20.その少年、怒ります
ブラックホールに吸い込まれたシスティナはどうやら気を失ったようで、目が覚めたら湿度の高い黒一色の部屋に手足を縛られ倒れていた。
銀の混ざった金髪が派手に散らばっている。だが、それすらも美しく見える。
システィナは耳をすませて周りの音を聞く。誰かが来たら――
ぴちゃん、ぴちゃんと規則正しい水の音が乱れた。
誰かが来ると気づいた瞬間、足音が耳に入る。システィナがそちらに目を向けると、黒装束に全身を包んだ男がまるで陽炎のようにゆらゆらと立っていた。
システィナはふとフレードが調べた資料を思い出す。彼が調べた相手は、丁度このような人物だったはずだ。
「――精神異常」
「ぁうっ!!」
びり、と頭に電流が通った。システィナを縛る紐にも呪術が通してあるようで、抵抗するための魔術がスムーズに行使できない。
やっと魔術として出来上がりそうになっても、目の前の人物にキャンセルされてしまう。
ぱっと目を開けると、目の前の景色は歪んでいた。思考も上手くまとまらない。気持ち悪い。強制的に何かを流し込まれているような感覚がする。
セーヴも同じだったのかと思うと、先程の彼の気持ちが良く分かった。
「公爵令嬢……いや、既に国内では指名手配されており、元公爵令嬢となっていたな」
「それが……何……?」
「動揺しないんだな」
声から分かるに男だと思われる人物は、自分こそ動揺どころか声色も抑揚もなしに、カンペを読んでいるかのような話し方でシスティナに問う。
答えは勿論動揺も何もない。もう帝国に思い入れはないのだから。それに、指名手配されたという事は既に帝国から突き放されたという事。
例え未練があろうがなかろうが、どちらにしろ戻れぬことに変わりはしない。
そもそもまだ帝国に執着しているなら、復讐の道など選ばない。
「ふん。こんな物は本題ではなかったな。なあ、元公爵令嬢。おまえ、本当は超頑張ればおまえの妹を救えたんじゃあないのか?」
「っ……! 何、を……!」
「なあ、もしかして元侯爵令息に受け入れられて、救われた気にでもなったか?」
「……!」
「んなわけないだろ。おまえが妹を見捨てて、おまえが死ぬことを恐怖に思って逃げて、今こうして自分勝手に許されようと贖罪に来た」
「っち、ちが……!」
「どこが違うんだ?」
言いたいことはたくさんある。でも、脳裏に浮かぶのは「違う」という単語だけ。それが意味するのは、システィナに明確な反論材料がない事。
認めちゃだめだ。この男の言う事を認めたら、それこそ自分の精神は終わる。
そうシスティナは理解できていたのに、反論のひとつも浮かびやしない。
勿論男がそんなシスティナを律義に待つことはなく、追い打ちをかけるようにまくしたてる。
「お前が自分の妹を殺したんだ」
違う。違う。違う。
「元侯爵令息がおまえだったらどうしたと思う?」
それは……。
「きっと恥も外聞も投げ捨てて一目散に『ティアーナ』を助けたはずだ」
否定はできない。
「だがおまえはどうだ」
私は。
「愚かな姉だ、システィナ元公爵令嬢。おまえは殺人者だ!」
違う、違う!! 違うのに――
「うっ、うぁっ……うあぁぁあああっ!」
システィナは生まれて初めて泣き叫んだ。公爵家の令嬢としてずっと許されなかったけれど、今回ばかりはそんなものに構っていられない。
否定できない。けど否定しないとだめだ。それがさらに精神を蝕んでいって、ついにはシスティナの心を壊していく。
男は涙を流しながら苦しみ悶えるシスティナを見て、口角を上げた。
「これで俺が帝国最高峰の呪術師だ……さらばだルザル伯爵ッ!! 俺が、俺が一番なんだッ!!!」
壊れた機械のように一番なんだ、一番なんだと叫び続ける男。しかしシスティナは「違う、違う」と呟き続けていて男の声など耳にも入らない。
二人とも狂っていた。どうしようもなく。
だから男は、未だ収拾が付かなくなる寸前で止まっているシスティナにとどめを刺すため、もう一度彼女に向き直った。
システィナは危機感を感じはしたが、手は縛られていて耳を塞げない。
「良く聞け……。おまえは――」
「――システィナさんっ!!」
爆音が響いた。システィナと男がそちらを見ると、地下洞窟であろうこの場所の半分以上が壊れ果てていた。
その中心に立っていたのは、バチバチと雷を全身から放出させるセーヴだった。
システィナは虚ろな瞳をしてはいたが、セーヴの登場にほんの少し光を取り戻した。セーヴの後ろでは、インステードが殺気を燃やして立っている。
例え姿は幼くなれど、元勇者の殺気は伊達ではない。
それを百パーセント向けられた黒装束の男は、後退りした末に尻もちをついた。
「たっ、助け……!」
