28.彼ら、サイコパスと邪教神官ですが?
サイコパス拷問癖殺人鬼、ウィンナイト・リカリアナ。
彼は確かに歴史でも有数の科学者であり、天才の一人である。だがしかし、天才であるからこそ、その頭脳は人間としてあるべきものが歪んで消えている。
その日ウィンナイトは、毎日のように通っている彼の実験室に足を踏み入れた。
それ自体は普通の事だ。研究者が自分の実験室に入るだけなのだから。しかし、たかがそれだけで周りの従者、使用人、騎士に緊張が伝わる。
実験室からその周りまでを隔てるのは扉というただ一枚の壁。
ウィンナイトはわざと防音魔術をかけないので、聞こえるのだ。
『ぎゃぁぁぁああああああ!!!』
『がぁぁっ……! ひぃぃいい!! だずげでぇぇええ……』
「ひえぇっ」
「ぎゃっ!」
きっとウィンナイトに凄惨な拷問を受けているであろう、罪人たちの声が。
ウィンナイトは皇帝の命により、非公式な死刑の執行人を担っている。そのため、それに該当する死刑囚を最終的に殺しさえすれば、その過程は自由にする権利があるのだ。
死刑囚が彼の実験室に運び込まれるたびに、騎士達は叫びたくなるのを必死に止めて、短い悲鳴にとどめなくてはならない。
こんなもの、人間がずっと聞いていたらその内精神を壊すと分かってはいるのに。
「うーん、騎士ちゃん達の叫びはまぁまぁだねー」
一方、実験室にいるウィンナイトは、全身に返り血を受けながらも口角を吊り上げていた。その姿はまさに死神。不気味にもほどがあった。
そんな彼の前には、血抜きをされた死体。ゆっくり、ゆっくりと、血を抜かれていった証明だ。
その左隣には、腹に何かを巻いた死体。その『何か』がゆっくりと収縮して、腹を潰したという事だ。
右隣には未だ実験体にされていないが、がくがくと震える女性。
「お、おねがい、します……ころさなぃで、ころ、さなぃでぇえぇ……」
数多の悲鳴を聞き。大量の血液を視界に収め。死体を眺めて哄笑する男の声で、女性はついに精神を壊した。
ただ、同じ言葉を繰り返す。彼女にはもう、生存への希望がない。
「えぇー、つまんないのー。そこはさー、『貴方などに殺されてたまるものですか』くらいは言わないとさー」
それが誰の事を言っているのか、震える女性の隣で鎖につながれている男は理解した。最近処刑されたばかりの、ティアーナ元公爵令嬢。
オーギル・マクロバンが彼女の罪を全てぶちまけるまで。民衆から『もしかしたらいい人?』という希望が完全に消えるまで。
――彼女は『私は違います! 私はただ帝国のために、尽くしてきた所存にございます! 帝国を破滅に導くなど、私には出来のうございます!』と、抵抗を続けて。
それでも、誰も心を動かしはしなかった。だって、証拠がないから。
誰も彼女に、『ティアーナは善』である証拠を掴ませはしなかったから。
「ハハ……」
ここに捕まってみて、男はようやく理解した。
誰が正義で、誰が不義なのか。
こんなサイコパスで許し難い貴族が存在するのに、強い力を持ちながら誰一人手にかけずただ身の潔白を訴えた少女に、罪があるはずがないのだ。
しかし男も今は所詮犯罪者。こうやって殺されたって、仕方がない。
最後にひとつ真実が知れて、男は幸せだったな、と思った。
「ふふー。この女はダメみたいだからすぐ殺しちゃうかー」
ウィンナイトの言葉を聞いて、男はちらりと視線を隣に向けた。
ウィンナイトが腰に下げた剣を抜く。人殺し専用に作られた、形を変えられる剣だ。ウィンナイトがボタンを押すと、剣が槍に変わる。
「ぃ、ぃやぁぁあ……!」
「嫌って言われてもー、君死刑囚だしー、どーせ死ぬよー? 安心してよ、君のだぁい好きな君の家族も、すぐに血祭りにあげてやるからさー」
「ぐっ、あぁぁぁ……っ!」
「心臓ってね、刺されてもすぐには死なないらしいんだよねー」
「ぎぃあぁあ……ア゛ア゛っ……!」
ぐちゅり、と内臓が潰れる音。それだけではない。ウィンナイトは女の心臓に槍を刺して、それをギギ、と下に動かし始めたのだ。
ようは、体を切り裂いている。もちろん女は一際大きな悲鳴を残して絶命。
新たな血しぶきがウィンナイトにかかるが、彼はむしろ優悦の表情を浮かべた。
そして、男は今度は自分の命が危ないのだと知る。
「君は、だいじょーぶみたいだねー?」
「……ふざけるな」
「んー? 活きがいいじゃーん! どーれどれぇ? ちょっと話聞いたげるよー?」
「貴様は……人間を道具にしている……!」
