身の家族に愛情がある事くらい知っていたし、セーヴがこんな簡単に家族を切り離す人間ではないことも分かっていた。
だからこそ、変だと思ったのだ。
けれどセーヴは、二人の不安を明るい笑顔で拭い去った。
「大丈夫! 僕もちょっと疲れてるのかもね。全部終わったらしっかり休まないと」
「そ、そう……」
「……」
あまりにも明るい笑顔。純粋無垢な笑みに照らされたシスティナは、思わず疑念を引いてしまった。恋は盲目。恋した少年を、本気で疑うことがシスティナにはできないのだ。
けれどインステードは違った。
そもそも恋など知らない少女は、恋した人間に嫌われる恐怖も、少し遠慮を覚えるなどと言うこともない。
だからさらに何か言おうとしたが、セーヴは二人に背を向けて歩き去ってしまった。
しかしその瞬間。システィナには見えなかっただろうが、インステードには見えた。彼の去り際の瞳が、憎悪と悪意の激情に弾けていたのを。
〇
時は祝勝会。
テントで囲まれた仮設広場を使って、一同は大いにはしゃいでいた。昼間の招集の事情を知らない一般兵は、この軍が最強だと歌って踊って酒を飲む。
セーヴは自身が戦闘の前に叫んだ言葉を実現した。その事実に、全員が浮足立っている。
ただ一人、この光景を創り出すきっかけだったセーヴ以外。
(こんなところではしゃいじゃだめだ……まだ、やるべきことは多々ある。この程度で終わる帝国じゃない。アデルの戦略は確かに毒辣だ。夜攻めでもするか? しかしそんなものむしろ待っているはずだ。というか、あんな機密情報がレン達と言えど一日で手に入るはずもない。まさかわざと? だとしたら本当に悪辣だ。こっちの混乱を誘ってるのかな……事実、事情を知る者は結構混乱してる。そして僕も、なんだかざわつく……作戦を練るのと……この間捕まえた貴族への復讐か……思ったよりやる事が多い。時間の分配が上手く行くか……)
心から湧き上がる邪念を振り払うため、セーヴは酒をちびちび飲みながら難しい事を考えていた。そしてそれは、副司令官として考えるべきことでもある。
けれど、熟考しているからって外の声が耳に入らないわけではない。
はしゃぐ声はずっと耳を刺している。ずっと、不快感が心を支配していた。インステードやシスティナ達の言う通り、こんなの普段の自分じゃない事くらいセーヴが一番分かっている。
けれど止められないのだ。
溢れる感情、という言葉の意味を初めて体感した。
『ほんっとに今回の戦闘は凄かったですよねー!』
『そうっすね、瞬く間に制圧しちゃったっすもん』
『確かに……凄かった……』
『それだけではありません、その後のインステード姫やセーヴ殿下の戦闘も素晴らしいものでしたよ』
(っ……)
痛い、痛い、痛い。
苦しい。やめろ。もうやめるんだ。
そんな明るい声で、そんな楽しそうな表情で、幸せだと語るのは、やめてくれ!
『――そうなのよ。きっとこれからもみんな、順調な人生を送れるの!』
……もう、だめだった。
セーヴの脳はもう疲れ切っていた。理性を保つための体力も気力も、既に限界を超えるほど削れてしまった。
今の自分に、人生で初めてと言えるほど内心で爆発する邪念を抑える力はない。
だからセーヴは、支配されてしまう。
その時初めてセーヴは意識するのだ。あぁそうか、これは邪気だったのか、と。並大抵の浄化では歯が立たないほどの、邪気なのかと。
けれど気付いたときにはもう遅かったし、早く気付いたとて浄化できる手立てなどなかった。
勝手に体を動かされるように、セーヴはゆっくりと脚を動かしてインステードの前に立った。今、自分はどんな顔をしているのだろう。
どうして、インステードは真っ青な顔をして、一歩後ずさってしまったのだろう。
「……ねえ、今、楽しい?」
漏れ出るような低い声が、場をしぃんと静まり返らせた。
ぞわり、と背中を駆け上がる悪寒。押しつぶされるような威圧感。セーヴの瞳が狂気に光っている。
初めて見る、セーヴの悪に満たされた表情。
初めて知る、大切な者に憎悪を向けられた時の感情。
インステードは、震えた。
「たっ、楽しいと言えるかもしれないの、あ、でも、それは、戦争に勝利したからで……」
「そうだよね。楽しいよね。
――ティアーナを忘れて、楽しいよね」
瞬間。
空気が張りつめた。
セーヴの発する『ティアーナ』という言葉がどれだけの重みを持つのか、この場に知らない者は居ないから。
誰よりもそれを知るインステードは、力なく持っていた瓶を落とした。
「わす、れて、なんか……」
「分かってるよ? 時間がどんどん悲しみを色あせさせていくんでしょ? 生々しい記憶がどんどん生々しかった過去になってくんでしょ? 仲間と喋りあって、解り合って、笑いあって、過去に送れなかった青春を送れて、やっと人生が始まったってそう思えるんでしょ? 今が一番楽しいと思ってるんでしょ? 良いと思うよ。時間って凄いもんね。時間が経てば人は悲しみを忘れて、また笑えるようになるんだもんね」
「そ、それは、っ……」
インステードに否定なんか、出来なかった。
それは、事実だったから。
俯くインステード。
セーヴの言葉が正しい事は、分かる。自分達はティアーナのために復讐している。人生すらティアーナに捧げた、反乱軍の一員である。
そんな自分達に、二度と人生を起動する機会などない事も。
だって両手を血に染めて、忘れられぬ憎悪を見に宿し、血肉となろうと腐肉を食そうと宿敵を討つため結合した、復讐鬼たちなのだから。
でも、それでも、インステードは楽しいと思ってしまったのだ。
皆に出会えてうれしくて。仲間と喋りあって、解り合って、笑いあって、謳歌できなかった青春が、今になって訪れたのかなと思ってみたりして。
ティアーナとの記憶が『思い出』になって。なんだかまた心から笑える気がして。
でも、それって。それって……。
「ち、ちが……」
思わず口を突いて出た否定は、しかし形にならなかった。
必死に取り繕おうとするもむしろ堕ちていくインステードを見て、セーヴは鼻で笑った。それは、ティアーナが死んでから今まで、最も信頼し合っていた仲間同士の確かな決裂だった。
どんな時も互いに頼り合い、あらゆる壁を切り抜けてきた二人の、初めての仲違い。
しかしそれは喧嘩なんてレベルではなくて、あまりにも大きなすれ違いだった。
心が痛いですね……伏線がついに大事を招きました。




