33.皇子殿下、お帰りですか?
その会談の後、セーヴ達は息抜きのために辺境街レナギアをぶらぶらしていた。もちろん、例の第三皇子エウリアスも一緒だ。
まさか皇子と街をぶらぶら歩く日が来るとは思わなかったセーヴ達は、ちょっと戸惑っている。
ちなみにレイナはここでの仕事が終了したこともあり、拠点の辺境中心街グレシアでまだやる事がたくさんあるので帰還した。
かなり整備された状態の街を見て、エウリアスは瞳を輝かせた。
「いや~これは凄いねー。正直ここまで想像はしてなかったよ~! 辺境地マグンナの支配から一か月ちょいってくらいしか経ってないよね? 整備しっかりしてるなぁ~」
「有難うございます。民がいませんので、屋台などほとんどの施設は全く機能していませんが……」
「あ、うちの兵住まわせたりってできる~? 神聖アルミテス帝国の神聖第三兵隊。ボクの隊だ。丁度、こっちにいた方が出撃もしやすいしね~?」
「えっ?」
流れで出た話に乗ってきたエウリアス。どうやら、第三皇子として指揮する隊を丸ごと、今回の復讐計画に動員してくれるらしい。
神聖アルミテス帝国とマヤ大帝国は本気だ。本気で、帝国を手に入れようとしている。
アルミテス帝国が動いたと知れば、今頃部下に三千兵器を配布したり貴族を動かしている皇帝ももっと慎重にならざるを得ないだろう。
エウリアスの兵隊がここにいる、という事実はそれを更に加速させるはずだ。
「っそ、それは構わないのですが……こちらに任せてしまってよろしいのですか……?」
「うん。そっちに指揮権も任せるよ~? ぶっちゃけボクより君達の方が頭良さそうだし。不安だったら定期的に書状送り合ってもいいし……なんだったらボクも住み込みしたっていいかも!? ……って、まあそれはさすがに怒られちゃうかな~」
「そうでしょうね……書状、お願いします。勝手に殿下の兵を動員してしまうわけにはいかないので」
「それじゃあ手紙を転移する先はボクの手の中で頼むよ~!」
いくら文化が違おうと、第三皇子が留学をするわけでもなく長い間他国に逗留するのは危険だ。その上、今の彼は帝国の敵なのだし。
それにしてもニヤニヤと凄い転移先を指示して来たエウリアスに、セーヴは苦笑い。
ただし却下はしない。セーヴにとって、エウリアスの指示は成せぬものではないからだ。
「あと、ボクの兵を動員するメリットだけど……そっちの皇帝さんもさ、そろそろ大勢の兵で攻めてくると思うんだよねー。でも君は、そんな事にいちいち構ってられないでしょー? 三千兵器に全員で相手した方が有利だもんね」
「確かに、その通りです。この間、僕一人で三千兵器に無謀にも挑んでしまいまして……恥ずかしながら、惨敗でした」
「恥ずかしくはないと思うよー? 三千兵器に一人で太刀打ちして、生きて帰ってくるのがそもそも奇跡だしねー? 君は十分強いよ」
キラキラとした笑顔だった。エウリアスの薄い緑髪がふわりと揺れる。
彼の金色の瞳は大きく見開かれていて、好奇心を溢れさせた光を放っている。きっと彼は、アルミテス帝国を壊されでもしなければ復讐などとは無縁の人間だろう、そうセーヴは考えた。
そんなエウリアスに、遠慮しながらグレイズが話しかけた。
本来なら第三皇子に賊が話しかけるなど不敬にもほどがあるし、グレイズも普段ならわきまえる人間だが、あまりにもフレンドリーなエウリアスに感化されたが故の結果だろう。
「失礼ながら……神聖アルミテス帝国とはどういう国なんでしょう?」
「んー。一言で言うと……『信仰主義の万民平等』かなー。今お父様が王政を廃止しようと頑張ってるよ~。まあ、神の声を聴けるのはボク達皇族しかいないから……『皇族がいる理由』がある限り、それはちょっと難しそうだけどね~」
想像通り、エウリアスがグレイズの発言に気を悪くすることはなく、むしろぺらぺらと情報を喋りまくる。
しかも国家機密なのではないか、とむしろこっちが焦ってしまうほどの情報だ。
「あ、大丈夫大丈夫。いずれ成し遂げることだし。君達も復讐が終わったらさ、ボク達のところに来ないかい? 良い国だよー? 蛮行する貴族はいないし、処刑制度は消した。今では、『裁判』っていうのを採用してるんだ。公平な判決を下すためにね!」
「裁判制度……! ……そう、ですね……」
エウリアスが語った、まるで地球のような制度に目を見張りつつも、セーヴが明確な答えを出すことはなかった。
副司令官が明確な答えを出さない以上、グレイズも黙るしかない。
加えてインステードも発言しようとしないのだから、グレイズがここで口を開く意味はない。
「それと、どこでも疑問視されるけど……ボク達皇族の低姿勢の理由はさ、信仰に由来するんだ。神の下では民は等しい。神の声を聞くという事で尊敬されることはあれど、権力と貧富に大きな差をつけてはならない。ボク達は神に一歩近いからこそ、民をまとめる義務はある。しかし、振りかざすための権力と財力はない。いつ何時も、ただ民のため。それこそ、神の使徒とされるボク達皇族の役目なんだ。だから……偉そうには、とてもできないよー」