「だっていーじゃん、死刑囚なんだしー。人間の尊厳何て元から無いでしょー?」
「貴様は知っているのか……!? 皇帝が死刑囚の数が少ないからと言って、罪のない人間に罪をでっちあげて貴様のところへ送り込んでいるのだ!!」
「えー、ほんとにー?」
ウィンナイトは九十度頭を傾ける。もはや狂気により辛うじて人の形をしているだけの、怪物になり果てている。
だから、男は悟った。ウィンナイトは絶対に、この所業をやめたりはしないと。
「でもー、それが一体、なーにかなぁ? 僕は僕の研究ができればそれでいいんだー。陛下がどんな囚人送ってんのか、だなんて、そーんなの興味ないなー。そんなのよりもー、もっともーっと!! 良い、抵抗をしてよー!」
「貴様ァ……」
「例えばさー、こーんなのどーぉ? 『いいでしょう、私は貴方がたに潰されるかもしれません。ですが恐らく、貴方がたに待ち受けているのは破滅のみです。私を殺しても……きっと、終結など存在しない』なぁーんて……」
「……ティアーナ嬢……」
ついにウィンナイトの口が裂ける。九十度首を折り曲げたまま、人間には無理そうなほど三日月に口角を上げる。
だから、男はこんな人間の前で高らかにそう宣言したティアーナを、心から尊敬した。
あんなに争いを望まない少女が、今のこの状況をあの時から理解した。親しい人が自分のために復讐を行うと直感したのに、止めに行けないなんて無力さ。
そして、自分がその引き金を引いてしまうという罪の意識。
それに苛まれながら、そして、数多の人間から嘲笑を受けながらも、ティアーナは何度だって立ち上がったのだ。
「フ……」
男は笑った。同時に自分の眼球へウィンナイトの指が突っ込まれる。ぐりぐりとかき乱される。男は当然悲鳴を上げた。
けれど、潜在意識は落ち着いている。
ティアーナの潔白を知ろうともしなかった自分は、死んで当然だと。そして死ぬ前に全てを知れて、良かったと。そう思って。
〇
邪神官、オーギル・マクロバン。
貴族の中でも敵に回したくない人物だと頻繁に名を出され、決して邪教と繋がっている証拠を見せない狡猾なる男。邪教の中ではトップエリートで、狂信者でもある。信じる者以外の話を聞きはしない、皇帝にまで手に余ると言われた男だ。
そんな彼が貴族たりえるのは、ひとえに彼の能力が今の帝国に欠かせないものであるからだ。
紅く、煌々と輝く魔術陣の上。そこに跪く男の見上げる先には、禍々しい光を放つ水晶があった。
跪く男の背後では、何十もの男女が同じように膝をついている。
「おぉ……! こぉれが、真実ぅ……! 真実ッ!! 我らが神が、与えて下さった真実ぅッ!! 敵、敵なのでぇぇえっす!! あの少年はぁ、最初からさぁいごまで、全てが敵で埋め尽くされているのでぇぇえっす!! あははははははは!! 神託は降りたぁぁぁ!! そうッ、真実ッ、しんじつ、真実真実真実真実真実真実真実真実真実真実真実……!!」
「「「是!!!」」」
橘色の髪を振り乱しながら、その男は両手を広げて叫んだ。男にも、その配下にも、普通の人間には聞こえぬ声が聞こえる。
水晶の放つ禍々しい光が、すぅ、と消えていく。
男の叫びは、普通の人間が精神を壊すほどに意味不明。しかし、彼の配下はそれを是とし、その言葉の全てを理解する。
「僕にぃ、僕にぃぃぃぃぃ……!! 死刑をぉ、執行させてほしいなぁぁあ……! アハハハ、アハハハハハハハハ!!! あぁ、邪神ヘル様……! ヘル様こそが至高であられるのでぇぇえすぅうう……!!」
「「「是! 大司教猊下の仰せの通り!!」」」
――それは、その男オーギル・マクロバンが邪神官であり、邪教の大司教でもあるからだ。
大司教の言葉は皆が読み解けなくてはならない。その意味を知る事こそが、邪教にその身を置いてよい資格。
どいつもこいつも狂っているのだ。
ティアーナの処刑では、貴族が邪神ヘルの神託があったからというだけで死刑執行人に名を挙げるほどに。
しかし誰もが自分の世界に閉じこもったまま、自分の正義のみを信じている。
「ヘル様ァ……!! 今にぃ、今に今にぃ! 貴女様の望むようにいたします……! 全ては、我らが主の仰せのままにぃいいい……!!!」
それは大司教オーギル・マクロバンだって例外ではなくて。
大きく両手を開いて。涎が垂れるほどに笑って。溢れる狂気を見せつけて。それほどまでの狂信者でも、先は見抜けない。
――ずっと先にある、破滅の運命なんて。
ちょっ、ウィンナイトさん、文字数、文字数!