「助ける? 貴方を? 嫌に決まってるじゃないか。例え貴方がティアーナに全く関係なかったとしても、今システィナさんに精神異常をかけたというだけで許せはしないね」
「ぐあっ!!」
セーヴの投擲したナイフが、見事男の太ももに突き刺さる。それを見てほんの少し留飲を下げたインステードは、システィナの元へ向かった。
手早く紐を切断すると、彼女にかけられた精神異常を片っ端から綺麗に解除。
システィナは頭がすっきりして焦点もはっきりするのを感じたが、未だ心がずきずき痛んでいた。
「次はどうしようか? 指でも切断されてみる? サービスで塩塗ってもいいんだよ?」
「ひ、ひぃいいいいいっ……! もうや、やめてくれぇ……! 俺はァ、一番に、なるはずだったァ!! なのに!! なのに!! あんな伯爵が、邪魔してきて!! 大好きな、呪術の一番の、座を奪われてっ……! 醜く、上位権力者にっ、与して……っ、その結果が、これかよ!! 嘘だろ!? 大体、ティアーナ元公爵令嬢の、どこに、擁護できる、っところが――」
「もういい喋るな」
「ぐぁぁああああああっ!!」
一方セーヴは、男に近き太ももに刺さったナイフを抜こうともせず微笑んでいた。
男の言葉を途中まで聞いていた彼だったが、ティアーナの話になった瞬間その表情を冷徹無比なものに変化させた。
絶対零度な言葉の響きと共に、刺さったナイフをそのままぐりぐりと回した。
骨の髄まで響く圧倒的な痛みに男は耐えきれず叫んだ。それを見てセーヴは微笑み――ナイフを思い切り抜いた。
「うわぁああぁぁあああああああっ!!」
それはそれで痛い。溢れる血液が床を埋め尽くしていく。男はついに地面に倒れ込んで悶える。
だがそれに構わず、セーヴはナイフに治癒魔術をかけた。そして思い切り男の背中に振り下ろし、残酷な傷跡をつける。
しかし、それは片っ端から治癒魔術により修復される。
「うっ、ぁあああ!! ああぁぁああっ!?」
「どう? 無限ループ」
「あああぁぁああああ……あああはははははははははっ!! 俺があぁあああ一番だぁぁあああ!! 俺がぁぁあああ!!! 母さんもおおお父さんもぉおお、認めてくれないけどなぁあああ!! 俺が一番だぁあああ!!」
「……狂ったか」
元から精神的に可笑しくなっていた事もあり、男は垂れる涎を気にもせず同じことを延々と繰り返し笑い続けた。
あまりの狂気にセーヴの顔が引きつり、システィナは恐怖に震え、インステードはごみでも見るような目を男に向けている。
「あんたの言い分はよくわかった。でもシスティナさんをこんな目に遭わせたことや、ティアーナを悪く言ったことは絶対に許せない。この世ではね、洗脳が一番人でなしな技なんだよ。もし洗脳系統の術を使うなら、僕らみたいに国ひとつぶっ壊す覚悟はないとね」
「あははははははは―――」
男の呪術は確かにそれなりの技術がある。しかし、扱うだけの精神力が足りない。むしろ自分の呪術に精神を喰われている。
数多の呪術師が自分の術によって狂ったのを、セーヴは見たことがある。
男もまたその一人であったのだろう。
もうこれ以上男を相手にしていられない。そう思ったセーヴは、ナイフを男の心臓に収めた。そう、収めたのだ。
男の服に血がにじむことはあれど、返り血ひとつ飛ぶことはない。
セーヴの殺し方は美しいのだ。全く意図してやったわけではないが、最終的に『そうなっている』。
命中率も的確さもレイの方が上だが、美麗さを尊重するとセーヴがひとつ飛び抜けている。
「ぁ」
小さな呻き声を漏らして、男は絶命した。その瞳が閉じられることはない。
「さて」
振り返ると、インステードがシスティナの目を押さえていた。
そういえばその辺の配慮を忘れていたな、とセーヴは僅かに焦った。そしてインステードの気遣いに本心から感謝する。
「えーっと……。まず、ここの従者は全滅させよう。ね、システィナさん」
「えぇ……。リムリズ子爵は……従者にも……平民を虐めるように言っていたわ……。側近従者のみとは言うけれど、他の者達も笑いながら見てたらしいわよ……」
「……分かったの。じゃあその役目はわたしが引き受けるの。ついでに子爵探しも手伝うの」
「ようし、じゃあ僕とシスティナさんが伯爵を探そう。あの剣を子爵に回収されてたら二人で応戦しないと危ないからね」
虚ろな瞳でセーヴの言葉に返事をするシスティナ。そんな彼女に気を遣ったインステードは、自分一人で従者を全滅させる仕事を引き受けた。
人を慰めるのはセーヴが圧倒的に上手い。それに、システィナもセーヴといると少し安心したように見えるから。
システィナを慰めるのはセーヴに任せて、インステードは早速転移で持ち場に戻った。
一番関係ないように見えた人が実はわりと関係ある、っていう設定、自分は結構燃えます(笑)