そう言って、エウリアスは肩をすくめた。自分に鎖をつける。行動に制限を設ける。それは、たぶん壮絶な信仰だ。
人間は自分の欲に耐えるのが最も難しい。
権力を振りかざせる、財力を見せつけられる、そんな立場でありながらそれをしない。その精神は、きっと何よりも強大だ。
たぶん民主主義の原点は、こういう思想だったんじゃないかとセーヴは浅知恵ながらも考える。
それにしても、エウリアスの態度に納得がいった。全て信仰ゆえだ。
そのフレンドリーさは『人は互いを愛す』という聖書から来るもの。その低姿勢は『人は互いに争うことあらず』から連なる様々な制約を実現するための物。
この人は、凄い人だ。
「……わたしは、最初から敬語じゃなかったの」
ぼそり、とインステードの呟きがセーヴの耳に入り、セーヴは思わず口角を緩ませた。さすがはインステードである。
「そーだ! うちの兵の団結力を舐めちゃだめだよー! 例えボクがいなくてもね、圧倒的まとまり力がね、あるんだよー。特に副隊長がさ、すっごいカリスマで。ボクがいなくてもボクと同じ……いやそれ以上かな~? そんくらいには兵をまとめてくれるんだよねー! だから安心して。神聖アルミテス帝国の名に懸けて、反逆者は誰も現れないよ」
「……元より、そのような心配はしておりません。殿下の、お姿を見ていると、その心配は必要ないように感じられましたから」
「こんのー、嬉しいこと言ってくれる~! あと敬語じゃなくていいって言ったのに~!」
そう言って、にっこにこ顔でエウリアスがセーヴに抱き着いてきた。テンション爆上げである。先程からこの皇子殿下に振り回されてばかりだ。
平等思念。信仰原理。欲望抑制。そして有り余るフレンドリーさとユニークさ。
民の求める政治家、ここにあり、だ。
こういうテンションの相手こそ、商談の時に困る。彼のリズムに一度でも巻き込まれたら、二度と抜け出せず引き込まれてしまうだろうから。
「それじゃあ、街も結構回ったことだし……ボクはそろそろ退散するよー。兵も呼んでこないといけないし。いや~、ほんっとに君が同盟を呑んでくれて有難かったよ~!」
「ご訪問有難うございました。いえ、こちらとしても有難い限りでしたので。助かりました」
「……ねえ、第三皇子」
「ん? な~に?」
ふわふわとしたテンションで感謝を述べたエウリアスに、セーヴが小さく一礼をする。そんなエウリアスを、インステードが初めて呼んだ。
この場で司令官が発言することは何も不思議ではない。
そもそも副司令官であるセーヴが場の権限をほとんど握っていたことが、普通ではないのだ。まあ、外交を担当しているから仕方ないのだが。
「……もしも、あんたの兵隊が潰走したら、どうするつもりなの」
「「!?」」
インステードの口から出た言葉に、グレイズとセーヴが驚愕する。
さすがに、これは怒られるか、とセーヴは思う。だが、気になっていた問題でもあった。貴族ですらないセーヴに、一万に上る数を有する隊の責任が取れるはずもないのだから。
セーヴが恐る恐るエウリアスの顔を見上げると、その瞳には狂気が吹き荒れていた。
口は先程のままニコニコしているが、歪んだ笑みにしか見えない。
アウトか――
そう思って身をこわばらせた瞬間、エウリアスがニコニコ顔のまま、ぱんっ、と手を叩いた。
「その時はね~」
少し考えるそぶりをして、
「大帝国とも連携して、国ぐるみの大戦争にでも発展させよーかな?」
そう。
笑顔のまま、そう言ってのけたのだ。
これにはさすがに質問した本人のインステードも、セーヴもグレイズも目を見張った。これが、神聖アルミテス帝国とマヤ大帝国が三千兵器に向ける執着の強さだ。
別に帝国と大帝国が民に向ける平等思考も、民がそれらに向ける尊敬と畏怖も。
優しさなんかじゃない。憧れなんかじゃない。
――ただひたすら、神のため。
それが、セーヴ達を超えるほどの狂気であり、何千年も続いてきた神聖帝国と大帝国の信念だった。
それが、何千年の歴史を背負う皇族の迸る想いだった。
ただ純粋な彼の凄まじい感情のどこに、疑う要素があるのだろうか。
だからセーヴは、頭の片隅に残っていた少しの疑いを、躊躇わず捨てた。
「普通の国だったらそんな事はしないけどねー!? でも、ココは罪もはっきりしてるし、全世界が知るレベルの悪名声だしさー。まあそう言う事だから気にせず使っちゃってよー。それじゃあ、ボクは行くね。それなりに強いつもりだから、護衛はいらないよ~。んじゃ」
「……お気を、付けて、下さいませ……」
「分かってるよー!」
いつの間にか、強化魔術でも使ったのかもう遠くに行ってしまったエウリアスの声が、三人の耳に入った。
凄まじい速度ですぐに姿を消してしまう彼。その魔力量と強さは本物だろうと分かる光景だ。
「す、凄い人だった……」
「思わず呑み込まれるところだったの……」
「驚きやしたなあ……」
それにしても。
彼が残した余韻は、強者である三人にとっても随分と強いものであった。




